お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

高齢になると「教える姿勢」より「教わる姿勢」が必要

2024-01-26 04:13:47 | 日記
高齢になると「教える姿勢」より「教わる姿勢」が必要
 
高齢者にとって年齢が高くなるということは、年下が増えるということです。
そして、知っていることが増えて知識が豊富になります。
しかし、現代社会では知識を教える機会は少なく、体験や知恵を教えることで役割を果たす程度です。
昔のように、高齢者は知識も経験も豊富がたら教える機会も多かったが、現代は、逆に教わる機会の方が多いような気がします。
勿論、知っていることを聞かれれば快く教える姿勢は大切である。
高齢になったからといって、何も新しいことにチャレンジしない訳ではない。
そんなときは、わからないことは勇気をだして素直に「教わる姿勢」が必要です。
多少の羞恥心とプレッシャーはあるがそれらを嫌がっていると、いつまでも新たな行動がしづらくなります。
興味をもって行動しようとした時は、「教えて貰いに行こう」という気持ちでいれば、新しい行動がしやすくなります。
高齢になっても「教える姿勢」より「教わる姿勢」を心掛けることが必要だと僕は思っています。

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人生は今この瞬間の連続

2024-01-25 04:10:37 | 日記
人生は今この瞬間の連続
 
我々は今という単位の連続で生きています。
つまり「今」という一瞬の集まりが人生ということです。
この瞬間でさえ「今」が連続で過ぎ去って、やってきた瞬間に終わる。
「いつか人生を変えたい」と願う人がいます。
そうした考えを持つこと自体は素晴らしいことです。
しかし、「いつか」という言葉は、漠然としていて行動するキッカケが、なかなか定っていない。
以前に流行った「いつしますか?」「今でしょう!」というフレーズを思い出す。
人生を変えようと思ったら、今しかないのです。
「今しかない」という言い方は、差し迫った様子を表すが、そもそも人生は今しかないのです。
人生は、今という一瞬の集まりであるという、意識に変えるということです。
変えようとするエネルギーの矛先は常に今です。
人生を変えたいと思った時が絶好のチャンスでキッカケを掴む行動に出るのも今です。
我々の人生は、今この瞬間の連続で生きているという意識を持つことで、人生を変えるチャンスを掴むことがことができるのです。

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延命治療と臓器提供について

2024-01-24 04:14:59 | 日記
延命治療と臓器提供について
 
人生は、いつ何が起きるかわからない。
自分はまだまだ長生きすると思っても、ある日突然不幸が襲うこともある。
その時になって考えることができればいいが、意識がなかったり、既に死んでいたりする場合もある。
その可能性は未知だがゼロではない。
そんな突然の状況に陥る前に、家族と話し合っておくことが2つある。
延命治療と臓器提供です。
延命治療について
例えば、急な事故によって、脳死状態になったとする。
脳死とは、脳幹を含めた脳全体の機能が完全に失われ、回復ができなくなった状態のことです。
医療機器によって、何とか命を取り留めている状態で、医療機器を外せば死んでしまう。
脳は一度死んでしまうと、現在の医学では、生き返らせることは不可能です。
脳死になると医師から延命治療について相談された時、家族は生死を判断しなければならない。
そんな時のために、延命治療を望むのか、望まないのかを、生前に決めておけば、家族の負担も小さくなる。
臓器提供について
臓器移植とは、病気や事故によって救われた臓器や組織を手術によって、他の患者へ移植することをいう。
自分が死んだ時に、治療を待つ他の患者に臓器を提供して、命の手助けになりたいと思うことです。
当然に、臓器を提供するのも、しないのも、本人の自由です。
臓器提供カードで意志を持つこともいいが、まず家族と話し合っておくことが大切です。
延命治療にせよ、臓器提供にせよ、不謹慎な話題と捉えがちだが、可能性はゼロではない。
万が一を考えると、この2つについては、事前に家族と話し合っておくことで、残った家族の負担が小さくなることは間違いないと思う。

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本当の絶望とは命を失ったとき

2024-01-23 05:00:54 | 日記
本当の絶望とは命を失ったとき


絶望とは、「希望や期待がまったく失われること」と辞書にはある。
果たして、僕のここまでの人生において、生きるための全てにおいて希望や期待をまったく失ったことがあるだろうか?
お金が全てなくなった、家が火災や災害でなくなった、職を失った、事故で手足を失ったなど。
もしも、これらを同時に見舞われても、本当の絶望ではない。
なぜなら、本気になれば、やり直しができることばかりです。
お金がなければまた稼げばいいし、職を失っても再就職すればいい、手足を失ったとしても、義手や義足がある。
では、本当の絶望とは、命を失ったときです。
失われた命だけは、どんなに大金や時間があっても、やり直せないし取り戻せない。
命を失ったとき、完全にすべての可能性が失われる。
つまり、生きているうちに、本当の絶望は体験できないのです。
絶望して落ち込んでいるのは、勘違いで全ての希望や期待が失われた訳ではない。
命という素晴らしい宝物が、最後に残っている限り、人生は何度でもやり直せる可能性はある。
生きている限り、本当の絶望ではないことに気づくことが大切だと思うのだが。

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時間を忘れるほど集中する時間を増やすことは人生の質を上げる

2024-01-22 03:44:45 | 日記
時間を忘れるほど集中する時間を増やすことは人生の質を上げる


人間の一生は、平均値でほぼ3万日で720万時間。
そう考えると意外と短く、無駄に過ごす時間などないように思う。
その貴重な時間を意識して生きることは大切で、充実した時間を送ることで人生の質を上げようと考えるようになる。
しかし、時間を大切に使うことを常に意識し過ぎる状態はあまり良くない。
今に集中できてない状態になる。。
時間を忘れるほど集中してる時間が、本当に充実した時間を過ごしていると言える。
人と楽しく会話をしているとき時間を忘れる、好きな趣味に夢中になっているとき時間を忘れる、仕事に専念しているとき時間を忘れる。
本当に充実した時間を送っているとき、人は時間を忘れるもので、意識することすら忘れる。
これこそが、本当に時間を大切にしている状態と言える。
時間を忘れていることは、集中できている時間であり、充実している証拠である。
時間を忘れる時間を増やすことが、一番上手な時間の使い方なのです。
1日の内に、時間を忘れて集中してる時間を作ることは、人生の質を上げることに繋がる。
貴重な時間を充実した時間にするためには、物事に集中して時間を忘れることです。

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