お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

「やりたくない」と「興味がない」との違い

2024-01-21 03:55:02 | 日記
「やりたくない」と「興味がない」との違い
 
「やりたくない」と「興味がない」どちらも日常よく聞かれる言葉である。
意味合いが似ているため、混在して使っている人もいるが、二つの考え方は意味が全く違う。
「やりたくない」とは「嫌い」という認識がはっきりしていることです。
以前に経験があり、苦い思い出があったり、不愉快になることがわかっていたりするときに使う。
たとえ経験がなくても、あらかじめ自分が不愉快になるだろうと予想できるときにも使う言葉です。
やりたくないことは、嫌で、ただ不愉快になるだけなので、やる必要はない。
無理をしてやっても、余計に嫌いになるだけです。

しかし「興味がない」ことは全く違います。
「興味がない」とは「面白いと思わない、心が引かれない」という意味です。
必ずしも「嫌い」という感情が伴っている訳ではない。
興味がないのは、まだやったことがないせいか、経験があるが面白さや魅力に気づいてないのかもしれない。
興味がないことをやってみると、意外な面白さに気づいて、新しい世界が開ける可能性はある。
「やりたくない」ことはやらない方がいいが「興味がない」ことはやってみる価値はあります。
だが、やる限りは成功・失敗に関わらず結果責任は自分にあるのは当然です。
「興味がない」ことでも、やってみることで新たな可能性を発見できると楽しみが増えるかもしれない。


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心の安定とお金の関係

2024-01-20 04:56:56 | 日記
心の安定とお金の関係

人間は、物々交換の時代を経て、お金という便利な道具を作り出した。
そして今では、そのお金は心の安定にまで影響を及ぼす存在になっている。
しかし、お金自体は、善でも悪でもなく単なる道具である。
お金に対する印象は個人によって違うが、多く持ってることに不満を感じる人はいない。
そして、心に余裕をもって生活するには、ある程度のお金は不可欠である。
例えば、今日食べていくのがやっとのほど貧しい生活だと、食べる事で頭が一杯で心に余裕がなくなる。
当然、人を助けたり、優しい言葉をかけたりする余裕などなく、生きることに精一杯になる。
人付き合いも、気持ちはあっても礼儀を欠いたりすることもある。
そんな状態に於いては、先ずはお金が前提条件になる。
ある程度のお金あれば生活が安定し、人にプレゼントをしたり、優しい言葉をかけたりする余裕が生まれる。
お金には精神を安定する効果があることは素直に認め、道具として活用することである。
お金の話となると、なんとなく品が良くないイメージだが、現実的にある程度のお金を持つことで心に余裕を持つことは大事なことだと思うのだが。

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存在を表現するフィールドを持つことの意味

2024-01-19 04:47:55 | 日記
存在を表現するフィールドを持つことの意味

先日のブログで、自分を吐き出すフィールドを持つことは、頭の中で眠っている本当の自分が見えてくることがあると書きました。
今日は、その情報を吐き出す(アウトプット)独自のフィールドを持つ意味について書いてみます。
人間は会話や五感を使って様々な情報をインプットし、それらを選択し吸収し独自の情報として会得します。
そして情報から得た知識を発信することにより自らの存在を個性として表現そます。
僕はそのフィールドをブログという手段で発信し続けることで自己表現しているに過ぎない。
そしてブログというツールを使って僕の存在を表現し続けることで、考え方や心の変化に気付く時もあり自分でも「なるほど!」と思ったりすることもあります。
私が師とする桃知利男氏曰く「全く情報を発信しないモノは存在自体がないと同じなのだ」と言い切る。
現代社会は、種々雑多な情報が飛び交う中で多くの知識として脳に蓄積される。
そして自分の存在を表現するフィールドで自らの考え(個性)として発信します。
結果として、そのフィールドは自らの存在を多くの人に認識してもらう場として僕は捉えておます。

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他人がもってるから欲しくなる心理

2024-01-18 04:14:25 | 日記
他人がもってるから欲しくなる心理
 
「人間の欲望は他者の欲望である」フランスの精神分析家ラカンの言葉です。
他人が持ってるからこそ欲しくなる。
あまりに遠くの人には羨ましいと思わず、近い人に強い羨望を抱く。
同じものを手に入れれば今より幸せになれるのではないかという幻想から生まれる感情です。
しかし、手にいれた途端、熱情から覚めてしまう所詮は一時的な感情です。
例えば、どうしてあの人にあって私にないのか「恵まれた境遇」「何不自由ない暮らし」こんな経験は誰にでもあるはずです。
こんな不公平感とどう向き合うかです。
その人が自分から何かを奪ったわけではない。
つまり、いい意味で諦めることが大切です。
そして今いる立場でやるべきことをできる限りやっていくしかないのです。
そんな考え方こそ大切なことだと思うのだが。

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目に見えない意識が書くことで見えてくる

2024-01-17 04:42:10 | 日記
目に見えない意識が書くことで見えてくる
 
僕は、毎日ブログと云う手段を使って、思い付いたテーマについて自分の考えを書いている。
時々、書いている内に自分の本心が見えてくることがある。
決してそういう気持ちで書き始めた訳ではないが、結果として自分を発見する行為になってるのに気づく。
日頃から考えていることや思っていることでも、それらの意識は目に見えるものではない。
しかし、毎日の習慣として書いていると、もやっとした意識が、はっきり目に見える形で表れる時がある。
自分が読んでも「なぜこんなことを知っているんだ」と思うようなことや、書いている途中で、自分で「なるほど」と頷くようなことがある。
人間には目に見えないもやっとした意識が「書く」という行為によって目に見える形で外に吐き出される。
その吐き出されたものが、本来自分の中に溜め込まれた、感情、考え、意識などにあたる。
それらが自分でも気づかなかった「もう1人の自分」の一端が見えたのだと実感する。
日常の生活の中で、瞬間的に感じたり思ったりしていることは、頭のどこかで蓄積されている。
それらを吐き出すという行為、つまり、書いてみることで見えてくることがある。
自分を吐き出すフィールドを持つことは、頭の中で眠っている本当の自分が見えてくるものだと思うのだが。

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