昨日喫茶店で奥のほうで席を立つ自分と同い年ぐらいの男性がいたので、そちらへ行こうとしたらその人が自分のほうを見るのでなんだろうと思いつつ、その席に座ろうとしたら、机を汚したのでふきますと言われた。
自分は疲れていたたこともあったせいか、何でそのようなことを言うのかややいぶかしく思いながらせきについた。
そして机をよく見ると透明なガムシロップがたしかについていた。
それと気づくとほぼ同時にその人がもどってきてぬれ紙ナプキンのようなものを取り出して一生懸命机を拭いた。
自分も同じようなことをしようとした。
お互いに「いいです」などと言いながら一生懸命拭いた。
今思い出したのだが、昔、たぶんこの国では一番難しい大学を受験した時のことトイレに何人か列を作って前の人があいたと思ったときに「ちょっと待って」と言ってトイレットペーパーをとってきてくれた人があった。
またかなり以前に銭湯に通っていたころにいきなり「すいませんゴキブリ」などと言って自分がゴキブリを踏んでいたことを知らせてくれた人もあった。
むろん知り合いで色々と親切なことをしてくれる人もある。
自分の周りが全て親切な人ばかりと言うのではもちろんないし、人に裏切られたこともあれば自分が裏切ることもあるだろう。
でも自分はできるだけ人に裏切られても裏切りたくないと思いつつこれまで生きてきたつもりである。
短時間のうちにすれ違う人や、何度か会うだけの人などいろいろな形で多くの人の親切に触れてきた。
自分はどんな小さな親切でも全く見知らぬ人からのものであってもずっと忘れないことが多い。
最近はいやなことばかりが頭にこびりついてはなれなかった気がする。
でも感謝すべき人ももちろんこの世には多い。
自分は感謝されるべきだと思いつつも逆に感謝すべきだと言うようなことを言ってくる人ももちろんたくさんいる。
もしかしたら、今これを見ている人の中に自分が感謝しい人たちも含まれているかもしれない。
その場でそこの全ての人に感謝申し上げられなかったりしたかも知れないし、ある意味自分はその人たちの期待や親切に答えられないと言うか、裏切ってしまったのかもしれない。
またこれからも裏切ってしまうことになるのかもしれない。
でも自分は結局そんな人間なのだと割り切って生きてゆくのが自分に与えられた生き方なんだろうかとも思う。
もし人に裏切られるようなことがあまりにも多いのであれば、それは自分がその程度の人たちとしか付き合えないようなたぐいの人間だからかもしれない。
昔習った英文で「友達を選ぶのに注意しすぎることはない」と言うようなものがあってあまりピンと来なかったけれど、今その言葉の意味を自分は深く噛みしめている。