最近はニュースなどはあまり見ない。
なぜかと言うとはっきり言ってあまりにもばかばかしいからだ。
そんなことは最初から分かってはいたが、「ブログ」というものである程度意見をいうことができることの興奮を味わっていたのかもしれない、と毎日更新していた頃のことを思っている。
しかし最近嫌でも目や耳に飛び込んでくるニュースを見たり聞いたりしていると、どうも「自民党」という組織や安倍晋三という個人に関して自分はとんでもない思い違いをしていたような気がして残念でならない。
はっきりとは分からない、というより、信じられないことだが、この首相の座についたとされる人物は「郵政造反議員」の復党に関してGoサインを出したようだ。
一体どういうことなのか、この人の言い分を聞いてみないと分からないが、先の総選挙でこの安倍という人物はいわゆる造反議員に対して刺客候補を送る立場にあってその選挙手法を実行した人物であったはずだ。
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自民党に投票した人はその選挙手法をも認めて投票したものと思われるが、首相になってまもなく、あの造反議員に対して恩赦のようなことをしているのは一体どういうことなのか。
はっきり言って選挙権を持つ国民の一人として言わせてもらえば、「誓約書」を造反議員に出させる前にまず安倍首相をはじめとする自民党幹部に誓約書を書いてもらいたいです。
というか、いわゆる刺客候補の方々も契約書のようなものをきちんと自民党と取り交わしておくべきだったと思うが、まさかこんなに早いとこ造反議員が戻ってくるとは自分も思わなかったし、「刺客候補」の方々も思わなかったということでしょう。
早い話が「世間知らず」というか、政治の世界が「一寸先は闇」ということが頭では分かっていても実感できていなかったのかも知れませんね。
安倍さんには国民に対して誓約書を書いて公開してほしいわけですが、その中身は自分で考えるか、それが無理なら昔の家庭教師だった平沢勝栄さんにでも考えてもらってくださいな。
こういう人が総理大臣とは全く情けない、というよりあきれますな。
こういう人は政治家ではなくてサラリーマンをずっとやっていたらよかったんでないですか?
すいません、サラリーマンのみなさんに失礼なことを申し上げました。
やっぱり「生まれつきの政治家」だということなんでしょうか。。。
この人が政治家にならなければ少なくとも自分はこんなにストレスがたまることはなかったでしょう。
なんつったってこの方のお父様が亡くなった時には本当に残念に思ったものの一人として、これほどまでに私を失望させてくださるとは思いませんでしたよ。
ようするに政治家というのはいわゆる世渡りというのは違うかもしれませんが、柳が揺れるようにあっち行ったりこっち行ったりするのが出世の秘訣なんでしょうか。
あるいはどんなに周りから批判されても全くおかまい無しの人たちの集まりなんですかね。
ちなみに最近安倍首相は全国の知事にお説教されたそうですね。
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不祥事に関して述べたものですがこんなことをおっしゃってますね。
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政治家にとっての初心とは選挙で選ばれた時の民意だ。一連の不祥事が事実なら知事は民意に背き、選挙時の熱意や志を忘れたのではないか。
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やっぱり政治家の人とかテレビに出てる人というのは自分のことを棚にあげられる人がもっとも成功するということでしょうかね。
先ほどリンクで示したニュースのページの内容を少しでも覚えてる者には知事のみなさんに安倍総理が言った言葉はまず安倍総理が自分自身にいうべき言葉ではないかと思うのですが、ようするにこの人も自分のことは棚の上に上げて恥じることがない人だということのようですね。
「士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しと為す」(過ちがないことを重んじるのではなく、過ちを改めることを重んじる)という言葉も引用したそうですが、今ご自分のなさってることが「過ち」だと思ってくださるよう希望します。
このままもし野田聖子をはじめとする「造反議員」が復活するとすれば、国民から見ればいわゆる刺客候補の方々は「だまされた」ようなものではないでしょうか。
委員会採決に欠席したとかで、処分されかねない状況にある方も数名おられるようですが、まず今の自民党幹部がやろうとしていることから果たして本当に自民党のためになるのか、有権者を裏ぎることにならにのかよく考えてほしいけど、無理でしょうね。
造反議員が自民党にもどったら刺客候補の方々はそのうち政治家なんてやめてしまって評論家としてコメンテーターや講演活動などをしたほうがいいかもしれません。
政治家になるにはあまりに優秀な人が自民党のような組織でつぶされてゆくのはあまりにお気の毒な気もしてきました。
それぐらい自分はあきれてるということです。
自分も決して完璧な人間ではないですが、とにかく正直者が馬鹿を見る世界だとつくづく思う今日この頃です。