妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

すいませんがコメントはご遠慮いただいてます。選挙公約に関する記事はカテゴリから「野田聖子批判」を選択してください。

Winny判決に思う。そもそもこの問題は裁判になじむのか?

2006-12-14 23:57:27 | ど素人による法律問題

ウィニーの開発者に対する判決が出た。自分はこのソフトを使ってはいないし、この事件に関する情報も断片的なものしか見ていない。またこの判決に関する情報もこちらを見ただけである。

しかしそれにしても気になる部分は多い。

まず事件そのものよりも自分としてはこの事件が事件として成り立つにあたって考えなければならないことをいさか主観的な書き方になるがまず記しておきたい。

ウィニーというソフトはまずネット上でファイルを「やりとり」できるソフトであるらしいが、そのソフトを使うにあたって匿名性が保たれる細かい工夫が幾重にもなされていることに特徴があるらしい。

まず自分に言わせれば「匿名性が保たれる」ということが、このソフトを際立たせているようだが、これがこの事件を事件として成立させる要因足りうるのかどうか極めて疑問である。

もっともこのソフトの性格自体に判決において違法性が認められているのかどうかは上にリンクを貼ったページを見ただけでは判断はつきにくい。

すでに以前にもこのブログで書いたと思うのだが、他にもビデオ・テープなど著作権を侵害する利用の仕方もされかない機械などはもちろん匿名どころか利用者の状況は全く誰も把握できるわけがない。

つまり、このウィニーというソフトはネット上でのファイルのやりとりは「足がつきやすい」という状況のなかで、他のソフトと比べて著作権侵害に使われる可能性が高いということであって、もちろん著作権侵害に当たらない使い方もできるはずであろう。

つまりそもそもこのソフトが問題視されやすかったのはネット上でのファイルのやりとりというものが「匿名」ではしにくかったという状況があったからであって、このソフトそのものが匿名性を高めるという点では際立ったのものであったにしても他にも複製をする機械やソフトはいくらでもある現代においてこのWinnyというソフトだけを著作権侵害を助長するものとしてとりしまること自体無理があったと自分は思わざるをえない。

ましてや開発者一人を逮捕して起訴するにはよほどの状況証拠がなければまず無理であると思ったのであるが、上にリンクを貼ったところを見てもそれに充分な証拠が挙げられているとは思われない。

先ほど自分はビデオ・テープも著作権侵害に使われうるということを書いたが、何を言っているのか、と思われる方もおられると思う。

しかしそのようなことを思わせているのはビデオ・テープという機械がすでに世界中に広まっているからではないだろうか。

これはすでにここで以前書いたことだが、たとえばDATなどが開発された時にかなりこの機械に関して疑問を呈した人が少なからずいたはずである。

たとえば今はCDの複製ということもみんながよく知っている大会社のソフトの機能の一部でできるようであるが、ほんの10年ほど前はCD自体を複製する機械が単体で売られていて、それと相前後する形でCDを複製するソフトが流通しだして今は大会社のソフトの中に組み込まれた形になっているため、CDの複製ということがきわだつソフトや機械が単体としてはあまり見なくなってしまっているということになっているにすぎないが、実際にはそのようなソフトにしろ、何にしろ著作権侵害に使われる可能性は充分ありえることであって、Winnyだけがなぜこのように開発者が起訴され、身柄拘束だけでなく勤務先の捜索などをへて起訴されしかも有罪になるかといえば自分に言わせればこの開発者に対する「心証」が悪いということをぬきに考えることはできない。

裁判における心証というものは非常に厄介なものであって、本来否定すべきものであっても否定しつくすことのできないものであろう。

これは裁判において被告が裁判官に与えた心証というよりも自分がこの人からえた心証ということになるかもしれないが、ようするにこのソフトの流通の仕方というもの、あるいは「巨大掲示板」を使ったいわば自分にいわせれば「おきて破り」のPRの仕方というものがようするにこの開発者の「今のところ」ではあるが、「身の破滅」をもたらしているのであって、たとえばこれをフリー・ソフトとしてどこかの名の通ったソフト会社を通じて流通させれば全く問題なくこの開発者も社会的名声を売ることができたのではないだろうか。

むろん、このソフトの性格上それは無理であろうが、いずれにしてもようするにここで言いたいことはこの開発者が最高学府に身を置く研究者でありながら、「巨大掲示板」に出没して自分のソフトをPRしたという点がもっとも問題なのであって裁判において、あるいは警察に対して心証を悪くしたということもったのではないか。

この開発者がどのような発言をしていたかということに関してはあまり確認できてはいないが、ようするにこの開発者が国家の側にいながら、おそらくはその身分や境遇よりも巨大掲示板で活躍できるということにおそらくはそこにある危険性に気づきながらもその抗しがたい魅力に思わず身をゆだねてしまったという時点で国家から断罪されるのはいたし方ないわけである。

巨大掲示板に公務員は書くな、というと非常に単純化した言い方になってしまい、あまり同意される方はいなかもしれないが、内容などにもよりますが書くなら目立たないようにやったほうがよさそうだということならおそらくおおかたの方は理解してくださるのではないだろうか。

結局内容や書き方にもよるのだろうが、この開発者の方はどう考えても自分から見ると国家の側からすると「裏切り者」とは言えないまでも、そこにおさまり切れない人であることは間違いないでろう。

そして国家の一部である裁判所においてこのような人物の言い分が果たしてどれだけ認められるかと言えば、どのようなことを言うにせよある程度のバイアスを通してしか理解されない可能性は高いのではないだろうか。

裁判所というのはまず司法試験を通った裁判官によって裁判が行なわれるわけであるが、司法試験にインターネットに関する科目がないことを考えてもこうした問題がどの程度の理解や検証をへて審理されるかということははなはだ疑問である。

極端な話し、全ての裁判官がパソコンを使えるとは限らないわけで、その点をまずこの開発者が裁判で裁判官に裁判の場で聞いたとすれば裁判官の心証は悪くなること請け合いだが、いずれにせよこの裁判を審理する側にはただ単に「判事」という肩書きだけでは不十分であることは明白であって、裁判官がITに関してどれでけの知識があるのか本来なら公開されてしかるべきではないだろうかとさえ思う。

これはあくまでも想像だし、開発者のかたにとっては厳しい言い方になるかもしれないが、はっきり言えばこのような判決が今後も出ることによって、このような先端的な技術に関してこの国の裁判という制度が全く対応できないというようなことが明らかになってそのことに国民の耳目が集まりなんらかの改善が希望されるようなことにでもなればいいのではないか、とすら自分は思っている。

それもはっきり言って望み薄ではあるが。

それほどまでに先ほどリンクを貼ったページの判決の骨子のようなものは自分には納得がゆかない点が多い。

ここで誤解なきように断わっておくが自分は著作権は守られるべきものであるし、これからも法整備がすすめられてしかるべきものであるとは思っている。

しかしこのような自分には曖昧な心証を並べ立てたような判決の骨子がでるようでははたしてこれからむしろ著作権というものが守られてゆくのかどうかさえ心もとないとすら感じられる。

これも曖昧な言い方になるが、科学技術が進化し、複雑化した社会において全ての裁判に対応できる能力が司法試験においてとわれるわけではないし、既存の法律では判断できないこともあるわけでだからこそ判例というものがある程度重んじられてゆくわけであるが、たとえば著作権ということひとつをとってもこれに限らず色々と難しい問題などが起きてくることは充分ありうることではないか。

ここで全く話は変わるが、NHKの『生活笑百科』という番組で最近著作権を扱った回があったそうだ。

そこでの回答に疑問を呈した人がメールで番組に問いあわせて、結局12月23日の放送でそれと同じ内容のものが再び扱われることになったらしい。

それほど難しい問題ではなかったと思うのだが、どうも番組でこたえた弁護士の答えかたが疑問を生じさせるものであったらしい。

裁判というものは複数の裁判官が参加し、三審制という制度ももちろん裁判というものが必ずしも無謬というわけではないことから保証されている制度であるから、今後このWinnyの開発者の裁判がどのように推移するかは分からないが、すでに逮捕され、勤務先も捜査されている人が無罪になるのはかなり難しいでのではないかと自分は思う。

判決の骨子に関して自分は一つずつ論駁したかったがもう腕が疲れた。

自分はこの開発者のように頭がよくなくてよかった、といっては怒られるというよりも笑われるであろうが、この国においてはこういう人は表社会で復権することはまず不可能だという気がする。

自分は理科系の人間ではないし、あまり優秀なわけではないが、優秀な人間が社会からつぶされるということが色々な場面でありうることは想像できる。

おそらくこの開発者もそのように社会あるいは国家から現実に握りつぶされてしまう人間の一人のように思えて悲哀の情を禁じえない。

むろん自分は人を同情している場合ではなく、うらやましいという点もあるが、それについてはここには書けない。



佐藤ゆかりは記者会見で全部自分で勝手に「支部長」という言葉を何度となく発したのだろうか

2006-12-14 02:01:32 | 野田聖子批判


最近色々と人様に抱いていた期待が裏切られたというかもろくも崩れ去ったというようなことが相次いでいるわけだが、自分を省みてみるともちろんそういうことはあったであろう。

はっきり言ってそういう自分だから人にも裏切られるのかも知れない。

自分が裏切られたと思っている人から言わせれば「お前こそ」ということになるんだろうと書いてきて、このことは前にも書いたな、と思い当たる。

よく考えてみるとここもだいぶ放置するようになってしまって申し訳ございません。

それといわゆる刺客候補の方にも失礼なことを書いてしまったかも知れないので自分もそうしたことなども含め色々な人のご期待を裏切っているかも知れないのだが、それでも安倍総理だけでなく、小泉元首相にも大変失望させられたということは言わせていただきたい。

小泉にしてもこれだけ造反議員の復党が世間的に注目を浴びているのから「使い捨ては当たり前」のようなことを「小泉チルドレン」の前で言ってないで、造反議員の復党に関してきちんと国民に対して説明すべきではないのか。

とにかく政治家であれ自分の周囲の人間であれあまり期待しないことだと感じる今日この頃。

先週あたりのワイド・ショーやそのダイジェストのようなものなどを見ているとあいかわらずテレビや週刊紙などというものはいとも簡単に世論操作というものをやろうとしているな、と感じられる。

何がまずいといってたとえば、ゲストのコメンテーターみたいな人たちに何か言わせるだけでなくて、岐阜一区の選挙民の声を聞いたりする場面がいくつか流れるが、たとえば「野田聖子に裏切られた」と怒る人がまずいないということである。

テレビに向かって思いっきりいかりをあらわにすることはさすがにできないという人が多いだろうが、街角のインタビューでそういう風に怒る人がいないと見てるほうまで、怒ってるのは自分だけで、きっと自分は大人気ない人間だ、あるいは怒りやすい人間だ、と思っておとなしくしなければ、あるいは政治家に期待しても仕方ないという、まさに「政治に対して無感心」な人をますます作りかねないのではないだろうか。


テレビではおもに選挙区調整と言った話しばかりが取り上げられているようだが、ようするに政策の中身は伝えられることはない。

早い話が、こういう政治風土、あるいはこうしたマスコミの世論操作によってこの国の政治というものは形づくられてきたと言っても過言ではない。

そのような政治風土をくずす政治家が小泉純一郎であり安倍晋太郎ではないかと思ったのは自分だけであったろうか。

最近佐藤ゆかりの記者会見で「支部長」という言葉がいくどとなく繰り返されたということが、これまたいくどとなくテレビで報道されている。

しかし、われわれが目にすることができるのは、「支部長」という言葉を佐藤ゆかりが口にしている場面ばかりであって、記者からの質問の場面などは全く映っていない。

他にも何度も繰り返された言葉があったはずだが、いずれにせよ、記者からの質問があったのか、無かったのかは記者会見の全てが流れたわけではなかったので判断はできない。

もし記者の質問に答える形で「支部長」という言葉を繰り返したのだとしたら、そのことにはもちろん触れるべきであろう。

佐藤ゆかりのほうでももしそういうことがあったならば自分のサイトで説明してもよいのではないだろうか。

もしかしたら何か書けば誤解される、あるいはねじまげられる、と思っているのかもしれない。

自分は佐藤ゆかりが支部長ということを繰り返しても問題はないと思うがテレビをみる限り、まるで佐藤ゆかりが威張っているかのような印象操作をしているように思えてならなかった。

もし支部長という言葉を引き出させるマスコミの質問があったなら佐藤ゆかりが「支部長」という言葉を繰り返すのは当然だと思う。

その事に関しては確かめようがないが、記者からの質問にこたえる必然性からというのではなく、自分一人で20回以上(たしかテレビの番組では「21回」だったように記憶している)もこの言葉を本当に発したのだろうか。


たしかに今は選挙期間中ではないからある程度の報道の自由はあるだろうが、あまりにも一方に不利な報道のしかたは明らかに問題である。

このように書けばすぐに「報道の自由」あるいは「言論の自由」などということを言い出す人もあるかもしれないが、たとえば週刊紙にかかげた写真にあまりよろしくない言葉を載せているあるところもあるようだ。

こうしたものを見過ごしていてはよくない。

政治家本人だけでなく所属する政党が全ての党員を守る立場にあるなら、しかるべき対応をしてほしいものだがもはやあの政党に期待すること自体が間違いであるようなので、どうしようもないという絶望の言葉で今日もこのブログをしめくくらなければならないのがとても残念だ。

最後になるが小泉が「チルドレン」の前で「使い捨て」云々まくしたてていたのもたしかその「演説」の一部であったと思う。

最近、政治に限らず何がなんだかわけが分からなくなってきたが、これもテレビに関して昔言われたところの「一億総白痴化」とかいう効果?なのかもしれない。