自分のように唯物論と汎神論の間をつねに揺れ動いている者にとって柳澤厚生大臣の「産む機械」発言にそれほど驚きはしない。
またそれをきっかけにマスコミなどが怒り出したことにもそれほど驚きはない。
あまりよい発言ではなかったと思うのだが、やはりマスコミや野党の反応は過剰反応であるという印象は否めない。
まず柳澤発言の中で彼は原稿などは用意せずに言ったようだが、その場で謝っているということはおさえておくべきではないだろうか。
そして彼は女性を「産む機械」に「たとえた」のであって、「女性は産む機械である」と言ったのではないのではないだろうか。
おなじことだと言われるかもしれませんが、自分は違うと思います。
これが不謹慎な比喩であるとか、そんな比喩は必要ではないということはよく分かるが、この東京大学卒業の元・大蔵官僚からするとどうしてもそういう言い方のほうが分かりやすく聞えるというより「かしこく聞える」という考えが無意識のうちに働いたのではないかという気がする。
そして、おそらく「再生産」というようなことも言いたかったのであろう。(似たようなことを最近野党の首脳が言ったらしいが、それほど問題視されていないようだ)
産む人の数は決まっているというのはそうだろうけれど、むしろ柳澤氏の言いたいことは違うところにあるような気がする。
演説の一部をパネルで見た程度なのでなんとも言えないが、柳澤氏が言いたかったことは、ようするに一人しか産まないという人にそれ以上産むことを期待しても無理だということを言いたかったのではないか。
あるいは独身の人や産むことをあきらめた人に対して子供を産むように期待するよりも、すでにお子さんがいらっしゃる人に二人めや三人めを期待する政策が必要だということをいいたかったのではないか。
言い方がまずかったことはその通りであるが、はっきり言ってこういうことなら自分は全く問題なく首肯できるし、ありふれた議論ですらあると思う。
これが穏当な比喩かは分からないが、たとえばPCを売る会社の宣伝スタイルとしてPCを買ってない人よりもすでにPCをもっている人に二台め、三台めを買わせようという方針をたてるような政策が必要だということを言いたかったのではないかと自分は思う。
むしろ少なくとも産まないことに決めた人にとってはこういう言い方が傷つくという人もあるだろうが、むしろ期待しないでくれという人にとってはありがたいという人もいないとも限らないのではないか。
ようするに、そういう議論をさせないのがマスコミや野党の悪いところだと自分は思うがでは一体彼ら・彼女たちは一体どういう具体的政策を持っているのであろうか。
はっきり言って自民党と変わりないものしかないだろう。
ようするにそれぐらい少子化対策というのは議論するのが難しく、有効な対策が難しいものなのだということをごまかすためにこのように柳澤批判をしているのであるともとれなくもない。
ちなみに野党にも向けられた事務所に関するいろいろな問題はこの間完全にすっ飛んでしまった。
誤解がないように言わせてもらえば柳澤氏の発言に問題がないとは思わない。
たしかに「健全」発言は「産む機械」発言以上に誤解を招きかねない発言であるとも思う。
その点は小宮山洋子も国会で言っている。
ではどうして「産む機械発言」で審議拒否していながら、この「健全発言」で大臣辞職を求めて審議拒否しないのか。。。。
ようするに野党というのは確固たる「自分」というようなものはないのである。
つまりこの発言をとらえて批判すれば国民の支持を得られえると思ったからフジテレビの深夜のニュースでの滝川クリステルの言い方(たしかこういっていたと思うがこれも問題発言ではないのか、野党にしたら)を使えば「噛み付いた」ということではないのか。
本当に自分たちの信念に基づいて審議拒否したなら「健全」発言でもやはり審議拒否すべきであったし、そもそも審議復活も早すぎるのである。
ようするに野党がやっていることはその場しのぎの行き当たりばったりの批判や行動であってこういう人たちに少子化問題を論ずる資格は全くないといえる。
ちなみに産む人は産めばよいし産みたくない人は産まなきゃいいのだから、大臣が不健全と言おうが「苦しぅない」と言えばそれでいいのではないかと自分は思う
マスコミにしてもそうであってこういう場合にNewsweekの記者にマイクを向けてこんなことアメリカでは考えられないでしょう、けしからんね、日本はと言わせたくて、実行に移すのはいいがスタジオによんで野党の審議拒否の感想を聞いたら「よくない」と一刀両断だったね。
古館もバツが悪そうというか、困ってたね。
だいたいこういうときに外国ではとか世論調査だとかそんなことに頼りすぎですよ。
自分が正しいと思えば正しい、けしからぬと思えばけしからぬ、それでいいではないか。
ようするにこういうマスコミの態度というのは参考文献やら謝辞ばっかり多くて中身の薄っぺらい「学術論文」とおんなじなわけだ。
こういう人たちの意見にしたがうのもけっこう、反発するのもけっこうではあると思う。
言論の自由ということも尊重しなければならないと思うからね。
野党の人には意外かもしれないけど、『人間機械論』という本だってあるし、それ以外にも似たような議論とかは最近でもあるわけで、そういったことは意外ではないどころかようするに大臣が堂々と言ったから「けしからぬ」ということなのだろう。
でもやっぱりそれなりにつりあいというかそういうものも考えるべきではあると思う。
たとえば「レイプ容認発言」と「柳澤発言」を比べたらこれも不謹慎とおこられるかもしれないが、やっぱりどう考えたって野党やマスコミは怒りすぎでしょう。
小宮山洋子にしても「許されることと許されないことがある」って、そりゃたしかにそうではあるとは思うけれども、これは偉い学者先生のお嬢様がおっしゃるのでなるほどと思えるけど、亀井静香とか鈴木宗男なんかがいったらかなり怖いというか恫喝でしょう。
(このあたりで某スーパーから電話が来てとった。電話番号をメモしなければならなかったが、ペンなどがなくてPCで打った。そのメモ帳を消そうと思ってこれを消してしまったかと思った。すごい脱力感に襲われた。ヤッパこの分はアップしようと思う。
女性には嫌われるだろうがそれでもいいや?!)
さて、何の話をしていたのかわからなくなってしまった。
怒っているのではなくて女性に怒られたり嫌われたりしないか怖いのである。ようするに女性というのはマスコミや野党のようにこういうことを言ってはいけません、という意識を男性に植え付けるわけである。
だから男性は女性問題や少子化問題からますます遠ざかるというわけでこれが女性のがわの専売特許、一種の既得権益になってしまっているという点も考えなければならないであろう。
さて、実は上のことはあくまでも一つの見方というかこれから書くことの前提にすぎません。
不快に思った方がいらしたらごめんなさい。
さて、もう腕や腰が痛くなってきたのであるが、朝日新聞の2月8日の社説はこう結ばれている。
それにしても解せないのはNHKの姿勢である。国民の関心がこれだけ高い集中審議を中継しない公共放送とはなんなのだろう。
「国民の関心がこれだけ高い集中審議」というのは一体どういう根拠なり数字をもとに言っているのか示されていない。
だいたいにおいてNHKはこの国会審議を何べんも中継したのである。
であるから中継しないというのは正確ない言い方ではない。
中継をやめた、と書くべきではないか。
だいたいにおいて国会の審議というものは「国民の関心に」応じて流すべきものと流すべきでないものとあるということなのか?
よく分からないがいずれにせよ以前放送されていたドラマ『マッチ・ポイント』の再放送は中断されたのみならず最終回分の再放送が今のところ消えてしまったようである。
これは全く自分にとっては青天の霹靂であった。
NHKは今度は朝日の社説の圧力に負けたのか。
情けなさすぎだぞ。
朝日もそんなに国会中継しろというならテレ朝にやらせればいいのに公共放送の放送内容に圧力をかけるのは卑怯だ。
NHKもNHKで一つの新聞に公共放送は唯々諾々としたがうのか、それが公共放送のありかたか?
国会審議も大事だろうがドラマも大事だよ。
国会審議のほうが大事だというならドラマなんか作るのやめてえんえんと国会中継してればいいだろう。
金曜日だったかの審議のもようは一部見たが、民主党だって柳澤発言なんか取り上げてなかったよ。
明日はどういう質問をするのか見ものだよ。
というかせっかくNHKが中継してくれているのに柳澤発言を取り上げなきゃ朝日の社説がなくというかそのことを今度は朝日の社説が批判すべきではないのか。
とにかく「マッチポイント」の再放送がなくなってしまったようなのは残念だ。
自分に言わせればあのドラマだって少子化問題と関係なくはないんだよ。
副題は「女が勝負をかけるとき」なんだよ。
そういドラマの再放送をつぶした朝日新聞のほうがよほど女性蔑視というかそんなことは知らないんだろう。
自分がこんなこと書いたってなんにもなりゃしないことは分かっているんだが、NHKには本当に困った。
4千字を超えたけど載るかな。。。
載ったみたいだ!
すげぇ
文中敬称などは統一できませんでしたすいません。
それと国会中継のためぼつになった番組は他にもあると思います。
それはよく知りません。謝ってすまないことかもしれませんが謝ります。
許してください、すいません。
そういえば小宮山さんはNHKにいたんですね。
なつかしいなぁ。