朝日新聞の社説は本当にひどいものだ。
あらためていうまでもないがこの点を今日の社説こちらの下のほうですについて見てみるが、ここで問題だと思うのはまずこのようなくだりである。
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首相発言の内容は、河野談話が出されて以来、それを批判する人たちが繰り返し持ち出す論理と似ている。業者がやったことで、日本軍がさらっていったわけではない。だから国家の責任はない、というのが批判派の考えだ。**************************************************************************
ここでは「似ている」と書かれているが、「それを批判する人たちが繰り返し持ち出す論理」についても首相発言についても大雑把に書かれているだけで、「似ている」と言われればなるほど「似ているなり」と思うしかない。
つまり読者に考える余裕を与えずどんどん話しを脹らましてゆく。
こういうやり方で「話しを膨らませてゆく」ことが自分にも許されるなら、慰安婦に関する証言などもずいぶん膨らまされてきて、その矛盾が指摘されたことはいまさら指摘するまでもないはずだが、むろんそういうことは朝日は一切触れない。
そして朝日は「今回、一部のメディアが『問題の核心は、官憲による『強制連行』があったかどうかだ』と主張したのも、それに相通じるものだろう」として、「しかし、そうした議論の立て方そのものが、問題の本質から目をそらそうとしていないか」としている。
しかしその直後でこうも言っているのだから恐れ入る。
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どのようにして慰安婦を集め、戦地に送り、管理したのか。その実態は地域や時代によって異なる。しかし、全体としては、植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ、日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない。
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「植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ、日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない」という部分の特に「意思に反して連れて行かれ」という部分はどう考えても「強制連行はあった」と言っているのに等しい。
つまり従軍慰安婦問題を論じるに当たって「強制連行」の問題は避けては通れないことは朝日自身が苦し紛れの中でおそらくは無意識のうちに認めてしまっているのである。
したがって、先に引用した朝日の「しかし、そうした議論の立て方そのものが、問題の本質から目をそらそうとしていないか」という主張はまったく意味をなさない。
また朝日はこうも言っている。
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補償問題はすでに国家間で決着ずみだとして、政府は女性基金という道を取った。私たちは社説で「国家補償が望ましいが、次善の策としてはやむをえない」と主張してきた。日本として何もしなかったわけではないのだ。
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自分に言わせればすでに少なくとも韓国に関してはいわゆる日韓基本条約で解決済みであるから、韓国の一部の国民が新たに戦後補償を求めるのは明らかにこの条約の破棄を宣言しているものであって、もし韓国政府がこのような主張を黙認しているのであれば日本が韓国に対して行なった戦後補償としての経済協力をまず返還するのが筋というものであり、日本の裁判所が慰安婦の提起した訴訟を成立させてしまったのは無茶苦茶な話である。
つまり、少なくとも賠償金要求に関しては政府もその他の国民等も「時効」あるいは「解決済み」ということのみをいうべきであったのに、朝日があまりにも騒ぐものだから、他の「歴史家」も騒ぎ出すという連鎖を生み、その騒動の中で、そもそもの証言の矛盾も明かされるということではないのか。
この問題を扇情的に騒ぎ出したのは朝日であって、その騒ぎによって補償を得られることもなく傷ついているのは慰安婦自身であり、本人たちも気づいているだろうが、朝日自身も論理矛盾に満ちた苦し紛れの社説で自分たちの無能を天下に知らしめることによって自らの首をしめているわけである。
朝日は「日本として何もしなかったわけではないのだ」としていながら、こうも言っている。
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日本は北朝鮮による拉致を人権侵害と国際社会に訴えている。その一方で、自らの過去の人権侵害に目をふさいでいては説得力も乏しくなろう。
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「『官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった』などと述べた安倍首相の発言が自らの過去の人権侵害に目をふさぐことになるのだろうか。
結局のところ朝日は強制連行はあったとあくまでも主張したいのではないだろうか。
それはそれでよいことであるが、強制連行の有力な証拠も示さずに「強制連行はなかった」というような発言をとらえて「品格ある国家の姿」を云々するのはおかしい。
朝日はようするに強制連行の証拠というのは自分たちは持ち合わせていないから「そうした議論の立て方そのものが、問題の本質から目をそらそうとしていないか」としつつ問題点をずらしているのではないか。
その結果がいかにひどい論理破綻をきたしているか、この社説を見れば、逆に強制連行があったかなかったかが従軍慰安婦の問題に欠かすことができないことがよくわかるというものである。
朝日が激賞して一切の批判を許さない「河野談話」こちらでしょうかにおいても「政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい」と書いてあったわけだが、ここにある「民間の研究」というものは一切この談話を批判するようなたぐいのものであってはならないということであったわけではなく、ようするに本人たちもこの談話をもってきちんと結論付けたというわけではないことをいわば逃げ口上のような形で述べたものだったのであろう。
朝日は北朝鮮による拉致と従軍慰安婦の問題をいっしょくたにしているが、こんなことを書けば北朝鮮幹部としては望外の喜びであろう。
もっとも拉致に関しては強制連行であった点はさすがの朝日といえども認めざるをえないであろうが、だとすればこの二つはいっしょくたにできるのか。
もっとも朝日は「強制連行」があったかどうかは問題ですべきではないといっているようであるが、まともに考えるとますます分けが分からなくなる。
昨日だったかの朝日も六カ国協議に関して北朝鮮擁護の姿勢を貫く社説を載せていたが、六カ国協議からは日本は離脱すべきであると自分は思う。
これに税金をかけていたら税金の無駄であるだけでなくかえって日本の安全は危機にさらされる。
正確に言えば朝日のこのような社説によって日本は危機にさらされてきているわけである。
とにもかくにも朝日の社説は安倍の発言をきっかけにして最後には北朝鮮政府の発言のようなとんでもない暴言でしめくくられていることにあらためて驚きのあまり倒れそうでこれ以上書くことができない。
以前読んだ小室直樹の本の中に書かれていたことだと思うが、裁判における挙証責任が原告の側にあることや、奥野誠亮がかつて「従軍慰安婦は商行為」だと発言し無茶苦茶に抗議活動がなされたことなどについて書こうとおもっていたが、残念ながらここで力尽きてしまった。
最後に重要なことを言っておくが、自分は慰安婦問題はゆゆしき問題であると思っている。
だからこそ朝日が「細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか」ということにも激しい憤りを覚える。
細かな事実にこだわらないなら新聞も歴史教育もいらない。
また慰安婦に金銭的補償をするというのも結局はそれが商行為と同じことになってしまうのでその要求そのものもかなり以前からよくないものだと思っていた。
もし朝日新聞が従軍慰安婦の問題を「民族や女性の人権問題ととらえ」るならば現在日本各地にある各種風俗産業に関してはどう思っているのか。
あるいはしがないサラリーマンなどが外国において買春していることはどう思うのか。
過去も大事であるが、もしも過去のことをいうのであれば、現在目の前で行なわれていることに目をふさぐのはそれこそ品格を問われるであろう。
ちなみに河野洋平は自分の談話に関して自らの談話が日本軍による「強制連行」を認めるものであったのか否か、あるいはその談話全体にわたる裏づけ証拠を提示すべきであろう。
とにかくこの問題は朝日や一部の歴史家などが騒いでいるようなやり方でこの問題を論じるべきではなくもっと冷徹なまでの客観性に基づいた議論が必要なはずだが一向に議論が進まないのはこうした朝日の逆上が原因であって、小室直樹の本にしてももう出版されてかなりの年月がたっているはずなのに、この国の議論はその著書のレベルに達することも永遠に先のように見える有様である。
ちなみにその本は一応今家の中で発見したがどうも違う本に書いてあったようである。
ようするにそれぐらい一部のマスコミや歴史家は昔から一日千秋のごとく(追記:これはひどい日本語の誤りでした。すいません。「十年一日のごとく」などと書くべきであったようです。) 同じことばかり言っているのである。
したがって、この記事に限らないが、この問題を考えるにあたって自分が書いたこともすでに多くの人がいっていることと重なる部分が多いと思うが、その点はご了承されたい。