どうもここ一週間のテレビニュースなどを見ていてあらためて疑問に思うことがマスコミの現場主義ということである。現場主義というのは何かということを分かりやすく言えば、事件やニュースがおこっている現場に行って取材をすべきということである。あるいは現地からの映像を生で放映するといったことであろう。具体的な例で言うと、これは他のブログで見たに過ぎないことであるが、有名キャスターが地震の被害地に行ってそこから生放送するというようなことだ。
これがどれほど意味のあることかということはそんなことはおろか今日は地震に関するニュースがかなり減ったということ一つとってもおして知るべきである。確かに今日は色々ニュースがあった。楽天の新規参入が決定したというニュースや、アメリカの大統領選挙、イラクでの日本人青年射殺など。しかし、考えてみてほしい。被災地に関する情報はこれからむしろ必要とされてくるのではないだろうか。
つい先日、NHKは避難場所にテレビが設置されつつある状況を伝えていた。であれば、(もし仮に安否に関する呼びかけの情報を流すのであれば)という2重の条件付だが、今こそ安否に関する情報は必要なのではないか。ところが実際は現地に関する情報はネットをのぞけば減ってきているのではないだろうか。マスコミの人たちは避難生活の人たちにはプライバシーがないという。その一方で体育館で寝ている人たちの顔を堂々と映すなどあまりにひどいプライバシーの侵害行為をやってのけている。
マスコミはこうした映像にあまりこだわるべきではないのではないかというのが私の意見であり、ネットとテレビの違いというのは実はそういうところに存在し、私のようにあまりテレビを見なくなったという人が増えているとすれば、ある程度それは評価されてもいい傾向のようにも思われる。
本当にわれわれが必要な情報は何なのか。全く何もできない自分のようなものがいうのはけしからぬかも知れないが、マスコミの現場主義ということで言えば、アメリカの大統領選挙でTBSの某有名キャスターがわざわざアメリカに行って大統領選挙を取材しているというのもこれまた「取材」とはどれほどのものであるべきだと考えての行動なのか。
昨日はあるアメリカ在住の評論家とスタジオで私がここに書いたこととほとんど同じことを話し、今日は特派員とやはり同じことをスタジオで話している以外ほとんど見るべきものはなかった。
これだけインターネットが発達している時代に現地に行くことで得られる情報というものがどれほどあるのかよく考えているのだろうか。それとも、東京にいてネットで見られる情報は訳したりできないのだろうか。
今日その有名キャスターは街角でアメリカ人にどちらに投票するかということを聞いていたけれどこれがいったいどれほどの意味を持つことなのか?
彼らはよく国会での原稿棒読みや読み違えを批判するけれどわざわざアメリカにまで行って彼らがやっているのはそれこそ典型的な「原稿棒読み」である。なら東京のスタジオでやればいいではないかと思う。もう数年前になくなられた久和ひとみさんはこうしたことに関して積極的に発言、執筆されていた方だったと思う。そうした問題意識を抱えた人は原稿一つ読むにしてもその読み方が具体的にどこがどうとは説明できないけれども読む表情などがまるで違っていたたと思うのは私だけだろうか。
これがどれほど意味のあることかということはそんなことはおろか今日は地震に関するニュースがかなり減ったということ一つとってもおして知るべきである。確かに今日は色々ニュースがあった。楽天の新規参入が決定したというニュースや、アメリカの大統領選挙、イラクでの日本人青年射殺など。しかし、考えてみてほしい。被災地に関する情報はこれからむしろ必要とされてくるのではないだろうか。
つい先日、NHKは避難場所にテレビが設置されつつある状況を伝えていた。であれば、(もし仮に安否に関する呼びかけの情報を流すのであれば)という2重の条件付だが、今こそ安否に関する情報は必要なのではないか。ところが実際は現地に関する情報はネットをのぞけば減ってきているのではないだろうか。マスコミの人たちは避難生活の人たちにはプライバシーがないという。その一方で体育館で寝ている人たちの顔を堂々と映すなどあまりにひどいプライバシーの侵害行為をやってのけている。
マスコミはこうした映像にあまりこだわるべきではないのではないかというのが私の意見であり、ネットとテレビの違いというのは実はそういうところに存在し、私のようにあまりテレビを見なくなったという人が増えているとすれば、ある程度それは評価されてもいい傾向のようにも思われる。
本当にわれわれが必要な情報は何なのか。全く何もできない自分のようなものがいうのはけしからぬかも知れないが、マスコミの現場主義ということで言えば、アメリカの大統領選挙でTBSの某有名キャスターがわざわざアメリカに行って大統領選挙を取材しているというのもこれまた「取材」とはどれほどのものであるべきだと考えての行動なのか。
昨日はあるアメリカ在住の評論家とスタジオで私がここに書いたこととほとんど同じことを話し、今日は特派員とやはり同じことをスタジオで話している以外ほとんど見るべきものはなかった。
これだけインターネットが発達している時代に現地に行くことで得られる情報というものがどれほどあるのかよく考えているのだろうか。それとも、東京にいてネットで見られる情報は訳したりできないのだろうか。
今日その有名キャスターは街角でアメリカ人にどちらに投票するかということを聞いていたけれどこれがいったいどれほどの意味を持つことなのか?
彼らはよく国会での原稿棒読みや読み違えを批判するけれどわざわざアメリカにまで行って彼らがやっているのはそれこそ典型的な「原稿棒読み」である。なら東京のスタジオでやればいいではないかと思う。もう数年前になくなられた久和ひとみさんはこうしたことに関して積極的に発言、執筆されていた方だったと思う。そうした問題意識を抱えた人は原稿一つ読むにしてもその読み方が具体的にどこがどうとは説明できないけれども読む表情などがまるで違っていたたと思うのは私だけだろうか。