ハリーボッシュの登場する小説に確か、挿絵としてエドワード・ホッパーの夜の街角にガラス張りのコーヒーショップの絵があった。都会の夜の、何とも言えず、静かな孤独を漂わせている。
映画「イコライザー1」に登場する、まさにあの終夜営業のレストランがそれだ。あの夜の店を外から見る映像が、なぜかたまらなく大好きなのだが、私の部屋の窓から見える真っ暗な県道を、昨夜9時少し前に、ガラガラの郊外バスがゆっくり通り過ぎた。行き交う車もなく、街灯も全くないので、暗闇をガラス張りの、内部が明るい丸見えの箱が、横に移動していく。
似ていると言うか、まさにこれだ、これだと思った一瞬。NYでなくても、北陸田舎の片隅でも、現代人の孤独を表す画題に苦労はない。最終バスに乗って、郊外の団地の住宅に帰宅する共働き夫婦の女性がいたとしたら、その姿がガラス越しに見える絵は、なかなかいい。
マイホームやマイカーなど、ローンと税金の塊を追い求める時代の現代は、実につまらない社会。その社会を根底から揺さぶり続けているのが、新型コロナの感染拡大。ゴールデンウイークを控えて、短期間に感染拡大を押さえ込もう、などと日本の間抜けなドンが口にしているが、それはあくまで、懐勘定から出ている言葉。
ウイルスは、そんな言葉を嘲笑うが如く、日々成長し、強力になっていく。変異株が更なる変異を繰り返す、まさに悪魔のようだ。フランスの親玉が、日々の感染者数が4万人から3万人に減ったので、規制を緩めると公表しているが、あまりに強い規制に身動きが取れなくなっただけに過ぎない。