24 黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

雪折れ

2021年12月26日 | 日記

どうやら、細かな雪は降り続いたが、日中に積雪は増えなかったようだ。ありがたい。ただ、かなり、木々や電線への荷重は増したようで、雪折れが至るところで発生寸前の気がする。

今夜の積雪次第だが、警報級の寒波も、日中軽自動車でスイスイ娘が街中からやってきたのをみると、市内はそこそこ道路除雪もしてあるようだ。ただし、日曜だから、通行量が少ないからかもしれない。

ガレージ前の除雪をして、かきもちを揚げて、ついでにちょっと、出し昆布も揚げてみた。パリパリと美味しい。

昆布の味も「西高東低」らしい。関西が上質な利尻昆布で、関東は関西の売れ残りか、一段おちる日高昆布の普及品とか。基本的に江戸前はカツオ出汁が主流で、関西系の昆布だしは使わない。

水の性質もあるが、原因は歴史。北前船の歴史のせいのようだ。グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などの「旨味成分」の発見者は全て日本人。世界に通用する「旨味」は昆布の歴史が一番のようだ。昆布はめちゃくちゃ奥が深い。そして、一番いい昆布は北海道で採れる。

まあ、こっちはそんな立派な美味しい昆布など、見たことも味わったこともないが、神前のお供物に昆布があることを不思議に思っていたから、やはり、歴史は古い。


ヤバイ!音の闇

2021年12月26日 | 気象

2021年12月26日(日曜日)午前6時30分:[  -2c/1c/100%  ]{getup0545} 雪

雪国に住んだことのある人でないと、旅行した程度では、なかなか分からない、この静寂。昨夜は、夜半ごろまでは風が強く、気温も低くて、細かな雪が吹雪いていた。気温が低い時は、それほど大きな積雪にはならないものだ。

寝る前は「大丈夫(朝になっても、10センチ程度)だろう」などと高を括っていたが、夜半過ぎにトイレに行った時、あまりに静かなので、「こりゃ、ヤバイかも?」と感じた。全く物音がしないのだ。

静かな夜は雪が降り積もる。全く、物音一つしなくて、魂まで吸い込まれそうになる程、実に静かなのだ。午前7時少し前になって、ようやく微かに外が見える程度、0.5ワットの明るさになったので、窓を開けて外を眺めてみる。

おお、安心した! 積雪は10センチから15センチの間だ(いや、甘い! 20センチは優に超えている!)。後は、今日の日中と、明日の明け方までの降り方が問題だろう。とりあえず、第一関門は突破というところ。この程度の積雪は、まあ、慣れている。

外は白一色の世界だが、「不要不急の外出を控えろ」とテレビはいうし、日曜だし、車も通らないので、実に静かなのか。新潟県の十日村市に住むカールさんは、野山の4m近い雪の上を歩いて、この完全な静けさが素晴らしい、と言う。その静けさに近い、夜明け前の福井。それでも、少しづつ、通る車も増えてきた。人々はたくましいものだ。泰澄の杜の風呂にでも出かけてみようか?

口にしただけで、ワイフにドヤされそうだ。

 


年相応の顔つき

2021年12月25日 | 日記

人には、その年齢相応の顔つきがあって、それが自然であれば、美しい。男も、女も同様だ。体つきは、それぞれ努力や体質などもあるから、若々しいとか、昔(若い時)と変わらないサイズを維持する場合も大いにあるだろうが、顔つきを「若く」保つのは、なかなか難しい。

まあ、美容整形や高級化粧品もあるだろうが、目は、それまでの人生を語るし、口や表情は本人が自己満足するほど、さほど「若さ」を保証してくれないものだ。

土曜日の旅サラダの神田正輝は、何年か前に見た時、妙な顔だなあ、と思った。今も思う。原因が何かわからないけど、顔つきそのものは、若い時のままが、妙に「変」で仕方がない。

まあ、それは他人事だからいいとして、地方空港にお客が戻りつつあり、2年ぶりの出張ですとか、ビジネスマンが、コートを羽織って出かける姿を見たら、急に長崎の空港を思い出した。どこかに出かけたい気持ちが、まだ私の中にも残っているようだ。

ただ、星のリゾートの竹富島の素晴らしい宿泊施設には、一泊12万円と高額もあるけど、ご遠慮したい。年齢もあるけど、そんなところでぼんやりしていたら、余計ボケる。何せ、「ぼんやり」は日頃の生活で、お釣りが来るほど体験しているのだ。

こまめに動き回って、料理をしたり薬草を調べたり、模様替えをしたり、色々やっても、ぼんやりしている時間は、なぜかたっぷりある。

あ、そうだ。雪が降る前に、ちょっと車にガソリンを入れてこなきゃ。もう、空に近い。


X’masチキン

2021年12月25日 | 気象

2021年12月25日(土曜日)午前6時5分:[  -1c/9c/100%  ]{getup0500} 雨

大きなリンゴの皮を剥いて、表面から薄く、適当に一口サイズに切り落としていく。乱切りというのか、ざんぎりか、で、器に一山できたリンゴにさあっと、味塩を振って、食べる。これが意外に「いける」。パンに挟んでもいい。マヨネーズもいいし、当然砂糖をぶっかけて、食べるのもいい。

今朝はめちゃめちゃ、暖かい!真夜中から、窓を開けっぱなしで寝ていた。それでも、起きたとき、部屋が寒いと感じない。10度以上もあるのだから、予報のマイナスは、明け方ではなさそうだ。

昨夜は娘がモスバーガーのフライドチキンをネット予約で買って、持ってきた。私には「クリスマス」など毛筋も念頭になかったが、ブラックペッパーを振りかけて、美味しく食べた。そういえば、今日は25日。いよいよ、年末も押し迫ってきた。

で、今夜から明日、明後日と、かなりしっかり雪が降り積もりそうだ。50センチを超えるかもしれない。業者も役所の担当部署も要警戒で気を張っているに違いない。ありがたいことだと、思うなあ。38豪雪や56豪雪が記憶にある我々世代から見れば、今はありがたい。

自力除雪のパワーが老化のために半減しているのが、いささか寂しいだけだ。


浜の真砂

2021年12月24日 | 日記

なるほど、と感心する「高額買取」を装う「闇金業者」の手口。コロナ下で生活費に苦しむ貧困奴隷リーマン生活者を相手に、3万、5万の小口融資で「といち」とはいかないまでも、年率300%くらいの利息が膨らむ方法を編み出して、借りた相手を追い込んで、暴利をむさぼる。

まさにこの世は「悪の種はつきマジ」である。

普通に都会で電車通勤しながら、職場で働きながら、あちこちで「おまわりさん」を見かけた時、考えてみたことない? 救急車は苦しむ人を通報一発で駆けつけてくれるし、火事が起きると消防車がやってくる。

で、パトカーがやってくるのは? パトカーやおまわりさんがやってくる時って、どんな時?

夜道をアパートに一人で向かう時、変な男がついてきているような予感がした時やってくる? そんなはずはない。彼らも数に限りがあるし、暇じゃない。暴漢に襲われて怪我したり、財布を盗まれたり、老人夫婦が家で夕食中に、いきなり数人の男どもが進入してきて殺されたり、クリニックの待合室で順番を待っていたら、一酸化炭素中毒であの世に行ったりするが、そんな時には、お巡りさんがやってくる。

悪いやつに言葉巧みに金を騙し取られたりしたら、刑事さんでもきてくれるかもしれない。しかし、どことなく、彼らが自分を守ってくれるって、思っていない? それが「妄想」だと、ちょっと考えれば、分かる。

音のない映像だけで見ていると、むしろ寄ってたかって、見つけた「犯罪者」を取り囲んで、その「安全」を守っているふうにさえ、見える。今だって、大阪のあの殺人鬼が重篤な中毒症状で病室に入っているが、その医療費用ばかりでなく、病室の前では、警官が交代勤務で警備さえしているはずだ。

それだけ見れば、腹をたてた遺族や義憤に駆られた正義漢が、あの男を殺しに来るのから防いでいるように見えない?

ちょっと考えればいいのだ。政府は「国民の生命と財産を守る」と言って、北朝鮮からミサイルが飛んでくるのを阻止しようと、いろいろ防衛を考えるし、国民がコロナで生活に苦しめば、10万円だって支給する。マスクだって!

で、お巡りさんはあなたの身の安全を守ってくれるの? 正月駅伝の映像を見れば分かるよ。沿道の観客のあなたから、選手を守っている仕事はするけど、立ってみているあなたの財布や命を守るなんて、出来ない相談。

いじめにあって自殺する子供の命を教育委員会や現場の先生方が守るって? 無理だよ。一番身近な親が守れないのに、できるわけがない。「どうすればいいの?」って? そりゃあんた、太陽が西に沈むのを「どうすりゃいいの」って言うのと似ているぞ。


典座教訓

2021年12月24日 | 気象

2021年12月24日(金曜日)午前4時30分:[  5c/13c/60%  ]{getup0400} 曇り

めちゃめちゃ暖かい夜が終わろうとしている夜明け前。昨日のお昼頃から午後は、めちゃくちゃ快晴で、空は青く澄んでいるし、日差しは暖かい。12時過ぎに家を出て、娘と二人で泰澄の杜へ行き、先にお昼だけやっている施設内部の小さなレストランでお昼ご飯を食べ、ガラガラの湯船につかっていたら、あまりに気持ちよくて、睡魔にお湯の中に吸い込まれそうになった。

広いロビーで55型の液晶テレビを前にソファーに寝そべって、娘を待っている時、一瞬寝てしまった。お陰で睡魔が抜けて、シャキッとしたが、北陸には珍しく願ってもない年末の快晴。田舎人はお風呂どころではない。20日以降、公務の肩のにをおろした私は気が緩んでいるが、年末の自分の部屋の片付けや掃除もしていない。まあ、あんまりする気はないが、それでも午前中にガレージ2階の事務所部分の配置換えや手直しを始めた。やり始めると、際限がない。

「典座教訓」は永平寺の開祖、道元禅師のお言葉集。修行で二番目に大事なのは、食事。永平寺の台所、大庫院は木造の地上3階、地下1階の大きな建物。食べ物を粗末にする現代人は親も子供も可愛い孫も、みんな地獄に落ちる。

その地獄がクリスマス寒波でやってくる。どうやらお天気は急変し、今夜あたりから明日、明後日の月曜日、そして御用納めの役所も大変だ。福井も大雪になりそうだ。

あ、月曜日の午後に市役所で、風力発電の協議会があるとか。出席すると返事しておいたのだが、出かけるのが面倒くさそうなお天気だったら、やめておこう。連合会長のお仕事だけど、国策自然エネルギー法案、利益目的の売電業者の目論見、便乗する福井市の農林水産。んなこと、田舎もんには知ったこっちゃない。


おろし餅2

2021年12月23日 | 日記

昨日は、鯖江の従姉妹のおばちゃんが「もちっこ」で蒸し揚げ、コネ回して作った出来立ての餅を、ワイフが手伝って白餅を作り、二度目はその餅の一部を、私がおろした大根に「出しつゆ」をぶっかけたのにちぎり入れて、「おろし餅」を作っているそばで食べた。おばちゃん手作りの大根の麹漬けと一緒に食べるから、どれだけ食ったか、記憶にないほど、たくさん食べた。

狭くて、天井材の紙が半分以上めくれてぶら下がっているオンボロな台所に小さな食卓テーブル、周りは食器棚だけでなく、山ほどの傾いた棚や流し台にモノが溢れている。丸い大きな石油ストーブの真上に、針金のハンガーにかかった下着が3枚、簡単にひっかけて、ぶら下がっている。おっそろしい!

家は200年ほども経過している、大きな古民家。柱材など、カールさんが喜びそうなほどの太くてがっしりしたものだが、ガステーブルや冷蔵庫や流しなど、戦後の経済成長時代に便利になった台所を、安い建材で併設し、それが、もはや手入れされることもなく、見る影もないほどボロボロになっている。

70代後半から80代の「元気な老人」だけが住んでいる住宅は、外見はそこそこでも、内部はどこも似たようなもの。本人は立派に「掃除している」と思い込んでいるが、ガラクタものに溢れ、少し目線を上に上げたら、埃と蜘蛛の巣で大変なことになっているのだ。

私は、我が両親がデーサービスで不在の時間に、どれほど掃除と改善をやったことか。高齢老人の暮らしぶりが手に取るように分かる。単に部屋の中央に天井からぶら下がる2灯の丸い大小の蛍光灯が入った、照明器具一つを例にとってみればいい。蛍光管の予備や、グロースイッチの予備など、家のあちこちにあった。親父が買い込んでくるのだ。そして、蛍光灯を付けるスイッチは、紐になっているが、腰が曲がって手が届かなくなる頃には、それに長い紐が結び付けてある。

試しにその照明器具の上を見てみればいい。ホコリが山のように重なっている。(続きは、また、今度にしよう。書くのに飽きた。)


大根おろし餅

2021年12月23日 | 気象

2021年12月23日(木曜日)午前4時30分:[  -1c/10c/30%   ]{getup0400} 曇りのち晴れ

昨日の午前中は鯖江の国道8号線より東側に向かった。9時半に家を出ようとすると、ワイフが私も行く、と車に乗ってきた。私の母親の姉の子供である従姉妹のおばちゃんは、昭和13年生まれだから、83歳。小柄な背格好と性格は、ますます我が母親そっくりになってきている。

母親の姉は抜群に数学のできる才女で女学校の教師になり、同じ教師の旦那と一緒になったが、その旦那が教頭か校長の時、首吊り自殺をした。原因は旦那の浮気だったようで、姉の死後、何年か経過して、その相手が家に入った。

その頃、このおばちゃんは成人していたのかもしれない。少し、知能の遅れた2つか3つ年に離れた姉がいたはずで、一度、二人で我が家の母親に会いにきたことがあるけど、今はいない。そして、このおばちゃんの下に、男の子がいて、私より2、3歳か、5、6歳年上だと思うのだが、秀才で、藤島高校に通っている頃には、もうすでに英字新聞を読んでいた。そして、当然のように東大に進み、卒業した後に、高速道路などを専門に作る建設会社に入り、専務取締役で退職した。

当然、結婚して東京に家を持ち、女房も子供(女の子)もいるが、福井の実家には後妻さんがいて、父親の死後も実家に戻ることはできないが、分け付けの畑があり、何故だか、退職後一人で鯖江のアパートを借りて、その畑に通いながら一人暮らしをしていた。東京の自宅と、鯖江のアパート暮らしの二重生活をしていたのだろう。

二、三度、我が家の母親をたづねてきて、畑で収穫した野菜類を置いていった。日中、私は自分の不動産屋の事務所に出かけていたので、結局、今現在でも、この少し年の離れた東大出の従兄弟の顔を、全く知らないし、写真一枚手元に残っていない。それというのも、彼は、そんな二重生活を2、3年か、続けながら、あっという間に死んでしまった。

どこで、誰が喪主で葬儀をしたのかさえも、全く知らない。

我が団塊世代はいうに及ばず、その少し上の世代も、1割ほどの秀才たちは都会に出ていき、日本経済の発展とともに高度成長時代を謳歌して生きてきた。で、その晩年は、不思議なほど、似たような境遇で孤独死する。我が集落でも、兄の後を追うように、奈良県在住の弟が、数日実家に車でやってくる。たくさんの田んぼは放置したまま、山も放置しながら、古い家の周りを草刈りなどして、また、奈良に戻っていく。私より若いけれど、それでも70歳近いはずだ。これも、元教員。今年の春先まで奈良かどこかの教育委員会の仕事を続けていた。

問題は、この定年退職後の「田舎暮らし」を夢見ることにある。その場所が親が不在になった実家であっても南国であっても、同様なのだ。第二の人生を考えるなら、遅くとも50代に決断して、自分の体力のある頃に移住し、生活環境を整え、乏しい収入に耐えながら、農作物をつくったり、果樹を育てて、地域に生きる努力を積み重ねないと、第二の人生は、うまくいかない。

第一の人生を考えてみればわかる。中学、高校、そして大学と努力してきて、都会に出て、サラリーマンという念願の奴隷生活を続けてきたのだ。そこで手に入れた家族が二つ返事で、都内の奴隷生活に疲れたおっさんのノスタルジーだけの田舎暮らしに、慣れた全ての生活を断ち切って、同行移住するわけがない。

「夢破れて山河あり」状態は、貧困層も、大学出の出世層も無関係に、今でも60代以降の世代に継続中の悲話(?)なのだ。特に、役所や類似企業勤めの60歳定年、65歳まで年金ゼロ世代は、なんとか現役世代に近い収入を得ようと、顔が引きつっている。

巨大なストレスを心に抱えながら、衰える肉体を維持しようとアンチエイジングすれば、ますます、心臓は負荷に耐えられなくなる理屈で、病気を誘発する。余程の金を手に入れない限り(たっぷり金があれば、逆に都会で悠々暮らせるが)、見栄と欲に凝り固まった脳みそを破壊しなきゃ、第二の人生を自然に生きながらえるのは、難しい。

 


カムカムの大嘘

2021年12月22日 | 日記

まあ、あんこ餅のNHKの朝ドラだから、仕方がないけど、結局、口では必死に我が愛娘がこの世で一番大なんじゃ、と叫びながら、立花屋(?)再興という己の意地を目指して、男を利用しながら、娘を捨てるだけの言い訳ドラマに過ぎない。

おはぎ屋がなくても、世間は誰も困らない。

今のところ、戦死した旦那の弟の結婚の申し出を断って、親切な外人さんに走って娘を捨てて、2度目の家を飛び出す。一度めは、意地で商売を立て直そうと大阪に出て、娘の顔に一生消えない傷跡を残す原因を作り、今度は、再興を目指すと口先で言っただけの能無し兄が、信用金庫の借金寸前に姿を消した。

金を借りて逃げたのなら、追いかける意味もわかるが、何が悲しくて、姿を消した兄を大阪に追うのだ?

頭の中は、あんこ餅屋の「再興」しかないというわけで、心を通い合わせた外人さんに「女心」で行動するだけのこと。表面は、まるで自己犠牲の塊のようにドラマは展開するが、1ミリも「自己犠牲」などは、見られない。全ては、己の心や気持ちが第一優先。ひたすら目的を目指して、いきるというアメーバー的な癌細胞的生命力の物語である。

男は少なくとも「主君のため」とか「天皇陛下のため」とか言いながら、その命を投げ出してきた。いいわけで、生き延びたら、表に出ないだけのことだが、本筋を隠した言い訳が主題になれるのは、平和な時代のボケた視聴者のおかげだな。


神様仏様

2021年12月22日 | 気象

2021年12月22日(水曜日)午前5時30分:[  2c/8c/40%  ]{getup0430}  曇り

流石に大根作業の昨日は疲れたのか、しっかり眠った。午前3時様では、いささか日中が持たない。午前4時や4時半が私には一番いい。

平成14年は2002年、確か、3月下旬か4月初めに最初の原告団集会を金沢で行った。参加者は100人を優に超えていたが、最後部に報道のカメラも数台並んでいた。その集会の終わりに、2、30人が列をなして、何とこの私に次々と挨拶と握手を求めるのだ。20年も前の話。

その時、私に「神様、仏様、吉住様!」と言ったご婦人がいる。その理由はあったのだが、彼女だけは、最初から最後まで、すべての訴訟に顔を見せていた。平成25年以降、賀状だけの付き合いだったが、で、今年、その理由となった旦那さんが亡くなったようで、賀状の欠礼の葉書が届いた。仏壇に、という思いで、水仙の花を贈っておいた。

すると、丁寧な電話と、ハムが届いた。年齢は80歳を超えているが、声はとても若々しく、元気そうだった。彼女はきっと長生きする。していただきたい。金沢郊外の田舎に住んでいる。私は、自分が神様の列に並んで呼ばれたことを懐かしく思い出した。このところ、ロースハムを切り取って、早朝のコーヒーのつまみにムシャムシャ食べている、仏様の隣人の貧乏神。

まあ、この20年、彼女が知ったら、卒倒するような出来事を山ほど体験してきた。その体験は、多分、1000万人に一人だろう。

昨日の見た目はあくまで立派な、しかし、中身は完全に見事に吐き気がするほど腐った大根を見て、あれはまさに大阪のビル火災で大勢を殺した61歳の男と同じだ。あの男は、医者を確実に殺そうと企んだに違いない。

まあ、あれほどではないにしても、似たような人間が、法曹界にも役所にも銀行にも実業界にもウヨウヨいることを私は知っている。肩書きや服装、社会的な地位、そして、年齢さえも「いい年」でありながら、中身は腐った大根。吐き出す言葉に騙されてはいけない。何せ、本人が一番、自分が腐った人間だと思っていないのだから、厄介なのだ。

さあ、そんな話は忘れて、年の瀬が押し迫っている。今日は、鯖江の従姉妹のおばちゃんの顔を見て、大根の麹漬けの素をもらい、準備した大根を、漬け込む。正月の雑煮の付け合わせに食べることができるだろう。三温糖に丈夫なビニール袋。大きな桶はある。2、3年前にタクアン漬けをやったから。

写真は、また揚げたかきもちアラレ。そして、長崎の友人たちが贈ってくれた、私の好物。