2021年12月23日(木曜日)午前4時30分:[ -1c/10c/30% ]{getup0400} 曇りのち晴れ
昨日の午前中は鯖江の国道8号線より東側に向かった。9時半に家を出ようとすると、ワイフが私も行く、と車に乗ってきた。私の母親の姉の子供である従姉妹のおばちゃんは、昭和13年生まれだから、83歳。小柄な背格好と性格は、ますます我が母親そっくりになってきている。
母親の姉は抜群に数学のできる才女で女学校の教師になり、同じ教師の旦那と一緒になったが、その旦那が教頭か校長の時、首吊り自殺をした。原因は旦那の浮気だったようで、姉の死後、何年か経過して、その相手が家に入った。
その頃、このおばちゃんは成人していたのかもしれない。少し、知能の遅れた2つか3つ年に離れた姉がいたはずで、一度、二人で我が家の母親に会いにきたことがあるけど、今はいない。そして、このおばちゃんの下に、男の子がいて、私より2、3歳か、5、6歳年上だと思うのだが、秀才で、藤島高校に通っている頃には、もうすでに英字新聞を読んでいた。そして、当然のように東大に進み、卒業した後に、高速道路などを専門に作る建設会社に入り、専務取締役で退職した。
当然、結婚して東京に家を持ち、女房も子供(女の子)もいるが、福井の実家には後妻さんがいて、父親の死後も実家に戻ることはできないが、分け付けの畑があり、何故だか、退職後一人で鯖江のアパートを借りて、その畑に通いながら一人暮らしをしていた。東京の自宅と、鯖江のアパート暮らしの二重生活をしていたのだろう。
二、三度、我が家の母親をたづねてきて、畑で収穫した野菜類を置いていった。日中、私は自分の不動産屋の事務所に出かけていたので、結局、今現在でも、この少し年の離れた東大出の従兄弟の顔を、全く知らないし、写真一枚手元に残っていない。それというのも、彼は、そんな二重生活を2、3年か、続けながら、あっという間に死んでしまった。
どこで、誰が喪主で葬儀をしたのかさえも、全く知らない。
我が団塊世代はいうに及ばず、その少し上の世代も、1割ほどの秀才たちは都会に出ていき、日本経済の発展とともに高度成長時代を謳歌して生きてきた。で、その晩年は、不思議なほど、似たような境遇で孤独死する。我が集落でも、兄の後を追うように、奈良県在住の弟が、数日実家に車でやってくる。たくさんの田んぼは放置したまま、山も放置しながら、古い家の周りを草刈りなどして、また、奈良に戻っていく。私より若いけれど、それでも70歳近いはずだ。これも、元教員。今年の春先まで奈良かどこかの教育委員会の仕事を続けていた。
問題は、この定年退職後の「田舎暮らし」を夢見ることにある。その場所が親が不在になった実家であっても南国であっても、同様なのだ。第二の人生を考えるなら、遅くとも50代に決断して、自分の体力のある頃に移住し、生活環境を整え、乏しい収入に耐えながら、農作物をつくったり、果樹を育てて、地域に生きる努力を積み重ねないと、第二の人生は、うまくいかない。
第一の人生を考えてみればわかる。中学、高校、そして大学と努力してきて、都会に出て、サラリーマンという念願の奴隷生活を続けてきたのだ。そこで手に入れた家族が二つ返事で、都内の奴隷生活に疲れたおっさんのノスタルジーだけの田舎暮らしに、慣れた全ての生活を断ち切って、同行移住するわけがない。
「夢破れて山河あり」状態は、貧困層も、大学出の出世層も無関係に、今でも60代以降の世代に継続中の悲話(?)なのだ。特に、役所や類似企業勤めの60歳定年、65歳まで年金ゼロ世代は、なんとか現役世代に近い収入を得ようと、顔が引きつっている。
巨大なストレスを心に抱えながら、衰える肉体を維持しようとアンチエイジングすれば、ますます、心臓は負荷に耐えられなくなる理屈で、病気を誘発する。余程の金を手に入れない限り(たっぷり金があれば、逆に都会で悠々暮らせるが)、見栄と欲に凝り固まった脳みそを破壊しなきゃ、第二の人生を自然に生きながらえるのは、難しい。