昨日は、鯖江の従姉妹のおばちゃんが「もちっこ」で蒸し揚げ、コネ回して作った出来立ての餅を、ワイフが手伝って白餅を作り、二度目はその餅の一部を、私がおろした大根に「出しつゆ」をぶっかけたのにちぎり入れて、「おろし餅」を作っているそばで食べた。おばちゃん手作りの大根の麹漬けと一緒に食べるから、どれだけ食ったか、記憶にないほど、たくさん食べた。
狭くて、天井材の紙が半分以上めくれてぶら下がっているオンボロな台所に小さな食卓テーブル、周りは食器棚だけでなく、山ほどの傾いた棚や流し台にモノが溢れている。丸い大きな石油ストーブの真上に、針金のハンガーにかかった下着が3枚、簡単にひっかけて、ぶら下がっている。おっそろしい!
家は200年ほども経過している、大きな古民家。柱材など、カールさんが喜びそうなほどの太くてがっしりしたものだが、ガステーブルや冷蔵庫や流しなど、戦後の経済成長時代に便利になった台所を、安い建材で併設し、それが、もはや手入れされることもなく、見る影もないほどボロボロになっている。
70代後半から80代の「元気な老人」だけが住んでいる住宅は、外見はそこそこでも、内部はどこも似たようなもの。本人は立派に「掃除している」と思い込んでいるが、ガラクタものに溢れ、少し目線を上に上げたら、埃と蜘蛛の巣で大変なことになっているのだ。
私は、我が両親がデーサービスで不在の時間に、どれほど掃除と改善をやったことか。高齢老人の暮らしぶりが手に取るように分かる。単に部屋の中央に天井からぶら下がる2灯の丸い大小の蛍光灯が入った、照明器具一つを例にとってみればいい。蛍光管の予備や、グロースイッチの予備など、家のあちこちにあった。親父が買い込んでくるのだ。そして、蛍光灯を付けるスイッチは、紐になっているが、腰が曲がって手が届かなくなる頃には、それに長い紐が結び付けてある。
試しにその照明器具の上を見てみればいい。ホコリが山のように重なっている。(続きは、また、今度にしよう。書くのに飽きた。)