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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(8」

2021-04-08 10:34:58 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(8」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/282(2021/4/7/水】浴室の傷んだタイルの修繕を始めたが、ボロボロのタイルは除去して新品と取り換えなくてはならない。10cm四方のタイルをそのまま交換すればいいのかと思っていたが、傷んだところは全てそのサイズ未満だからカットしなければならない。天は小生に試練を科した・・・


生まれて初めて「チップタイルカッター」を使った(1100円ほど)。内壁用タイルは表面だけはカチカチだが、裏側はかなり脆く、両面にカッターで筋を入れるとペキッと割れる。ヤスリを寝かせて、その上でゴシゴシやると形を整えることができる。コーキングを塗ったところに嵌め込み、隙間をコーキングで埋めて出来上がり。1週間もやれば上達するだろうが、こんな作業は一生で2、3回しかないだろうから、ちょっと残念な気がする。“タイル職人”は30年で半減したとか。


人間の作り出すモノは劣化→ 修復→ 安定→ 劣化・・・「古人 今人 流水の如し」(李白)、人生とか人類もその繰り返しなのだろう。余程の人でなければ記憶されることもないが、歴史を学ぶとは、何事かをなした古人、先人を通じて今人、我らの生き方を学ぶという哲学でもあるだろう。叩けよさらば開かれん、「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」から。


前回「日本の暗号機『パープル』は1941年2月には米陸軍が模造機を完成し」解読していたと書いたが、当時、在米日本大使館や武官、諜報員は日米激突回避に必死になっており、米国側と「日米諒解案」をまとめ上げていたという。


<闇に葬られた歴史に光を当てる史料が英国立公文書館から見つかった。ワシントンの(諜報部門トップの)横山一郎が東京の海軍軍令部とかわした暗号電報の解読記録である。


それによると1941年4月2日、横山は「日米関係の修復を目指して米国と非公式の交渉を始めた」と軍令部に伝え、以後も進捗状況を伝えている。「日米諒解案」作成は現地大使館の独断専行ではなく、陸海軍と連携し、中央の首脳部を巻き込んだ国家的な和平工作だった。


大使館での秘密会議は、米側が受け入れ可能な妥協案を検討することが主題で、秘密裏に米側のハル国務長官に接触、4月17日にようやく「日米諒解案」が完成した。骨子は「日本は中国本土から軍を撤退させる、その代わりに米国は満洲国を承認する」というもので、横山は直ちにそれを日本に打電した。


しかし、東京からは返信が来ず、横山が5月2日に東京に送った暗号電報は(米の傍受、解読記録によると)「このままでは好機を逃す。最終的には何も達成されないことを恐れている」だった。


5月12日、東京の外務省からワシントンに届いた返信は全くの想定外だった。(「日米諒解案」の大事な条文は)削除されていた。のちに横山は当時の苦境を未公開の証言テープでこう語っている。


「日米諒解案に到達するまでには、両国の交渉担当者で、あっちへ突っ返し、こっちへ突っ返し、何回会合したか分からないほどやり合った。いざ諒解案ができると、アメリカには誰も反対する者がなく、これで結構だと諒解を得た。そういう事情が分からず、一方的に交渉を破綻に導いたのは東京の方だった」


「日米諒解案」は4月22日夜、最高意思決定機関「大本営政府連絡懇談会」で議論されている。外務大臣・松岡洋右が反対意見を述べた。「米国の悪意七分、善意三分」というのが松岡の見立てだった。


在ワシントン日本大使館宛の「日米諒解案」を徹底的に否定した暗号電報は横山たちに深い徒労感を与えたが、この暗号電報を読んだのは野村大使や横山だけではなかった。米国の情報部も英国同様に日本の暗号「パープル」の傍受解読に成功していたのである*。(*1941年初頭に解読)


解読文は「マジック」と呼ばれ、ルーズベルト大統領やハル国務長官に送られ、対日政策を決める重要な情報源となっていた。松岡の対米強硬論は筒抜けだった。横山は米国側の異変に気付いていた。横山の証言テープから。


「アメリカ側の見たところ、野村大使は一生懸命やっているが、一番有力な松岡外務大臣は日米諒解案をトーピドー(魚雷)でご破算にするつもりなのではないか、日本政府は和平とは違うことを考えているのではないか」


諒解案の挫折によって日米交渉は暗礁に乗り上げ、日米関係は一挙に緊張していく>(つづく)
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当時の日米関係は戦争前夜どころか、米国の支援を受けた蒋介石軍と日本軍は支那大陸で“支那事変”の真っ最中。日米(中)双方とも「戦争」の言葉を排除したのは、日本は第三国(当事者ではない国)からの支援を受けられなくなるから。米は国内法(中立法:交戦国や内乱国へ、米国が武器および軍需物資輸出を禁止)で蒋介石支援ができなくなるからだ。


日米は支那大陸で既に戦争をしており、日本は満洲以外の支那からは手を引きたい。一方で米国は支那における米国利権を守りたい、さらに英国など反独伊勢力を支援するために日本の軍事力を支那に向けさせておきたい、泥沼であがかせておきたい、という魂胆だったろう。


欧州戦線に参入したいルーズベルトは、「米国が悪の枢軸国から攻撃を受け、それを機に厭戦的孤立主義の国民を発奮させて欧州に参戦する」という青写真だった。誰に「最初の一発を撃たせるか」、太平洋における植民地争奪戦で後れをとった米国にとって、支那利権で対立する日本を締め上げ、挑発し、米国に咬みつかせることは素晴らしい戦略だった。


米国は「日本を日米諒解案で期待させ、油断させ、同時に石油輸出などで締め上げて行けば、不満は最高潮に達し、最後には対米開戦、そして我が国は欧州戦線に乗り込むことになる」と青写真を描いた。日本はまんまと真珠湾の罠にかかった、そして負けた。


勝ち負けは兵家の常、今度は慎重に、狡猾に、中共を徐々に包囲し、追い詰め、自壊に導く・・・ソ連がこけたのは、外圧で10%の上流・支配階級へのエサ不足になったことが大きく影響した。中共の9000万の党員にとって、カネを貯めて欧米へ移住するのは夢だろうが、これができないどころか食にも困るとなれば、中共はこける、自壊する。今度は勝とうぜ、同志諸君!
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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