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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(12」

2021-04-17 09:53:58 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(12」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/285(2021/4/16/金】いろいろな人の文章表現を目にして「上手いなあ」と感動したり、「どうもしっくりしないなあ」、「それはないだろう」と思ったりする。内容以前に「日本語の表現」としての美醜が気になるようになったのは多分、加齢≒保守化が影響しているのだろう。


山本夏彦翁は、江戸時代の言葉は明治まで生きていたが、ロシア革命の影響を受けた大正デモクラシーで棄損されたと書いていた。曰く「一度なったら、ならぬ昔には戻れない」。「よくって?」「いいわよ」「ご発展ね」「いやだわ」・・・いずれも大正時代に普及した女言葉で、「自由恋愛」もその一つだという。


「自由」は「好きにやればいい」ということだが、その時代の「社会規範の範囲で」というのが前提になっているはずだ。慣習や法律から逸脱すると概ね軽佻浮薄とか無謀、乱暴、邪道と批判されたりするから、「流行には末尾でくっついていればいい」。慌てず騒がず、観察し、されど遅れ過ぎない、ということ。いい智慧だ。


小生は“青春のハシカ”で流行に乗って御用になって以来、「流行は自分が創るもので、踊らされるのはまっぴらだ」と思うようになったが、パリジェンヌのファッションを見て「さすがだ」と感動した。似たような服装を見かけないのだ。創意工夫で自分らしさ、違いを出している。日本のお嬢さまは今年の春も「個性より同調」のような・・・


最近、小生が感動した文章表現から。


俳優・寺田農(みのり)氏の書評。「テレビの急速な普及で、人は全てを映像に頼り、視覚化されたものにしか興味を持たなくなる」(産経4/10)。TV、漫画、映画、映像・・・それは表現の一方法だが、感性、感情を専ら刺激するようで、小生の求める理性、知性の肥しにはなりそうもない。


日大教授・先崎彰容氏の書評。「(学生運動や連合赤軍の内ゲバ、リンチに触れ)小林秀雄は言う。『思想が人にとり憑いて、獣性を発揮し、自己の人格を破壊する。それなら人間を生き続けさせているのは、獣性を洞察し、それに悲しみながら耐え、それを馴致しようとする間断ない努力だろうか』。その通りだと江藤淳は答える。人間とは、マイナスをゼロに戻す努力を続ける営みそのものであると。私たちに必要なのは『情報』ではない、血肉となる『言葉』なのだ」(産経4/11)。


今の小生は、「情報」を拾い集めて行動を促す「言葉」にする、まるでアジテーターみたいだ。ヒトラー・ナチスの支持率は45%ほどだったが、支持者はヒトラーのアジに酔いしれ、反対者は報復を恐れて沈黙した。今のドイツを見るとヒトラーのような「ドイツの栄光に幸あれ」の左巻きが勢いを増しているようである(川口マーン惠美氏「メルケルの仮面 なぜドイツは左傾化したのか」産経4/11)。


中共、ロシアという確信犯的な独裁国家と、ドイツ、トルコのような独裁志向国家が世界のガラガラポンを狙っているよう。


太平の眠りを覚ますにはアジテーターが不可欠だ。FDRルーズベルトは日本を真珠湾攻撃に誘い込む、日本を“逆アジテーター”にする、という実に上手いやり方で避戦的な米国民を参戦へ導いた。大学院レベルの戦略だったとは言えるが、裏で糸を引いた大学教授がいたような・・・


ということで、「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」の続き。


<1941年11月25日正午、米国は最高軍事会議で日米暫定協定案について協議、当面の戦争回避を決めた。その午後、米陸軍長官スティムソンが執務室に戻ると、陸軍情報部(G‐2)の報告が上がっていた。「日本軍5個師団が山東、山西の両省から上海に集結。10~30隻の輸送船に分乗し、大挙して台湾沖を南下している。行き先はインドシナ半島、仏印と見られる」


この情報の出処は英国情報部で、11月21日、現地の諜報工作員からロンドンに送られ、次いでワシントンのG‐2に転電されていた。また、フィリピンの英国出先機関から真珠湾の陸軍情報部にも送られていた。すべての情報の源は英国だった。


スティムソンはルーズベルトに「船団の数は30~50隻」と急報した。実際の数は、日本の防衛省防衛研究所が旧陸軍史料を発掘したところ16隻だった。英国情報部からの情報がルーズベルトに伝わるまでに架空の数字が積み上がっていった。


スティムソンの報告を聞いたルーズベルトは興奮し、怒り狂った。「その報告は全ての状況を変えてしまうものだ。全面休戦、全面撤退の交渉を続ける一方で、インドシナに新たな軍隊を送り込むとは。日本の悪意の証拠ではないか」


同じ頃、英国チャーチルからルーズベルトに至急電が届いた。「本件(米日の暫定協定案)については米国に決定権がある。ただ気になるのは(同案で苦境に立たされる)蒋介石である。もし中国が崩壊すれば英米の共通の脅威は著しく増大する」


11月26日午後5時、ハル・ノートが野村吉三郎大使に提示された。当初予定していた暫定協定案が手渡されることはなかった。同日、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に集結していた空母機動部隊は真珠湾に向けて出撃した。


翌27日、野村はルーズベルトと最後の会談に臨み、ハル・ノートの撤回を求めて必死の説得が行われた。野村「米国の提案は日本国民の希望を奪うものです」、ルーズベルト「失望したのは私たちも同じだ。私たちはすでに南部仏印進駐に冷や水を浴びせられている。今度は2回目だ」、野村「何とか打開の道を・・・」、これにルーズベルトは沈黙をもって応えた。


ハル・ノートは最後まで日米交渉の妥結を信じていたワシントンの日本大使館の人々に大きな衝撃を与えた。野村大使とともに戦争回避に奔走した海軍武官・横山一郎が東京に送った暗号電報にはこう記されている。「交渉断絶、情勢は絶望」>(つづく)
・・・・・・・・・・・
「ハル・ノート」はちゃぶ台返しの宣戦布告である。外交とか交渉は基本的に妥協を目指すものだが、「交渉は打ちきりだ、戦場で決めようぜ」という啖呵に他ならない。強い者が劣る者を「問答無用、とっとと失せろ」と突き放すものだ。ネットによると――


<ハル・ノートは、1941年11月に日米交渉の最終段階で、米国務長官コーデル・ハルが日本側に提案した外交文書。その内容は、中国と仏領インドシナからの撤退や、アメリカが支援していた蒋介石率いる国民政府への支持など、アジアの情勢を満洲事変以前の状態に戻すように、日本に要求するものだった。日本はこれを米国の最後通牒とみなし、12月1日に日米開戦を決定した>


ハル・ノートの存在は、戦後の極東国際軍事裁判を通して国際社会に知られるようになったが、「こんな無礼千万な外交文書を突き付けられたら、どんな小国でも命懸けで戦うしかない」という声が上がったという。


歴史は勝者が創る、とは言え、人の口に戸は立てられないから時がたてば「いや、実は・・・」と百家争鳴になる。占領者、強者に擦り寄る人もずいぶん多く、コラボレーショニストというそうだ。寄らば大樹の迎合主義者。


外国企業に乗っ取られたらまるで我が世の春とばかりに両手もみもみで擦り寄る奴っているよなあ、それで大出世したり。幇間、イヌ、ポチ、男メカケ・・・GHQの威光を借りて日本人を二級国民のように見下す奴・・・昔米国、今中共、ダンナは変われどメカケはメカケ・・・「習近平主席万歳、2F先生万歳!」なんていうクズはウジャウジャ。


人間、「存在は意識を決定する」から、昨日の敵は今日の友、と変身するのは世の習い。己を見ても米国クリントン政権から飴玉貰ったら「米国は結構いいところあるじゃん」と反米から親米へ。なにせ3歳までGIに「ギブミ・チョコレッ!」とおねだりしていたから・・・


三つ子の魂百までも、この際だからと「クリントンゆかりの地を訪ねる」なんてツアーを研究したが、勝海舟を真似ると「さすがの俺もまいったぜ」、粉飾しようもないつまらない男だった、JFKもスケベで有名だったが・・・神輿に担がれただけのような象徴大統領制、これは米民主党の伝統の「民主」のようだ。


米ソ対立=ソ連包囲網はソ連を自壊に導いたが、中米をガチンコさせて中共を孤立化、自壊させる・・・プーチン・ロシアは自国圏だってかなり怪しくなってきたから、まさか人口が10倍の14億の中共のメシだけだって面倒見切れやしない。スターリン後のソ連末期はソ連圏諸国の造反が相次いだが、狡猾なプーチンは強い中共は望んでいまい。対中支援は「生かさず殺さず」でいくだろう。


我ら日欧アジアが「中米ガチンコ」を煽れば中共は自壊、米国は疲弊して、日欧アジアが世界秩序をリードする新しい時代になる、その可能性は十分ある。中共に偏っていた世界の投資は、アジアにどんどんシフトしているが、中共崩壊後はアジアが急成長する時代になる。その中に日本の成長もあるだろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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