雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(11」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/284(2021/4/15/木】やりたいことはいっぱいある。日本に生まれながら古典芸能のイロハも知らない、というのは大いに後ろめたい。まずは新宿末広亭に通って落語、講談、浪曲、漫才、漫談あたりは知りたい。次は歌舞伎、浄瑠璃、能楽(能・狂言)あたり。
道遥かなり。考えただけでぐったりする。付き添いがいないとドースルコトモ I can not・・・元気なうちから古典芸能に触れていれば良かったのにと思うけれど、優先順位は仕事、酒、女・・・子育てもあるから古典芸能どころじゃなかった。
かくして跛行老人になってから「古典芸能を・・・」と焦ったところで♪ほんに切ない溜息ばかり いくら泣いても帰らない いくら泣いても後の祭りよ。せめて古典落語だけでも知りたいが・・・まずは付き添い人、つまり同志を確保しなければならない。ドウシよう。
同志は50前後のインテリ女、明るい性格、美形、寡婦、口数少ない、ちょっとイケる口。入場料、交通費、夕食代は小生が持つ・・・だから優しくケアして・・・あ、そんな風にされたらボク・・・
「奥さんが怖いんでしょ、イ・ク・ジ・ナ・シ・・・」なんてことになりそうで、ボク、♪困っちゃうなあー こわいよーなー・・・
君子危うきに近寄らず、か。大体、都合のいい、しかも美形で性格のいい女なんぞいるわけない。何回も騙されたくせに、そんなことも学ばない、俺はバカだ、でも・・・女神はきっといるんだ・・・「老いらくの 恋は怖るる 何もなし」、男のサガ、ビョーキ、ボケだな。かくして古典芸能学習も不倫体験も構想段階で頓挫してしまうという情けなさ。ああ、無情。
そう言えば落語で本題に入る前に笑い話をして客をリラックスさせるのを「枕を振る」といったっけ。小生の文体というか書き方はそれを真似たことを思い出した。ちょっとしたイタズラ、前戯、ばか話で客を引き付ける・・・学校の先生もそれを真似たら生徒はやる気を起こすのではないか。産経の「論壇」も出だしで笑いを取ればずいぶんファンが増えると思う。例えば先人を真似れば、
「かせぎも抜群なら、毀誉褒貶はなはだしきことも抜群。これほど話題の多い政治家も少ない。とこう書いただけで「ふん、あんなヤツ政治家じゃねえ」という声がどこからともなく聞こえてくるほど。『憎まれっ子世にはばかる』のか、それとも『出る杭は打たれる』のか。習近平が世界の耳目を集めておりますが、女房子供に逃げられて・・・」
とか「枕を振る」と面白がって注目度が高まりはしまいか。グイッとハートをつかんだら一気呵成、一点突破全面展開。中共包囲戦、第2次大東亜解放戦争だ! 同志諸君、今度は勝とうぜ! ということで、「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」の続きでございます。
<歴史の流れが急速に変わりつつあった。あまたいるプレイヤーの中で英国チャーチルは一枚上手だった。怜悧で狡猾だった。日本の軍事的な脅威に直面することを極力避け、中国や米国を前面に押し出す。背後から糸を引くだけだが、最後に盤面を支配しているのはチャーチルだった。情報はすべて手の中にあり、駒はそろった。後は決断を下すのみだ。
英国は、日本がいよいよ開戦に踏み切る公算が高くなったと睨んで、最新鋭の大型戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」の2隻をシンガポールに急派した。英海軍は世界最強である。日本の連合艦隊を完膚なきまでに打ち破るだろう。
日本の戦争決意を示す南部仏印への兵力移動を、米国にいかに伝えるか・・・この時、世界を動かしていたのは物理的な力ではなく、情報の力だった。暗号解読やスパイを駆使して集めた情報、プロパガンダによって民衆を煽る情報、権力者の心に猜疑心を植え付けコントロールする情報・・・日本が「交渉期限」と定めた1941年11月25日、チャーチルは王手をかけた。
米陸軍長官のスティムソンは11月25日午前中、ハル国務長官、ノックス海軍長官とともに日米暫定協定案について協議、当面の戦争を回避し、時間稼ぎすることで一致し、「本日か明日のうちに日本側に提案する」ことが確認された。午後にはFDRルーズベルト、陸軍参謀総長、海軍戦争計画部長を交えて最高軍事会議が開かれた。
日本の暗号「パープル」の解読によると、日本は交渉期限を4日引き延ばしていた。日米暫定協定案の概要(当面の戦争を回避)を中国側のリークにより知っていた日本は楽観的だったかもしれない。しかし、「パープル」にはこうあった。
「この上の変更は絶対不可能にして、その後の情勢は自動的に進展するのほかなし」
海軍出身のルーズベルトが真っ先に懸念したのが日本の先制攻撃だった。「日本は奇襲攻撃で悪名高い。次の日曜日(12月1日)にも攻撃を受ける可能性がある」。そしてFDRはこう続けた。
「問題は、我々自身が過大な危険にさらされないで、最初の一弾を撃たせるような立場に日本をいかにして誘導していくべきかだ」
米国は時として謀略を辞さない。ナチス・ドイツに対しては、大西洋で露骨な挑発行為を繰り返し、“最初の一弾”を撃たせようと策謀を巡らせていた。孤立主義が米国民の支持を集め、若者を戦地に送らないと約束して大統領に当選したFDRとしては(謀略は)仕方がなかった。
日米暫定協定案はFDR自らの発案であり、この会議でも日本側に提示することを了承していた。しかし、翌26日午前中には撤回が決まった。その間に何が起こったのか?>(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
「謀略」、小生は猪突猛進だから謀略を使ったことは記憶にないが、会議では黙っていろいろな意見を聞き、会議後に上司・先輩と飲み屋で「で、この際ですから各編集部を横断する国際部を創ってAさんに部長になってもらう、空いたAさんの席は先輩が埋め、先輩の後釜は私が埋める・・・これが一番いいのではないでしょうか」と本音を伝える。
大体、2、3日後にはこの線で辞令が出るが、こんなことは日常茶飯事で「謀略」とは言えないだろう。割を食ったはずのAさんは社内のマドンナ2名、英語堪能のイケメン2名などを配下に置き、♪たちまち元気になっちゃって・・・部署のIT化を一気に進めたり、英語媒体も創刊したりして何やら“我が世の春”、ぶすっとしていたのがニコニコするようになった。
孫氏の兵法で最も評価されるのは「戦わずして(外交などで)勝つ」とか「囲師(包囲戦)には必ず闕(逃げ道を塞ぐな)」ではないか。敵を追い詰めると自軍の損害も大きく、たとえ敵は屈服しても敵意や恨みは長く残るから良策ではない、ということだろう。
FDR・民主党はありとあらゆる手で日本を追い詰め、窮鼠にし、日本を叩き潰した。敗戦後の日本は心の底で臥薪嘗胆の気概を持ち続けてきただろう。「米国は当てにならない、パクスアメリカーナの終末期だ」と英仏蘭独の欧州勢も「いざ、インド太平洋へ」と乗り込んできつつある。中共を包囲し、自壊を促す・・・中共は白旗を揚げるか、それとも打って出るか・・・そのうち動き始めるだろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/284(2021/4/15/木】やりたいことはいっぱいある。日本に生まれながら古典芸能のイロハも知らない、というのは大いに後ろめたい。まずは新宿末広亭に通って落語、講談、浪曲、漫才、漫談あたりは知りたい。次は歌舞伎、浄瑠璃、能楽(能・狂言)あたり。
道遥かなり。考えただけでぐったりする。付き添いがいないとドースルコトモ I can not・・・元気なうちから古典芸能に触れていれば良かったのにと思うけれど、優先順位は仕事、酒、女・・・子育てもあるから古典芸能どころじゃなかった。
かくして跛行老人になってから「古典芸能を・・・」と焦ったところで♪ほんに切ない溜息ばかり いくら泣いても帰らない いくら泣いても後の祭りよ。せめて古典落語だけでも知りたいが・・・まずは付き添い人、つまり同志を確保しなければならない。ドウシよう。
同志は50前後のインテリ女、明るい性格、美形、寡婦、口数少ない、ちょっとイケる口。入場料、交通費、夕食代は小生が持つ・・・だから優しくケアして・・・あ、そんな風にされたらボク・・・
「奥さんが怖いんでしょ、イ・ク・ジ・ナ・シ・・・」なんてことになりそうで、ボク、♪困っちゃうなあー こわいよーなー・・・
君子危うきに近寄らず、か。大体、都合のいい、しかも美形で性格のいい女なんぞいるわけない。何回も騙されたくせに、そんなことも学ばない、俺はバカだ、でも・・・女神はきっといるんだ・・・「老いらくの 恋は怖るる 何もなし」、男のサガ、ビョーキ、ボケだな。かくして古典芸能学習も不倫体験も構想段階で頓挫してしまうという情けなさ。ああ、無情。
そう言えば落語で本題に入る前に笑い話をして客をリラックスさせるのを「枕を振る」といったっけ。小生の文体というか書き方はそれを真似たことを思い出した。ちょっとしたイタズラ、前戯、ばか話で客を引き付ける・・・学校の先生もそれを真似たら生徒はやる気を起こすのではないか。産経の「論壇」も出だしで笑いを取ればずいぶんファンが増えると思う。例えば先人を真似れば、
「かせぎも抜群なら、毀誉褒貶はなはだしきことも抜群。これほど話題の多い政治家も少ない。とこう書いただけで「ふん、あんなヤツ政治家じゃねえ」という声がどこからともなく聞こえてくるほど。『憎まれっ子世にはばかる』のか、それとも『出る杭は打たれる』のか。習近平が世界の耳目を集めておりますが、女房子供に逃げられて・・・」
とか「枕を振る」と面白がって注目度が高まりはしまいか。グイッとハートをつかんだら一気呵成、一点突破全面展開。中共包囲戦、第2次大東亜解放戦争だ! 同志諸君、今度は勝とうぜ! ということで、「インテリジェンス 1941 ― 日米開戦への道 知られざる国際情報戦」の続きでございます。
<歴史の流れが急速に変わりつつあった。あまたいるプレイヤーの中で英国チャーチルは一枚上手だった。怜悧で狡猾だった。日本の軍事的な脅威に直面することを極力避け、中国や米国を前面に押し出す。背後から糸を引くだけだが、最後に盤面を支配しているのはチャーチルだった。情報はすべて手の中にあり、駒はそろった。後は決断を下すのみだ。
英国は、日本がいよいよ開戦に踏み切る公算が高くなったと睨んで、最新鋭の大型戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」の2隻をシンガポールに急派した。英海軍は世界最強である。日本の連合艦隊を完膚なきまでに打ち破るだろう。
日本の戦争決意を示す南部仏印への兵力移動を、米国にいかに伝えるか・・・この時、世界を動かしていたのは物理的な力ではなく、情報の力だった。暗号解読やスパイを駆使して集めた情報、プロパガンダによって民衆を煽る情報、権力者の心に猜疑心を植え付けコントロールする情報・・・日本が「交渉期限」と定めた1941年11月25日、チャーチルは王手をかけた。
米陸軍長官のスティムソンは11月25日午前中、ハル国務長官、ノックス海軍長官とともに日米暫定協定案について協議、当面の戦争を回避し、時間稼ぎすることで一致し、「本日か明日のうちに日本側に提案する」ことが確認された。午後にはFDRルーズベルト、陸軍参謀総長、海軍戦争計画部長を交えて最高軍事会議が開かれた。
日本の暗号「パープル」の解読によると、日本は交渉期限を4日引き延ばしていた。日米暫定協定案の概要(当面の戦争を回避)を中国側のリークにより知っていた日本は楽観的だったかもしれない。しかし、「パープル」にはこうあった。
「この上の変更は絶対不可能にして、その後の情勢は自動的に進展するのほかなし」
海軍出身のルーズベルトが真っ先に懸念したのが日本の先制攻撃だった。「日本は奇襲攻撃で悪名高い。次の日曜日(12月1日)にも攻撃を受ける可能性がある」。そしてFDRはこう続けた。
「問題は、我々自身が過大な危険にさらされないで、最初の一弾を撃たせるような立場に日本をいかにして誘導していくべきかだ」
米国は時として謀略を辞さない。ナチス・ドイツに対しては、大西洋で露骨な挑発行為を繰り返し、“最初の一弾”を撃たせようと策謀を巡らせていた。孤立主義が米国民の支持を集め、若者を戦地に送らないと約束して大統領に当選したFDRとしては(謀略は)仕方がなかった。
日米暫定協定案はFDR自らの発案であり、この会議でも日本側に提示することを了承していた。しかし、翌26日午前中には撤回が決まった。その間に何が起こったのか?>(つづく)
・・・・・・・・・・・・・
「謀略」、小生は猪突猛進だから謀略を使ったことは記憶にないが、会議では黙っていろいろな意見を聞き、会議後に上司・先輩と飲み屋で「で、この際ですから各編集部を横断する国際部を創ってAさんに部長になってもらう、空いたAさんの席は先輩が埋め、先輩の後釜は私が埋める・・・これが一番いいのではないでしょうか」と本音を伝える。
大体、2、3日後にはこの線で辞令が出るが、こんなことは日常茶飯事で「謀略」とは言えないだろう。割を食ったはずのAさんは社内のマドンナ2名、英語堪能のイケメン2名などを配下に置き、♪たちまち元気になっちゃって・・・部署のIT化を一気に進めたり、英語媒体も創刊したりして何やら“我が世の春”、ぶすっとしていたのがニコニコするようになった。
孫氏の兵法で最も評価されるのは「戦わずして(外交などで)勝つ」とか「囲師(包囲戦)には必ず闕(逃げ道を塞ぐな)」ではないか。敵を追い詰めると自軍の損害も大きく、たとえ敵は屈服しても敵意や恨みは長く残るから良策ではない、ということだろう。
FDR・民主党はありとあらゆる手で日本を追い詰め、窮鼠にし、日本を叩き潰した。敗戦後の日本は心の底で臥薪嘗胆の気概を持ち続けてきただろう。「米国は当てにならない、パクスアメリカーナの終末期だ」と英仏蘭独の欧州勢も「いざ、インド太平洋へ」と乗り込んできつつある。中共を包囲し、自壊を促す・・・中共は白旗を揚げるか、それとも打って出るか・・・そのうち動き始めるだろう。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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