雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(9」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/283(2021/4/10/土】1か月前に40年ほど蓄えていたヒゲを剃り落としたが、放っておいたらまた生えてきたので、ハンマー投げの室伏氏のようなヒゲにした。ヒゲは伸ばそうが伸ばすまいが手間は一緒だし、ペロンとした顔のアクセントになり、行旅死亡人になった際に「うちの主人です」とカミサンがすぐに分かりやすくて便利ではないかと・・・
室伏広治「むろふせひろはる」と思っていたが、WIKIには「室伏 アレクサンダー 広治=むろふし アレクサンダー こうじ、Koji Alexander Murofushi」とあった。数日前に難病になったという記事を目にしたが、「鉄人」でも病気は避けられない。病気は人を択ばず、か。
「やることはやった、やるべきこともまずまずやった、まあ思い残すことはない、そうだなあ、85点」とか。そういう境地で従容として天に召されるというのはいいだろうなあ。満点を目指すが、能力や運もあるから巨匠、名人、達人には届かないまでも「なかなかいい仕事をしたよ」と言われるのなら、まあ大往生、化けて出ません、という感じ。
♪運転手は君だ 車掌は僕だ・・・福翁曰く「どんな仕事も大事だが、軽重はある。簡単な仕事、難しい仕事、軽い仕事、重い仕事、という違いはある。奮励努力しなさい」。
運転手の仕事と車掌の仕事は違う。午前中は運転手、午後は車掌を務めたい、と思うのは勝手だが、それぞれ必要な技量や能力、適性は違う。それなのに「差別だ、俺にも車掌をやらせろ!」って、それはお門違い、無理難題。仕事はそんな甘いものではないだろう。
適性がある、資格はもちろん経験が必要、資格があっても能力が劣れば現場では怖くて使えない。いずこの職場でも差別ではなくて区別はある。お試しで運転手が車掌をやってごらん。「○○へ行くにはどうしたらいいか」と聞かれると車掌は「△△で◇◇に乗り換えですね」と答えてくれる。酔客が暴れていれば、最寄り駅で一時停車して叩き出すのではなくて“保護”しなければならない。ゲロされて制服を汚されたり殴られたりすることもあるだろう。場数を踏まなければ緊急事態に対応できないことは多い。
「明日の朝一番で届けなくてはならない、徹夜でやるしかない」、そういう時に奮闘できる人がいる一方で、できない人もいる。当然、会社ではできる人とできない人は「区別」される。「差別」でなく「区別」。追い詰められると辞めてしまう人、逆に「なにくそっ!」と踏ん張る人、経営者はいざという時に頼りになる人を優遇する、これは当たり前だ。
日本では人事で概ね差別はない、能力重視による区別はある、能力で劣る人に下駄をはかせてポストにつけるようなことはまずしない。情実人事だ、と非難される。
体力のある男は海山へ行って漁猟(漁労・狩猟)をする、オッパイの出る女は子供を守り育てる・・・それぞれの天賦の能力を活かした素晴らしいコラボレーションだと小生は思う。「私も漁猟したい」と思うのは勝手だが、現実は難しいというか不自然である。二兎追う者は一兎も得ず。
大手海運会社の船長によると、外航で海に出ると4か月ほど自宅を留守にするという。日本に帰港すると2か月の長期休暇となるが、奥さんは「亭主達者で留守がいい」と思ったり「子供の進学とかでじっくり相談したいこともあるから側にいて欲しい」と思ったりするようだ。
船乗り、出稼ぎ、出張、赴任、痛勤など“アウェイ”の仕事は男に適性があり、逆に女が航海などに出て男が留守を守るとなったら、子供はハッピーか。お母さんのお膝がいい、頬でスリスリしてね、お父さんの頬はチクチクして痛いよ・・・子供優先で考えろ、と言いたい。
幼い子供がいながら組織の長を務める女性がいたが、大体、母上(孫にとってはオバアチャン、バアバ)がいるからそこそこ上手くやっていける。今は3代同居は減るばかりだから保育所に預けることになるが、大事な育児を他者に任せてもするようなとても大事な仕事って何なのだ。ほとんどは特殊技能不要の簡単な仕事につき、「自分の自由になるお金」で「綺麗なべべ着て、美味いもの食って、面白おかしく暮らす」ことを良しとしているのではないか。
清貧とか質素倹約という先人の生き方はダサイと言うか。「私はキャリアウーマン、高級スーツを着て、英語で商談して、夜のパーティでは私の周りに輪ができるのよ、女の子たちもみな私に憧れるし、今年の“輝く女性大賞”の候補にあがっているわ」・・・
結構だが、子供や旦那はどうしているのだろう。本来は寛ぎの場である家庭、愛の巣はボロボロではないか。キャリアウーマンの自宅を訪ねた女子社員曰く「キッチンピカピカ、料理すると臭いがつくから嫌なんだって」。外食やらデリバリー依存で、「おふくろの味」なんてありゃしない。これが家庭か?
社会はブームに流される。ブームは大体3年、5年で別のブームにとって代わるから、ブームを追いかける必要はまずない。結局、ブームに流されて買いまくり、置き場所がなくなる、新しいブームが来る、懲りずに買いまくる、古いものは捨てる・・・この繰り返し。
今はフェミニズムやらCO2削減やらICT革命がブームだが、これもそろそろ終わりそうだ。ざっくり言えば1960年代からの「グローバリズム的物質文明ビッグバン」が末期になり、「文明化の衝突と世界秩序の再創造」(ハンチントン)のようなガラガラポンを経て、多様な価値観を認め合うという「民族主義・ナショナリズム的な精神文明回帰」になるような気がする。
文明は興隆し、やがて衰退する。ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は五賢帝の時代を「パクス・ロマーナ、人類史上最も幸福な時代」と、平和と秩序の象徴のように書いており、EUの根底にはそれがあるのだという(川口マーン惠美氏)。
欧州の衝突の歴史を見ると、軍事力を含めた「バランス・オブ・パワー」、即ち合従連衡を含めた勢力均衡がある時は国際秩序は安定し、均衡が崩れると不安定になる(伊藤貫氏)。
国際交流とかは何となく良さそうだが、「友あり、遠方より来たる」、たまに交流するからいいのであって、しょっちゅう顔を突き合わせていれば「子をなした仲やない」という夫婦だって喧嘩する。
そういう距離を保った、祝祭や法事、大災害の時に顔を合わすような節度のある外国交際(外交)に戻った方が、世界はもっと安定すると思うのだが・・・長くなったので本題は次号に掲載します。(チャリの前輪のベアリングが壊れて、自転車屋に行ったが、修理に4000円かかるという。ブルーになってパワーダウン、Made in China もうウンザリだ! 関わるとろくなことにならない。私怨を公憤に転化したい気分)
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/283(2021/4/10/土】1か月前に40年ほど蓄えていたヒゲを剃り落としたが、放っておいたらまた生えてきたので、ハンマー投げの室伏氏のようなヒゲにした。ヒゲは伸ばそうが伸ばすまいが手間は一緒だし、ペロンとした顔のアクセントになり、行旅死亡人になった際に「うちの主人です」とカミサンがすぐに分かりやすくて便利ではないかと・・・
室伏広治「むろふせひろはる」と思っていたが、WIKIには「室伏 アレクサンダー 広治=むろふし アレクサンダー こうじ、Koji Alexander Murofushi」とあった。数日前に難病になったという記事を目にしたが、「鉄人」でも病気は避けられない。病気は人を択ばず、か。
「やることはやった、やるべきこともまずまずやった、まあ思い残すことはない、そうだなあ、85点」とか。そういう境地で従容として天に召されるというのはいいだろうなあ。満点を目指すが、能力や運もあるから巨匠、名人、達人には届かないまでも「なかなかいい仕事をしたよ」と言われるのなら、まあ大往生、化けて出ません、という感じ。
♪運転手は君だ 車掌は僕だ・・・福翁曰く「どんな仕事も大事だが、軽重はある。簡単な仕事、難しい仕事、軽い仕事、重い仕事、という違いはある。奮励努力しなさい」。
運転手の仕事と車掌の仕事は違う。午前中は運転手、午後は車掌を務めたい、と思うのは勝手だが、それぞれ必要な技量や能力、適性は違う。それなのに「差別だ、俺にも車掌をやらせろ!」って、それはお門違い、無理難題。仕事はそんな甘いものではないだろう。
適性がある、資格はもちろん経験が必要、資格があっても能力が劣れば現場では怖くて使えない。いずこの職場でも差別ではなくて区別はある。お試しで運転手が車掌をやってごらん。「○○へ行くにはどうしたらいいか」と聞かれると車掌は「△△で◇◇に乗り換えですね」と答えてくれる。酔客が暴れていれば、最寄り駅で一時停車して叩き出すのではなくて“保護”しなければならない。ゲロされて制服を汚されたり殴られたりすることもあるだろう。場数を踏まなければ緊急事態に対応できないことは多い。
「明日の朝一番で届けなくてはならない、徹夜でやるしかない」、そういう時に奮闘できる人がいる一方で、できない人もいる。当然、会社ではできる人とできない人は「区別」される。「差別」でなく「区別」。追い詰められると辞めてしまう人、逆に「なにくそっ!」と踏ん張る人、経営者はいざという時に頼りになる人を優遇する、これは当たり前だ。
日本では人事で概ね差別はない、能力重視による区別はある、能力で劣る人に下駄をはかせてポストにつけるようなことはまずしない。情実人事だ、と非難される。
体力のある男は海山へ行って漁猟(漁労・狩猟)をする、オッパイの出る女は子供を守り育てる・・・それぞれの天賦の能力を活かした素晴らしいコラボレーションだと小生は思う。「私も漁猟したい」と思うのは勝手だが、現実は難しいというか不自然である。二兎追う者は一兎も得ず。
大手海運会社の船長によると、外航で海に出ると4か月ほど自宅を留守にするという。日本に帰港すると2か月の長期休暇となるが、奥さんは「亭主達者で留守がいい」と思ったり「子供の進学とかでじっくり相談したいこともあるから側にいて欲しい」と思ったりするようだ。
船乗り、出稼ぎ、出張、赴任、痛勤など“アウェイ”の仕事は男に適性があり、逆に女が航海などに出て男が留守を守るとなったら、子供はハッピーか。お母さんのお膝がいい、頬でスリスリしてね、お父さんの頬はチクチクして痛いよ・・・子供優先で考えろ、と言いたい。
幼い子供がいながら組織の長を務める女性がいたが、大体、母上(孫にとってはオバアチャン、バアバ)がいるからそこそこ上手くやっていける。今は3代同居は減るばかりだから保育所に預けることになるが、大事な育児を他者に任せてもするようなとても大事な仕事って何なのだ。ほとんどは特殊技能不要の簡単な仕事につき、「自分の自由になるお金」で「綺麗なべべ着て、美味いもの食って、面白おかしく暮らす」ことを良しとしているのではないか。
清貧とか質素倹約という先人の生き方はダサイと言うか。「私はキャリアウーマン、高級スーツを着て、英語で商談して、夜のパーティでは私の周りに輪ができるのよ、女の子たちもみな私に憧れるし、今年の“輝く女性大賞”の候補にあがっているわ」・・・
結構だが、子供や旦那はどうしているのだろう。本来は寛ぎの場である家庭、愛の巣はボロボロではないか。キャリアウーマンの自宅を訪ねた女子社員曰く「キッチンピカピカ、料理すると臭いがつくから嫌なんだって」。外食やらデリバリー依存で、「おふくろの味」なんてありゃしない。これが家庭か?
社会はブームに流される。ブームは大体3年、5年で別のブームにとって代わるから、ブームを追いかける必要はまずない。結局、ブームに流されて買いまくり、置き場所がなくなる、新しいブームが来る、懲りずに買いまくる、古いものは捨てる・・・この繰り返し。
今はフェミニズムやらCO2削減やらICT革命がブームだが、これもそろそろ終わりそうだ。ざっくり言えば1960年代からの「グローバリズム的物質文明ビッグバン」が末期になり、「文明化の衝突と世界秩序の再創造」(ハンチントン)のようなガラガラポンを経て、多様な価値観を認め合うという「民族主義・ナショナリズム的な精神文明回帰」になるような気がする。
文明は興隆し、やがて衰退する。ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は五賢帝の時代を「パクス・ロマーナ、人類史上最も幸福な時代」と、平和と秩序の象徴のように書いており、EUの根底にはそれがあるのだという(川口マーン惠美氏)。
欧州の衝突の歴史を見ると、軍事力を含めた「バランス・オブ・パワー」、即ち合従連衡を含めた勢力均衡がある時は国際秩序は安定し、均衡が崩れると不安定になる(伊藤貫氏)。
国際交流とかは何となく良さそうだが、「友あり、遠方より来たる」、たまに交流するからいいのであって、しょっちゅう顔を突き合わせていれば「子をなした仲やない」という夫婦だって喧嘩する。
そういう距離を保った、祝祭や法事、大災害の時に顔を合わすような節度のある外国交際(外交)に戻った方が、世界はもっと安定すると思うのだが・・・長くなったので本題は次号に掲載します。(チャリの前輪のベアリングが壊れて、自転車屋に行ったが、修理に4000円かかるという。ブルーになってパワーダウン、Made in China もうウンザリだ! 関わるとろくなことにならない。私怨を公憤に転化したい気分)
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646