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雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(14」

2021-04-20 08:01:26 | 日記
雀庵の「諜報活動/インテリジェンスと日本(14」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/286(2021/4/19/月】古い本の間から新聞の切り抜きが出てきた。読売新聞の橋本五郎氏のコラム(2005/12/18)で、坂本多加雄・学習院大教授に触れている。


<3年前に亡くなった坂本教授が自国の歴史を描く作法について書いている。愛国心は、単に日本の美質を並べることから生まれるのではない。過去に生きた人々の様々な苦難や幸福や不幸、それに対処した精神の構えに対する「共感」の中から生まれるのではないか。


「歴史教科書の根底には、こうした意味での『共感』、過去に生きた自国の人々への『節度ある愛』とでも表現すべき感情が流れていなければならない」


「節度ある愛」とはなんという上手い表現だろうか>


敗戦後の日本の左巻きの連中には「節度ある愛」ではなく「節度ない憎悪」ばかりで、米国GHQとその犬(寄らば大樹のコラボレーショニスト、事大主義者、迎合者、太鼓持ち、転向者、売国奴、裏切者、リベラルを装うアカ)による国民洗脳教育も50年以上も経れば効き目が落ちてくるから、それではなかなか支持を得ることは難しくなる。(反共居士の小生は「節度ない憎悪&罵倒」だな)


今日たまたまスーパーのレジ脇で「文藝春秋」5月号を見かけたが、随分薄くなってオーラが消えていた。バブルの頃は「満広です」、つまり今月号は広告ページが完売しました、次号にお願いします、なんて出版界では夢のようなことを「文藝春秋」はやっていたという噂だったから、栄枯盛衰、諸行無常、盛者必滅・・・それにしてもレジ脇でスキンケアの本と並んでいたのはシュールだった。半藤一利、保阪正康は草葉の陰で苦笑しているか。


あっ、保阪はん、まだ生きてはる!? 堪忍や、穴があったら入りたい。<小林よしのりは、「戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観になっている」として、保阪の歴史観を「蛸壺史観」と評している>(WIKI)、上手いこと言うなあ。吾輩も「ヒッキー史観」にならぬよう気を付けねば・・・手遅れ?


我にも正義、彼にも正義、とかく正義は厄介だ。正義は≒私益≒党益≒国益でもあるから、戦争は「汚い手を使おうが勝てばいい、勝った奴が正義」となりやすい。正々堂々と戦い、勝者を讃え、敗者に敬意を表し・・・というスポーツやゲームではないから、結局は「バランス・オブ・パワー、勢力均衡」しか戦争抑止力はないようだ。隙間を作ると中共のように好戦的、侵略的な勢力が台頭し、いつの間にか秩序を棄損、覇者を目指すようになる。残念ながら「戦争と平和はあざなえる縄の如し」か。


前回、「真珠湾攻撃を偶然目撃したのが、英植民地下のビルマの政治家ウー・ソオ(ミスター・ソオの意)だった」と書いたが、小生の同期が「産経のゴロツキ記者」と嫌っていた高山正之先生が「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった」に、ウー・ソオ=ウ・ソーについて書いていたので要約、抜粋する。


<日露戦争の日本勝利により植民地の人々は「アジア人でも白人に勝てる」という思いを抱き、ナショナリズムが高揚して(1930年代の)独立運動になったという見方がある。しかし惨敗した。英史家ルイス・アレンは「植民地に独立の機会があるとするならば、一滴の石油も、一粒のコメも取れなくなった時」と評した。さらに「まずあり得ないが、もう一つの可能性は宗主国が裸足で逃げ出すような大異変が起きた時」とも。


ビルマで英国に反旗を翻したサヤサンの裁判で弁護人を務めたウ・ソーは「もう一つの可能性」を信ずるほど空想家ではなかった。彼は政界に転向し、政争の末に植民地政府首相に就任した。ウ・ソーは1941年11月にロンドンを訪ねている。「英国のために多くのビルマ兵を戦場に送る、だから戦後は独立を与えて欲しい」というのが目的だった。


その思いを英国滞在中「タイムズ」に寄稿している。「ビルマが知りたいのは、我々は世界の自由のために多くの国々とともに戦っているが、それはビルマの自由のためでもあるのか、ということだ」。ウ・ソーは英植民地相エイメリーに会い、首相のチャーチルにも会った。


チャーチルはビルマ首相の要求を突っぱねた。インド赴任経験もある彼は「白人は有色人種を導く神聖な使命を持つ」(J.R.キプリング*)と心から信じる白人優越主義者だった。ガンジーがニューデリーの総督府をサンダルで訪ねた時は「有色人種が女王陛下の建物を汚す」と目一杯の罵倒を並べた。


(*英国の作家。英国植民地インド生まれ。代表作に小説「ジャングル・ブック」など。1907年にノーベル文学賞受賞。キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり、「1984」で今人気のジョージ・オーウェルはキプリングを「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだとか。以上WIKIなど)


植民地は国ごと奴隷にするシステムだ。表向きは保護国にして有色人種に政府を持たせるが、自治権や明るい将来などあるわけもなかった。チャーチルはウ・ソーに会った後、英植民地相エイメリーに「彼らに必要なのは独立ではなく鞭だ」と語っている。


次いでウ・ソーは11月下旬、大西洋を渡ってFDRルーズベルトに会いに行った。FDRはその少し前に英戦艦プリンスオブウェールズの艦上で「いかなる国民も自分の政府を選ぶ権利を持ち、奪われた主権は回復されるべきだ」とする大西洋憲章*を発表していた。


(*1941年8月14日に発表されたルーズベルトとチャーチルの共同宣言で、第2次世界大戦後の世界平和回復のための基本原則を定めたもの)


ビルマはまさに主権を奪われ、さらに英植民地のインドの下に組み込まれる屈辱を受けていた。ルーズベルトならビルマの痛みを分かってもらえるとウ・ソーは信じていた。白人と戦って勝てないなら、彼らの良識にすがって奴隷状態を脱するしかない。


しかしルーズベルトはウ・ソーに会う気もなかった。その理由を側近に「大西洋憲章は有色人種のためのものではない。ドイツに主権を奪われた東欧白人国家について述べたものだ」と語っている。FDRの心を忖度すれば、日本を含めて有色人種が白人と対等のつもりでいることがむしろ腹立たしかった。


それにFDRはこの時期、やたら忙しかった。ハル・ノートを突き付けられた日本がやっと動き出したのだ。在ワシントンの日本大使館には頻繁に暗号電報が入電していた。天地をひっくり返す事態が出来する。その準備に忙しかった>(つづく)
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腹黒いのは白人のみならずウジャウジャいるが、堂々と威嚇脅迫する中共は「脅せば黙る支那民族」と「脅しには反発する世界の民」の違いが分かっていないのか、腹黒さ、狡猾さに欠けている面はある。戦後の米国はあちこちの戦争紛争に介入したが、ほとんど失敗したのは中共同様に新興国ゆえに「腹黒さ」「深謀遠慮」が不足しているためかもしれない。独立宣言のように「戦時にあっては敵、平時にあっては友」という具合には現実は動かない。


今朝の産経の古森義久先生の「対等な日米同盟を阻むもの」は面白かった。米国の論者が「日本の台頭を絶対許さないために押し付けた米国製憲法のために日本は動けない、どうにかしてくれ」と困っているとか。それなら米国はこう宣言すべきだ。


「日本の皆さん、日本国憲法は米国が1週間であちこちから引用して作った当座の即席憲法です、当時の日本は占領下で国家主権はありませんでした、それをごり押しして日本国憲法をMade in Japanとして米国が強制したものです。ですから国際法違反であり、無効です。どうか主権国家として本当の日本国憲法を創ってください。それで一緒に中共を潰しましょう」


本当の日本国憲法を創る・・・できるのか? 「国会で米国製憲法を24時直前に廃棄し、0時になったら即座に大日本帝国憲法に戻し、再び即座に暫定新憲法に移行する。暫定新憲法は国民の議論を重ね、3年後に国民投票にかけて改めるべきは改め、正式な憲法とする」――アクロバットみたいだが、これが一番スムーズではないか。「憲法改正」なんてそもそもできない仕組みになっているのだから、非常時には非常時のやり方で突破するしかない。米国からの独立戦争とか令和維新、その気概が必要だ。


戦争のできない国・民族は消滅する、戦争で勝った、頑張った国・民族は生き残る。臥薪嘗胆の時代は終わった。中共包囲戦でアジアの安定、世界の安心を進めるべし、世界は日の出を待っている。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646