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リベラルも親露から反露へ衣替え

2022-05-04 09:08:28 | 日記
リベラルも親露から反露へ衣替え
“シーチン”修一 2.0


【雀庵の「大戦序章」38/通算470 2022/5/4/水】1970年頃にジョージ秋山の漫画をきっかけに「阿修羅」「銭ゲバ」という言葉が流行った。学生は「銭ずら、銭がすべてずら・・・奴らは銭ゲバ、カネの亡者、アシュラ。カネで動く拝金教徒だ」なんて社会の風潮を罵倒しながら、就職では給料が良くて安定した大企業を目指した。


それから半世紀経った今でも文系学生の就職先人気は相変わらず商社、保険会社、銀行などが上位だが、商社は知力、気力、体力が求められる激務であり、何となく軍隊みたいで面白そう。保険とか金融は「失敗が許されない、冒険がしづらい、お堅いけれど安定した仕事」というイメージがある。


仕事を通じて保険会社の人と懇意になったが、彼曰く、20代の時に会社のサッカー部で練習中にアキレス腱を切断してギブス、「同期に遅れをとってしまう」と焦り悩んで大きなハゲができたという。「医者から、同期会にツンツルの“ハゲ”で出るか、出世は遅れても黒い頭で出るか、出世が大事か髪の毛が大事か、どっちを選ぶ?と聞かれてね、やっぱり髪の毛があった方がいい、と。で、ストレスがなくなって毛が生えてきたんだよ、あはははは」


飲み友達の女を通じて商社マンの美人の奥さんとも懇意になったが、旦那は海外出張が多く、日本にいても始発で出社、帰宅は終電、子供もいないのでその間は独りぼっち、無聊を慰めるためか万引きに手を染めて逮捕されてしまった。旦那は出世、保身のためなのだろう、女房を慰めることもなく離縁に至ったが、商社が社内結婚を奨励するのは商社マンの激務を知っている女、「亭主達者で留守がいい」というくらいのタフな女でないと、とてももたないからだろう。


無理が通れば道理が引っ込む。我を通せば反発を招く。野心を抱くのは結構だが、強引に事を進めると反発をくらう。特に国家がそれを行えば戦争になりかねない。プーチン・ロシアが「一点突破、全面展開」という強引独善的なパワー外交、武力行使を厭わない戦狼ヤクザ外交を始めたのは2007~2008年からだった。ロシア人経済学者、日本名・井本沙織氏の「ロシア人しか知らない本当のロシア」から。


<リーマンショックの2008年秋は世界の金融市場にとって試練の連続となった。ロシアの証券市場は2008年5月のピークから9月末までの間に50%近く下がり、ロシアの銀行は信用が低下、資金不足が生じた。


さらに石油価格が(1バレル)145ドルから91ドルまで急低下傾向を見せ、投資家の間で好況が終わるのではないかという懸念がくすぶり始めた。アメリカの金融市場が風邪をひくとロシアが肺炎になりかねないほどにグローバル化が進んだのだ。


一方でロシアの政治にも問題があった。2008年8月に勃発して幸い5日間で収まったものの、「グルジア戦争」が政治リスクを高めた。モスクワのグルジア料理レストラン「ベナツバーリ」は私のお気に入りだが、2007年の冬に行ったとき異変に気付いた。グルジアワインがなかったのである。「ロシアとの摩擦で輸入できなくなった」と支配人は怒っているような、悲しんでいるような表情で、グルジア人特有のアクセントで訴えた。


一つの家族のように多数の民族が共同生活を送っていたソ連の子供である私にとって、理解しにくい出来事だった。


そして2008年8月にこの悲しい戦争が起きた。政治は私の専門ではないので、ロシアのグルジア攻撃の是非を論じることはできない。しかし経済的なインパクトを考えても、外国投資家の間ではロシアに対する不安が高まったのは事実である。証券市場における外国投資家の割合は50%から80%と言われるほど外資への依存度が高いロシアにとって、このグルジア戦争が大きなダメージを与えたのは間違いない。


私は戦争を分析する専門家ではないけれど、こう思う。グルジアとの紛争はできるだけ武力ではなく外交的な方法で、欧米諸国とも相談して解決してもらいたかった。それができていれば、ロシアが国際的な金融市場の不調にあっという間に侵食されことはなかっただろう。


もしロシア・グルジア間の問題を平和的に解決できたならば、次世代の世界秩序づくりへの貢献となり、ロシアが国際社会の一員であることを世界に知らせ、ロシアの国力を世界に示すことができただろう>


KGB工作員としてソ連による世界制覇、汚濁に満ちた資本主義を叩き潰して世界を共産主義一色にする世界革命を目指していたプーチンにとっても、ソ連崩壊は打撃だった。白タクや臨時雇いなどで糊口をしのいでいたが、夢は多くの共産党員=特権階級と同じく「強いソ連の復活」だったろう。目ざとい党員はドサクサ紛れに新興財閥にのし上がってロシア流の資本主義経済を謳歌するようになったが、大統領エリツィンの汚職疑惑を隠蔽してエリツィンの懐に入り込んだことが大統領へのプーチンの第一歩になったようだ。


不安定な政権を握ったプーチンはどうにかロシアを“新興国”にまで盛り上げたが、軍事パワーが付いて来るとかつての強国への復活という野心を募らせていった。その始めの一歩がグルジア侵略で、グルジアは国際世論も無視、軽視する中で侵略されたのだ。どれほど悔しく情けない思いをしただろう、後に国名をロシア式から「ジョージア」に変えたことからもうかがえる。ウクライナは今、第2のグルジアにはならない!と必死で戦っている。義を見てせざるは勇無きなり、ウクライナを支援し、プーチンを叩くべし。


「ロシアの国内総生産(GDP)は2020年で1.5兆ドルにすぎない(1ドル100円とすれば150兆円)。イタリアの1.9兆ドル、韓国の1.6兆ドルよりも小さい」(原田泰・名古屋商科大学教授)。


ロシアは軍事大国、エネルギー大国ではあっても経済基盤はとても「大戦」に耐えられそうにないが、どうなんのだろう。鶴岡路人・慶應義塾大学准教授の論稿「停戦の意味が失われるとき――ウクライナ戦争における転換点」(笹川平和財団202/4/27)から。


<2月24日のロシアによるウクライナ侵略開始以降、軍事作戦に関しては明確な段階分けが存在する。ロシアは当初、首都キーウを標的にし、ゼレンスキー政権の転覆を目指していた。数日で首都を陥落させられると考えていたようだ。


侵略開始からほぼ1ヶ月の3月25日になり、ロシア軍は、第1段階の目標が概ね達成されたとして、第2段階では東部ドンバス地方での作戦に注力すると表明した。キーウ陥落の失敗を認めたわけではないが、実際には方針転換の言い訳だったのだろう。その後、ウクライナ東部さらには南部での戦闘が激しさを増している。


そうしたなかで強く印象付けられるのは、ウクライナによる激しい抵抗である。ロシアがウクライナの抵抗を過小評価していたことは明らかだ。加えて、米国を含むNATO(北大西洋条約機構)諸国も、ウクライナのここまでの抵抗を予測できていなかった。ロシアの侵略意図については正確な分析を行っていた米英の情報機関も、ロシア軍の苦戦とウクライナの抵抗については、評価を誤ったのである。筆者もウクライナの抵抗能力について、当初は極めて悲観的だったことを認めざるを得ない。


以下では、こうしたウクライナ戦争の推移のなかで見えてきた大きな転換点として、ウクライナにとって停戦の意味が失われてきていることについて考えたい。


【ロシア軍の占領下で何が起きていたのか 明らかになった市民の多大な犠牲】命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているように見えることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。


さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとで行われるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである>
・・・・・・
降伏したからといってロシアが「ゲームオーバー、ノーサイド、仲良くしようぜ」とならないことは先の大戦で日本は知っている。ソ連は日ソ中立条約を無視して対日参戦、日本の領土を奪い、戦争捕虜を国内法で裁き、奴隷にした。その非道は今でも変わらない。ロシアに襲われたらトコトン戦うしかない。あるいは譲歩して領土を割譲し「他日を期す」しかないが、それは屈辱と奴隷の日々で、ウクライナは断固として拒否している。ウクライナ人は言う、「我々は表は赤い赤カブを装ってきたが、一皮むけば白カブなのだ」と。同国の近代史はロシアとの戦いの軌跡でもある。WIKIから。


<1918年、ロシア革命後に、ウクライナ人は「ウクライナ人民共和国」の独立を宣言したが、ロシアの赤軍に破れ、1922年に「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」という傀儡政権としてソ連に取り込まれた。1920年代から1940年代にかけてロシアの共産党は、ウクライナの重工業化・集団農場化・共産化を行った。


その結果、ウクライナ的な生活様式と多くの文化財が崩壊され、1932年から1933年にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉が起こった。1920年代には、ウクライナ人が多数派であった地域のスタヴロポリ地方、クラスノダール地方、スタロドゥーブなどをロシアが併合し、(その見返りなのか、ロシアは)1954年にロシア人が多数派であったクリミアをウクライナに譲った。


1991年にソ連が崩壊し、8月24日にウクライナはソ連から独立を宣言、12月5日にロシアはウクライナの独立を承認した。ソビエト連邦の崩壊以降、独立したウクライナとロシア連邦の関係は良好とはいえず、緊張状態が現在まで続いている>


ロシア帝国、ソ連、ロシアと名前は変わってもロシアは永遠に独裁国家で、ロシア人も永遠に強者に従う事大主義者のように見える。民族性なのか、ちっとも成長しない、不思議といえば不思議だ。ドーピングはダメ、といくら言われても懲りずに違反し、戦時には略奪、強姦をする。まるで1000年、2000年前の蛮族のよう。学問の自由、報道の自由がないからアカのプロパガンダや洗脳により、国民の思考能力が発展しないのだ。学ばざれば昏し・・・気の毒だけれど、どうすることも We can not だ。


スイスは政治亡命していたレーニンをドイツなどの協力を得て「封印列車」でロシアに送ったが、スイスは人道上の善意から、ドイツはロシアで内乱を起こさせるという狡猾な外交戦略から行った。歴史に「If」はないとは言うけれど、もしスイスが当時、世界史的な危険人物であるレーニンを拘束していればソ連やプーチン・ロシアはなかったかもしれない。残念なことだ。


公安調査庁金沢公安調査事務所長など公安調査庁職員としてロシアを担当していた日本戦略研究フォーラム政策提言委員の藤谷昌敏氏(現・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員)の「世界に理解されないプーチンの思想と論理――今も生きるソ連時代のゆがんだ理想」は実に説得力があった。


<かつて米国のラスク国務長官は、「独裁者は自己の発言を必ずやるものだ、ということを信じなかったために、民主主義諸国は膨大な代償を払わされた」と発言した。


ラスク氏はケネディ大統領時代の国務長官であり、一貫して共産主義に対する軍事行動をためらわないタカ派として知られていた。先の言葉は、朝鮮戦争における予想外だった中国参戦やキューバ危機の際のソ連の強硬な態度を指して述べたものだ。


2022年、我々はウクライナで、このラスク氏の言葉を強く実感することとなった。今回のウクライナ侵攻前、プーチン大統領は「今のウクライナが常にロシアにとって脅威だから、ロシアが安心して発展し存在することができない」と主張した。さらに「自分の目的は、威圧され民族虐殺に遭っている人たちを守るためだ」とし、ウクライナの「非軍事化と非ナチス化」を実現すると発言した。


実際にウクライナで民族虐殺は起きていないし、ウクライナは民主国家で、大統領はユダヤ系で、もちろんナチスではない。ゼレンスキー大統領は「ロシアによる侵攻は第2次世界大戦のナチス・ドイツによる侵略に匹敵する」と強く反発している。プーチンの主張に対し、西側諸国では「プーチンの言っていることは嘘ばかりで、今回の侵略はロシアの前時代的な戦略観に基づいた蛮行でしかない」との見方が強い。


だが、ソ連の初代議長だったレーニンが「資本主義と社会主義が残る限り、我々は平和に暮らすことはできない」と言ったように、ソ連時代、「平和とは、紛争や戦争がないことを意味するのではない。本当の平和は共産主義が世界を征服するまでは実現されることはない。全人類が共産主義のもとに生きるようになればすべてが静かになる」との平和論に満ち溢れていた。


その“真の平和”の実現のために米国など西側諸国に対峙した最前線の組織がソ連国家保安委員会KGBであり、KGBの栄光と破滅の中で生きてきたプーチンにとっては、ロシアを再び最大版図だった栄光の時代に戻すことが夢であったとしても何ら不思議ではない。


そしてプーチンは、最も尊敬する人物として元KGB議長でソ連共産党書記長となったアンドロポフの名前を挙げている。プーチンは、アンドロポフを称賛し、記念の執務室や銘板を復活し、2014年にはその功績を讃える記念切手を発行した。さらにサンクトペテルブルク市街地にアンドロポフの銅像を立てるなど、歴代のソ連の指導者とは別格の扱いで顕彰している。

【プーチンに影響を与えたアンドロポフ】アンドロポフは、1914年6月15日にロシア帝国スタヴロポリ地方で出生した。電信技師、水夫、水道工事屋を経て、共産青年同盟に入って、フィンランドのカレリア地方をソ連に併合する役目を見事に成し遂げた。1967年にKGB議長に就任してから15年の長きにわたって議長の座に君臨し、1982年にはKGB出身者として初のソ連共産党書記長となった。


アンドロポフを書記長に押し上げた最大の功績は何と言っても「ハンガリー動乱」を失敗に導いたことだ。1954年、アンドロポフはブダペスト駐在ソヴィエト大使に就任したが、2年後の1956年10月23日にハンガリー動乱が勃発した。ハンガリー国民の多くがデモ行進に参加し、武器を持って立ち上がり、社会主義の打倒を目指した。


アンドロポフは、この事件を「反革命、反社会主義の暴動」と非難し、ハンガリーの進歩的なナジ・イムレ政権を転覆させる陰謀を張り巡らした。まずアンドロポフは、ナジ・イムレに「心からソ連軍のハンガリー撤退について交渉する用意がある」と熱意をもって伝え、「ブダペストに進駐したソ連軍が引き揚げた」という虚偽の情報を与えた。ナジが「新しいソ連軍がハンガリーに向けて進軍中との情報を得た」とアンドロポフに訴えると、「その報告は誇張されたものだ」とナジをなだめたが、実際にはソ連軍の増援がハンガリー国境を越えつつあった。


11月3日になるとアンドロポフは、ハンガリー動乱の立役者だったパル・マレテル国防相をソ連軍の撤退について話があると騙して夕食に招待し、夕食の席にKGB暗殺部隊が乱入してマレテルを殺害した。


ソ連軍により反乱が抑えられると、ナジたちはユーゴ大使館に避難したが、アンドロポフは陰謀を巡らし、恩赦するとの嘘の宣誓をナジに送り、大使館から出てきたナジたちを拉致して秘密裁判にかけて処刑した。


この過程で2500人以上のハンガリー人が死亡し、この冷酷な弾圧と陰謀故にアンドロポフは西側諸国から「ブダペストの虐殺者」として知られることになった。その後、アンドロポフがKGB議長に就任すると、一方で情熱をこめてデタントを説きながら、西側に対する攻撃の速度と規模を大きく拡大していった。


当時、アンドロポフは部下に対し、「平和共存は階級闘争の一つの形態に過ぎない。それは経済、政治、思想というあらゆる戦線における厳しい戦いを意味する」「社会主義と資本主義の歴史的な対決の戦場は全世界であり、経済、思想、政治という社会生活の全局面にわたっている」「KGBには休戦も息を抜く暇もない。またそんなものはあり得るわけもない分野で活動している」などと激しく叱咤したとされる。

【アンドロポフの亡霊】アンドロポフがKGB議長に在籍していた間、1975年にKGB入りした若きプーチンがこうしたアンドロポフの厳しい指導と類まれな謀略理論、イデオロギーによる偏った思想に強く影響されていたことは想像に難くない。


アンドロポフは、1984年に糖尿病が悪化して死亡したが、現代のウクライナ侵攻にも未だに何らかの影響を与え続けている。1974年、アンドロポフはKGBの各作戦部長を集めて対テロ特殊部隊を編成した。その任務は、米国など西側諸国に世界的規模で攻撃を強めることであり、西側同盟の破壊と米国の孤立化を図ることであった。


彼ら(KGB)は、レーニンが唱えた「私の言葉は(相手=敵が)嫌悪、反発、軽蔑感をかきたてるよう計算されている。(相手を)説得するのではなく、相手の戦列を撃ち破るのであり、相手の誤りを直すのではなく、相手を破壊するのであり、地球上から相手の組織を一掃するためなのだ」との哲学を実践するために設立されたのだ。


この対テロ特殊部隊は、現在、ロシア連邦保安庁FSB傘下の特殊部隊「アルファ」と呼ばれ、1998年にはプーチンが直々に改革・強化に着手した。特殊部隊「アルファ」は残忍な行為で有名で、今回のウクライナ侵攻にも投入され、ウクライナ・ブチャにおいては非戦闘員の殺害にも関与したとされる。アンドロポフの亡霊が、未だにロシア国内、少なくともプーチンの頭の中で彷徨っているのかもしれない。(ジョン・バロン著『今日のKGB』、C・アンドリュー他著『KGBの内幕』より)>


「一度アル中、一生アル中」と言われる。治療は「断酒」しかないのだ。「これくらいならいいだろう」と飲んだらアル中が復活して野垂れ死ぬのである。“飲酒復活死”は小生を含めたアル中患者の5割にもなる。


「一度アカ、一生アカ」でもある。一般的に1、2年で洗脳されるが、そこから「人間を、正気を取り戻す」には10年、20年かかる。大体、アカに染まると激しい「私は正義病」症状になり、深く付き合う人々も同病であり、それで糊口を凌ぐようになったりすると、除染しようという気さえ起らない。病膏肓。


小生はアカへの疑念が生じてから、やりきれないほどの心の空白を酒で紛らわしているうちにアル中になってしまった。アカ+アル中、最悪だ! どうにかまともになるのに20年ほどかかってしまい、今はまともを通り越して「気分はすっかり反共極右」、のめり込むタイプだから、この先どうなるやら・・・ん?、親露中の秋田の殿様が・・・


<佐竹敬久・秋田県知事は2月24日、ロシアがウクライナに侵攻したことに関し「どんな民族的な事情があっても、独立国に攻め入るのは論外だ」と批判した。日本政府が取るべき対応として経済制裁の強化を挙げ、「遺憾とか言葉だけでは駄目だ。あっちが困ることをやらないといけない。力には力だ」と語った。県庁で報道陣の取材に答えた。今後の日ロ関係については「当面、交流は控えるべきだ」と述べた>(秋田魁新報)


殿ご乱心? それとも覚醒? 世の中は流動している、だから興味津々、明日を信じて前進すべし。
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戦争が新しい世界秩序を創る

2022-05-02 08:52:20 | 日記
戦争が新しい世界秩序を創る
“シーチン”修一 2.0


【雀庵の「大戦序章」37/通算469 2022/5/2/月】2009年に予定通り58歳でリタイアしたのは、父が63歳で昇天したので小生もそのくらいでお仕舞だろう、5年ほどはのんびり暮らしたい、と思っていたからである。


ところが86歳の母が呆けてきたので家事と介護で3年が過ぎ、看取った2012年から面白おかしく好き勝手に伸び伸びと暮らし始めたが、好事魔多し、アル中が高じて2016年に発狂して強制措置入院。お陰で爆発寸前だった肝臓や高血圧も正常化されたが、一度発狂、一生発狂で、壊れた脳みそはそこそこ回復したものの、鬱病で気分が時々落ち込み、その際は死に神がとりつき「どうやったらカッコ良く死ねるか」ということを考えるのが常になった。


「カッコ良く死ぬ、立派な最期」、これがまた難問で、結局は「天下これ道なきや久し。天まさに夫子を以て木鐸となさん」(論語)、それを目指して行くのが晩年の道だろうと考えているうちに「悪の枢軸、中露朝と共産主義の絶滅こそ天の意、撃ちてし止まん」という「解」に至り、そうだ、死ぬまで「口舌の徒」として生きようという気分になった。


大体、このパターンの繰り返しで鬱を克服しているが、元気になると病識をすっかり忘れてしまい、また鬱になると「どうやったらカッコ良く死ねるか」と考えるようになり、ちっとも成長しないのは嘆かわしい限りだ。因果応報か?


死に神はそーっとやって来るから、電車のホームに立っていると「飛び込んでみたらどうなんだろう・・・」なんて考えている自分に気づき、ゾッとしてホームの端から離れたりする。チャリ散歩中はごっついダンプカーの大きなWタイヤなんて見るとあまりにも蠱惑的、煽情的でこれまた飛び込みたくなるなので見ないようにしているが、まったく厄介なビョーキだ。


まあ、2か月に1週間くらい変な感じになるが、「ミンチになって死ぬのは嫌だ、カッコ良く死にたい」という“見栄”がブレーキになっているのは俗っぽくて面白い。


同病の諸君、当てつけ自殺や、他者を巻き添えにする死刑願望の通り魔殺人は邪道である、有意義な意味のある死を美しく死ね! そのためには有意義な意味のある生を求めて必死で生きなければならない。先人曰く「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」、努力と哲学と美学のない自死はダメ、絶対!


小生が開祖である「心の道標」教団、通称ミチシルベは「カッコ良く生き、カッコ良く死ぬ」を説いているが、今や信者は溢れんばかり。まあスズメ45羽、ムクドリ10羽、ハト6羽、ヒヨドリ2羽ほどが食事目当てで来るだけだが・・・スズメの恩返しは「白い糞」だけ、ふーん。


災い転じて福となす、「露中北の解体、共産主義絶滅」は小生の生き甲斐だ。以下は小生が発狂して急性期閉鎖病棟に措置入院していた2016年11月10日、ノートとボールペンを差し入れてもらい書き始めた日記による。


収監からわずか10日目であり、読み直すとキチ〇イとはとても思えない感じがするが、今から振り返れば実は脳みそがかなり痛んでいた時である。一見マトモのように見えても実は精神異常、私は正義病、プーチンそっくりのようなのでご参考までに追々紹介するが、以下は「戦争とは何か」を考える上でヒントになりそう。ご笑覧下され。
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ジョン・マケイン米共和党上院議員はベトナム戦争の英雄である。曰く「戦争には栄光と挫折、名誉と屈辱、喜びと悲しみ、希望と絶望、信頼と裏切り、愛と憎しみ、生と死・・・すべてがある」。


戦争は殺し合いだから、ない方=平和が良さそうだが、「今の世界」は戦争の結果であることは確かである。西郷翁は「焦土の中から新しい時代が生まれる」と語っていたが、良いか悪いか、望ましいか疎ましいかはさておき、時代を大きく変えてきたのは、冷戦であれ熱戦であれ、グレーゾーン戦であれ、戦争だった。これからもそうだろう。


戦争の日々には、穏やかな日々もあれば、激しい戦闘もあり、平和の時代の100年分が2、3年に凝縮されるのかも知れない。「ラバウル第二〇四海軍航空隊戦記」に記された戦いは、そんな濃厚な日々を伝えている。
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【六十九対〇 ラバウル上空凱歌あがる】真っ青な空。そして南海特有のよく発達した積乱雲。南緯四度。東京から南に遠く五〇〇〇海里(9000キロ)のラバウル基地の熱い一日が、今日も始まろうとしていた。


このところ数の優勢を誇る米軍の空襲が激しく続けられ、毎日午前十時四十五分ごろになると、まるで定められた日課のように米空軍の百数十機が戦爆連合(戦闘機と爆撃機)で来襲する。これを迎え撃つのはわが第二〇四海軍航空隊(二〇四空)および二五三空の両戦闘機隊で、いずれも零式艦上戦闘機、即ち「零戦」で装備された精鋭たちであった・・・


昭和十九年(1944)一月十七日。天候は晴れ、前夜は降雨のため飛行場は少しやわらいだ・・・「今日も敵さん来るかな」と横山飛長がもどかしそうな声を上げる。「今日の敵さんは全機撃墜だ!」、わめくように大声で叫んでバシッと手を叩いたのは小町一飛曹だった・・・


午前十時十分、セントジョージ岬の監視哨から急報が入った。「敵戦爆連合二〇〇機、ラバウルに向かう」。間髪を入れずに二〇四空司、柴田武雄中佐の“発進”命令が発せられ、指揮所わきのポールにスルスルとZ旗が全揚された。サイレンや指揮所の鐘がけたたましく鳴りひびき、待機していた搭乗員たちが落下傘バンドをつけるのももどかし気に、一斉に愛機のもとへ走っていく。


たちまち起こるエンジンの爆音が基地を揺るがすと見る間に、早や一機、二機、次いで数機ずつ、前後左右の間隔を適当に開きながら、スロットル全開で滑走路を西方に突っ走る。火山灰層の飛行場はたちまち全力で離陸滑走する多数の零戦のプロペラ後流が巻き起こす物凄い土煙で、後続機の大部分が見えなくなるが、その中を突っ切って零戦が猛然と飛び上がる。


離陸滑走のちょっとしたタイミングの違いで、土煙を抜けて視界がひらけた途端、すぐ目の前に先に離陸した零戦の尾翼があったり、脇の下から忽然として他機が現れたりする。よくもまあ、これで接触事故が起きないとは不思議という他ない。


今日の出撃四十三機の発進完了はわずか三分足らず。連日の迎撃戦で鍛え抜かれた神業に近い。いつもながらの見事な緊急発進だ。そして、上昇しながら思い思いに編隊を組み、しだいに集結しガッチリと戦闘体勢を固める。


シンプソン湾を大きく左旋回しながら編隊が大分高度を取ったと思われる頃、南方の台地にあるトベラ飛行場から飛び立った二五三空三十六機が合流してきた。合わせて八十機近くに膨れ上がった零戦隊は、整然と静かに旋回しながら上昇を続ける。


やがて高度六千メートル、空も海も藍一色の中を、刻一刻迫る戦機を求めてセントジョー岬を指向する。ふと下を見ると、空襲を避けて湾外に退避する艦船の白い航跡が、幾条となく湾外に向かっている。


戦闘機の迎撃は、上がるタイミングが難しい。早すぎれば気分的にダレるし、遅すぎれば態勢が不十分でどちらも好ましくない。高度をとり、戦闘準備を整えて「さあ来い」と気分が乗って一呼吸してから会敵するのが理想的だ。生粋の戦闘機育ちである司令柴田中佐は、この辺の微妙な戦場心理をよく心得ており、発進の合図をいつ下すかに最大の神経を集中していた・・・


頃合い良し。ガゼル岬にさしかかった時、セントジョージ水道上空に浮かぶ高度の高い白雲をバックに、おびただしい小さな黒点を発見した。「敵発見!」


翼をゆっくりと振る指揮官機の合図を待つまでもなく、食い入るように敵編隊を見つめる搭乗員たちを一瞬、武者震いが襲う。これから食うか食われるかの死闘が始まろうとしているのだ。何回戦闘を経験しても、激しい緊張からくる筋肉のけいれんを押さえることはできない。


これまで静かだった編隊がにわかに動き出し、四機編成の小隊は二機ずつに分かれて戦闘隊形をとった。キャノピー(風防)の中の酸素マスクも物々しい顔と顔がうなずき合い、ベテランは若手の緊張を解きほごすべく、「しっかりやれよ」と目で笑ってみせる。


大編隊同士の行動は単機のように身軽にはいかない。特に爆撃機を伴う敵編隊では直さらだ。高度の優位をもった零戦隊は、敵の後ろ上方に占位すべく、指揮官機の誘導で大きく左に回り込もうとしていた。


敵は爆撃機の上にかぶさるように直掩戦闘機隊、その前方と後ろに一軍の戦闘機隊を配し、直掩戦闘機隊は二軍に分かれて左右からクロスしながら、いわゆるバリカン運動で爆撃機援護に万全を期しているようだ。


こうしている間にも黒点の群は急速に大きく膨れ上がり、双発胴のロッキードP38や、逆かもめ型のチャンスボートF4Uなどの特徴ある形が認められるようになった時、再び指揮官機の力のこもったバンク。いわずと知れた全軍突撃せよの合図だ。


ただちに左下方に敵編隊を見る位置から、指揮官機を先頭に敵編隊に突入し、敵味方合わせて300機に及ぶ大空中戦の火蓋が切られた。
・・・・・・・・・
男のDNA、戦士の血が騒ぐ。長くなったので一応引用は終わりにするが、良いところで終わりにするのは子供の頃の紙芝居屋みたいだ。希望があれば続けたいので乞う連絡(小生もじっくり楽しみたい。戦争オタクの気持ちが分かるなあ、月刊「丸」は軍事の今日明日を伝えればもっと売れるだろう)。


第2次世界大戦後の「国連中心の国際安定システム」がプーチン・ロシアによって壊され始め、世界は新たな安定システム構築を進めていく冷戦や熱戦の「戦争の時代」になった。ヒト・モノ・カネの開放的な世界から「閉じる世界」、ブロック外交経済への時代に向かうのだろう。大西洋を挟んだ「欧米加同盟」、インド太平洋の「日米豪印加台同盟」、共産主義圏の「中露露北同盟」、イスラム系諸国の「中近東アジア同盟」の4つの巨大ブロックが形成され、基本的に「域内自給自足」になるのではないか。


グローバリズムやGDP至上主義の時代は終わりつつある。21世紀の戦争が21世紀の新しい世界秩序を創る――これは確実だろう。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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露中に無力な国連は要らない

2022-05-01 06:52:34 | 日記
露中に無力な国連は要らない
“シーチン”修一 2.0


【雀庵の「大戦序章」36/通算468 2022/5/1/日】散歩しながらこう考えた。「戦時にあっては敵、平時にあっては友、戦争は終わったのだからノーサイド、仲良くやろうぜ」、そう勝者は言うが、敗者は心の中ではこう思う。「ざけんな、さんざん無差別爆撃し核爆弾まで落として占領し、主権を奪いながら一方的に断罪しておいて何がノーサイドだ、いつか必ず祖国を取り戻すぞ!」。それが当然だ。特に男はそうだ。女も大きな悲しみに包まれる――


♪赤いリンゴに くちびる寄せて だまって見ている 青い空 リンゴは何にも いわないけれど リンゴの気持ちは よくわかる リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ・・・


<「リンゴの唄」は1945年の日本の楽曲。並木路子、霧島昇(霧島の共唱はオリジナル版のみ)によって発売され、日本の戦後のヒット曲第1号となった。作詞はサトウハチロー、作曲は万城目正。第二次世界大戦敗戦後の日本で戦後映画の第1号「そよかぜ」(1945/昭和20年10月11日公開、松竹大船)の主題歌及び挿入歌として発表された。


可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなった。


吹き込みの際、万城目正はたびたびダメを出し「もっと明るく歌うように」と指示したが、この注文は当時の並木には酷だった。並木は戦争で父親と次兄を亡くし、自身も1945年3月10日の東京大空襲で猛烈な火炎に追われ隅田川に逃げ込んで助かったものの母親を亡くしていたのである。さらに大空襲で大勢の人々が死ぬのを目の当たりにし、どうしても明るく歌えない並木に万城目は「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれた・・・>(WIKI)


同志諸君、泣けるなあ、次は勝とうぜ!


「リンゴの唄」がサトウハチローの作詞とは知らなかった。小生は小学4、5年生くらいには谷内六郎の表紙で知られる週刊新潮「黒い報告書」を愛読していたから、谷内六郎の妹は「ろくちゃん」ファンの小生に感激して「大人のキッス」を教えてくれた。谷内六郎が絵を添えたサトウハチローの詩集があるから、並木路子を含めてみんないい人だったに違いない。


伊豆の踊子曰く「いい人はいいね」、悲しい思いをした人は優しくなる。ワルはならないね。思うようにならないと「恨みはらさでおくものか、復讐するは我にあり」、プーチンはまるで下郎の逆恨み。「プーチン氏『全ての手段、使うための決定は終えている』マリウポリ製鉄所に爆弾多数投下」読売2022/4/28から。


<ロシアのプーチン大統領は27日、ウクライナ侵攻に関連し、第三国が軍事介入すれば「我々の反撃は稲妻のように素早いものになる」と述べた。核戦力を念頭に米欧を威嚇した発言だ。米欧が武器供与などのウクライナ支援を拡大していることへの危機感が、背景にあるとみられる。


露大統領府によると、プーチンは露西部サンクトペテルブルクで演説した。プーチンは、核搭載可能な極超音速兵器の開発で世界をリードしていると自任している。演説では「我々はほかに誰も持っていないような全ての手段を持っている」と主張し、「必要があれば使う。そのための決定は既に終えている」と説明した。


米欧では、プーチンが核兵器の使用も辞さない構えを示したと受けとめられている。米国防総省のジョン・カービー報道官は27日の記者会見で「核保有国として(核使用の)話題を持ち出すこと自体が無責任だ」などと批判した。


タス通信によると、ロシア軍の支援を受けるウクライナ東部ドネツク州の親露派武装集団トップは28日、5月9日の旧ソ連による対独戦勝記念日の軍事パレードについて、同州では当日は実施せず、軍事作戦の終了まで延期する方針を明らかにした。これにより、露軍の侵攻は5月9日以降も継続することが確実な情勢になった。


ウクライナ国営通信は28日、南東部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所の敷地内にロシア軍が爆弾を多数投下し、死傷者が出ていると伝えた。製鉄所には民間人約1000人とウクライナ軍の兵士らが残っている。


米政策研究機関「戦争研究所」は27日、ロシア軍がドンバス地方(ドネツク、ルハンスク両州)に向け南進する拠点としているハルキウ(ハリコフ)州イジューム周辺で「わずかだが着実に前進している」との分析を明らかにした。露軍の東部への戦力集中が効果を上げ始めた可能性がある>


プーチンは戦果を挙げるまで侵略戦争をやめられない。戦果なくやめたらプーチンの政治生命は終わりである。勝つか負けるか、どちらであろうと確実なのは包囲網でロシア経済は相当なダメージを喰らうということだ。


ロシアの友好国には集団安全保障条約機構(CSTO)加盟国のアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンがあるが、いずれも小国である。それ以外に大国のインド、中共などの友好国があるが、軍事でもロシアと一蓮托生で歩を進めるかどうかは怪しい。一番頼りになりそうなのは中共だろうが、中共がロシアのために大顧客のEUや米国陣営を敵に回すような愚は犯すはずがない。


柯隆・東京財団政策研究所主席研究員の論稿「ウクライナ危機で中国政府は大ショック、庶民はロシア応援」時事2022/4/3から。


<中国の一般庶民はウクライナのことをあまり知らない。逆にロシアは身近な存在である。中国の公式メディアやSNSでは、「ウクライナが米国を中心とする先進国の手先となって、ロシアを追い詰めているから、ロシアは反撃している」といわれている。民衆の間では「ロシア、頑張れ」の声が上がっている。


これに対して、知識人の間で事情をよく知っている人は少なくない。言論統制されているため、声を上げることができないが、心の中でウクライナを応援する人は多い。中にはプーチンのロシアと手を切るべきだと主張する政府系シンクタンクの研究者も現れている。


◆軍事技術の源泉はロシア:ウクライナ危機を見た中国政府は大きなショックを受けているはずである。なぜなら、中国の軍事技術の源泉はロシアだからだ。ロシアが短期間にウクライナを攻略できると中国は確信していたが、1カ月たっても、ウクライナを攻略できていない。


すなわち、ロシアの軍事力が本当に強いものかどうかが今、疑われている。単なる「張子の虎」ではないかとさえ思われている可能性は高い。


なぜ中国政府がショックを受けるかというと、もし、ロシアから導入した軍事技術をもって台湾に侵攻したとしても、本当に台湾を攻略できるのか、自信を失ってしまう可能性がある。すなわち中国軍が台湾に侵攻した場合、短期間に台湾を攻略できなければ後方から補給が追い付かず、失敗に終わる可能性が高いからである。


中国政府はロシアと米国の間で、自分にとって最も得する解を求めようと損得勘定を一生懸命しているところである。米国などからは、中国がロシアに軍事支援した場合、重い代償を払うことになると警告されている。


◆習政権の本心:これに対して、駐米中国大使の秦剛氏は米CBSの番組に出演した時「中国はロシアに軍事支援をしていない」とコメントした。このコメントから中国はロシアへの軍事支援による代償を十分に認識していることが分かる。もう少し時間がたってロシアの敗戦がはっきり見えれば、中国は自然にロシアと距離を置くようになると思われる。


中国経済が先進国に依存しているのは明白な事実である。それを無にしてロシアと同盟を組むことはあり得ない。ただし、米国から経済制裁を受けている中国政府は米国に対する警戒も強めている。


習近平政権の本心は、米国との関係を改善したいということである。しかし、ここ数年の米中対立の溝はあまりにも深い。簡単には埋まらないだろう。


中国の国内政治をみると、民主化する兆しは全くない。米国は一定の緊張感を持って中国と付き合うことになる。中国も米国には近づいていけない。これからは、ある種の準冷戦の状態に突入していく可能性が高い>
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ロシアについては準冷戦どころか間違いなく「第2次冷戦」、最悪なら「第3次世界大戦」になる。西側諸国の多くは「ロシアや中国に対して我々は評価が甘かった、手なずければ大人しくなると思っていたが、とんでもない戦狼、狂犬になってしまった、檻に閉じ込めて自滅させるに如かず」と苦い思いをしているだろう。赤色帝国は一度アカ、死ぬまでアカ・・・残念ながらそういうことだ。


散歩から帰るとナンミョーのパンフレットが置かれていた。もうすぐ参院選挙だから親戚の女が持ってきたという。何十年も音沙汰がないのに「選挙よろしく」って・・・どういう神経しているんだとゴミ箱に捨てたが、まあブログのネタにでもなるかとページを開いたら、山口那津男と姜尚中の対談があった。かねてから山口の顔つきは半島人みたいだと思っていたが、反日屋の姜尚中(在日韓国人二世? 日本国籍取得?)をお気に入りとはちょっと驚いた。山口はナンミョー“ヨイショ”のラスプーチン佐藤優や中共も大好きらしい。悪趣味かつ自殺的暗愚。産経2021/7/2「中国共産党に祝電 二階氏は恥を知らぬのか」から。


<自民党や公明党、立憲民主党など日本の多くの政党や有力な政治家が、中国共産党の創建100年を祝うメッセージを送った。民主主義を奉ずる国の政党、政治家の行動にふさわしくない。日本の名誉と国益を損なうものでもある。


自民は二階俊博幹事長、公明は山口那津男代表、立民は枝野幸男代表、社民党は福島瑞穂党首の名義で、電報などで祝賀のメッセージを伝えた。立民の小沢一郎衆院議員、河野洋平元衆院議長もメッセージを送り、中国共産党の歩みを称えた。


自民、公明、立民は、中国側から要請があったため儀礼的に送ったと説明している。各党と中国共産党の交流に歴史があるのは確かだ。だが、今この時に祝意を伝えることがどのような意味合いを持つのかきちんと考えたのか。


独裁政党であり、自由や民主を求める人々の弾圧者であり、国際秩序の撹乱者である中国共産党を後押ししたことになる。国際社会から批判されている中国共産党は外国の政党などからの祝賀メッセージを、自己正当化の宣伝材料に用いている。安易に祝意を伝えた二階、山口、枝野各氏の見識のなさには驚く。恥ずかしくないのか。


枝野氏は記者会見で、香港やチベットなどへの人権侵害を忘れたものではなく、隣国としての儀礼的なメッセージだと説明した。山口氏は記者団に「一つの政党で100年を迎えること自体、なかなかない。なお一層、世界の平和と発展、安定のために力を尽くしていただきたい」と述べた。何を吞気なことを言っているのか。


問題は新疆ウイグル自治区や香港などでの深刻な人権侵害にとどまらない。中国共産党の政権は尖閣諸島(沖縄県)を奪おうとしている。台湾を武力で威嚇している。南シナ海では国際法を無視して覇権を追求している。


日本の政党は、昔からの惰性で中国共産党と「友好」を続けてはいけない時代になったと自覚すべきだ。弾圧に苦しむ人々や国際社会の目を気にしてもらいたい。


創建100年への不用意な祝賀は、中国共産党の歴史的過ちを不問に付す問題もはらむ。天安門事件や文化大革命、大躍進運動、革命時の混乱で何千万人もの犠牲者が出た悲惨な歴史に目をつむって祝意を伝えるなど言語道断だ>


全く正論だが、確信犯の耳に念仏、つける薬なし。日蓮大聖人さま、未曽有の国難に際して邪道、外道の者どもは敵に媚びへつらっている有様、我らは如何にすべきでしょうか?


「国土乱れん時はまず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱る。まさに自界叛逆、他国侵逼の難である。迷える子羊よ、赤色邪宗に惑わされることなかれ。参院選では我らの内なる反日&親中露北の敵性パラサイト勢力を駆逐すべし。駆逐せずんばいよいよまた重ねて災難これ起らんか。日本再興の道は八合目、これからがキツイぞ。諦めたらそこで終わり、撃ちてし止まん、立つんだ、ジョー!」


小生には露中北の軍事力は核兵器を除けば“張子の虎”なのかどうかは分からないが、通常兵器の戦争なら非核の国でも軍事大国とかなり戦えることをウクライナは示している。ゲリラ戦などの非正規戦で米国は負けっぱなしだが、ロシアもたとえ他国を制圧したところで、その後の長期のゲリラ戦に耐えられるか、すこぶる怪しい。正規軍同士がガチンコで激突する戦争の時代は終わって、人工衛星やドローンなど先端技術を利用し、ハイブリッドのゲリラ戦を活用し、国際世論操作を含めた、複雑な戦術、戦略による戦争、紛争が主流になるのかも知れない。


国連という「戦勝国連合機構」による大規模な戦争を抑止しようという最大の機能はロシアにより破壊された、と言っていい。国連ではロシア、中共による侵略戦争を抑止できないことが明白になった。国連より集団防衛のNATOの方が抑止効果は遥かに高い、と多くの国が認識するようになったろう。新たな軍事力をも備えた「国際連合機構」に再編する動きになるかもしれない。


「自由陣営 VS 独裁陣営」という大戦争の時代が始まったと言っていい。この歴史の大きなうねりの中でオオカミ老人の小生は警戒警報を鳴らすことしかできないのか。「置かれた場所で咲きなさい」と先人は言うが、日本の「露中北応援団」、即ち“我らの内なる敵”を言論のみならず、選挙で、あるいは日々の生活の中で、目的意識的に叩くようにした方がいいかもしれない。「あなたの身近な売国企業 不買・不売が日本を救う」・・・何となく「欲しがりません、勝つまでは」みたいでパッとしないが、我が家で進めている中国産品不買(チャイナフリー)に加えてロシア産海産物不買も始めてみよう。そのうち大きな流れになるかもしれない。
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