朝の仕事の帰り道。
川沿いの大きいけれど、枝が細い木にたくさんの白鷺がとまっていました。
白鷺のコロニーでしょうか。
木は、巨大な木蓮が咲いたように見えて、不思議な美しさでした。
何日か前から、川辺で遊ぶ白鷺を見ていましたが、
近くにそんな木があったなんて、今まで気がつきませんでした。
毎日の風景も、気がつかないことが多いですね。
昨日、紹介した「安曇野プランの算数」ですが、
もう少し、詳しく、どんな算数なのか書いてみようと思います。
安曇野プランの算数は、「障害があっても楽しく学べる算数」として誕生した算数です。
調べてみると、森誠治先生と山科まみ先生という方を中心とした「安曇野研究会」というのがあって、
長野県の安曇野で研究合宿を重ね、作り出したので「安曇野プラン」というそうです。
そして、安曇野プランの算数は、
・人類が数を獲得するまでの歴史
・ 認識論
・水道方式
・応用行動分析
などを土台にし、障害のある子でも楽しく算数が学ぶことができる工夫がされています。
私が支援員として、関わった、算数に問題のある子どもたちは、
数字とその数字が表す量がピンと来ていなかったり、
100という数字、1000という数字もわかるし、その数が示す量も数えることはできるのだけど、
100円、1000円、となった途端に立ち止まってしまうことがあったり、
13という数字も書けるし、その数だけキャンディーやおはじきを取ることができるのに、
「おつりを13円」というと、紙に「103円(10と3)」書いて、
相手に103円のおつりを渡してしまったりと、本当にエピソードに事欠かない感じでした。
この子たちは、自分の頭の中で、
自由自在に数字とその数字が表す量を行き来することができていなかったのだと思います。
私たちは、数字の存在を意識する前から、
遊びの中で「赤いブロックが黄色のブロックと同じ高さになるまで欲しい」とか、
大好きなお菓子を分けるとき、ひとりひとり、●●ずつ取ろうとか、
余った数が少なくなったから、次は●個ずつにするよ、とか、
算数の息のかかったような遊びや日常生活と接しています。
そんな遊びや日常生活の中で経験したことから、
算数の時間には自然と「6個ちょうだい!」といわれれば、●●●●●●のことだなと理解し、
●●●●●と見れば、数えたりしながら「5個だな」と理解して、数字と量が結びついていたと思います。
その部分をとばして、「5+2=7」とか「10-4=6」と操作するように計算力を上げていっても、
量としての数が身についていない、子どもさんの場合は暗記するように計算できても、
文章問題だとできなかったり、日常生活に活かせなかったり、
何のための学習かがわからなくなってしまします。
まずは、人類が数を獲得した歴史をベースに子どもの中に量としての数を、
自在に想像し、扱えるようにしましょう。
それができると、子どもさんの算数へのハードルが一段低くなると思います。
障害がある子だから、算数はできなくても仕方がない、ではありません。
楽しく学び、子どもの中に算数の基礎をつくる方法があります。
苦手なお子さんこそ、安曇野プランの算数で学んで欲しいと思い、
2日連続の押し売りブログになってしまいました
川沿いの大きいけれど、枝が細い木にたくさんの白鷺がとまっていました。
白鷺のコロニーでしょうか。
木は、巨大な木蓮が咲いたように見えて、不思議な美しさでした。
何日か前から、川辺で遊ぶ白鷺を見ていましたが、
近くにそんな木があったなんて、今まで気がつきませんでした。
毎日の風景も、気がつかないことが多いですね。
昨日、紹介した「安曇野プランの算数」ですが、
もう少し、詳しく、どんな算数なのか書いてみようと思います。
安曇野プランの算数は、「障害があっても楽しく学べる算数」として誕生した算数です。
調べてみると、森誠治先生と山科まみ先生という方を中心とした「安曇野研究会」というのがあって、
長野県の安曇野で研究合宿を重ね、作り出したので「安曇野プラン」というそうです。
そして、安曇野プランの算数は、
・人類が数を獲得するまでの歴史
・ 認識論
・水道方式
・応用行動分析
などを土台にし、障害のある子でも楽しく算数が学ぶことができる工夫がされています。
私が支援員として、関わった、算数に問題のある子どもたちは、
数字とその数字が表す量がピンと来ていなかったり、
100という数字、1000という数字もわかるし、その数が示す量も数えることはできるのだけど、
100円、1000円、となった途端に立ち止まってしまうことがあったり、
13という数字も書けるし、その数だけキャンディーやおはじきを取ることができるのに、
「おつりを13円」というと、紙に「103円(10と3)」書いて、
相手に103円のおつりを渡してしまったりと、本当にエピソードに事欠かない感じでした。
この子たちは、自分の頭の中で、
自由自在に数字とその数字が表す量を行き来することができていなかったのだと思います。
私たちは、数字の存在を意識する前から、
遊びの中で「赤いブロックが黄色のブロックと同じ高さになるまで欲しい」とか、
大好きなお菓子を分けるとき、ひとりひとり、●●ずつ取ろうとか、
余った数が少なくなったから、次は●個ずつにするよ、とか、
算数の息のかかったような遊びや日常生活と接しています。
そんな遊びや日常生活の中で経験したことから、
算数の時間には自然と「6個ちょうだい!」といわれれば、●●●●●●のことだなと理解し、
●●●●●と見れば、数えたりしながら「5個だな」と理解して、数字と量が結びついていたと思います。
その部分をとばして、「5+2=7」とか「10-4=6」と操作するように計算力を上げていっても、
量としての数が身についていない、子どもさんの場合は暗記するように計算できても、
文章問題だとできなかったり、日常生活に活かせなかったり、
何のための学習かがわからなくなってしまします。
まずは、人類が数を獲得した歴史をベースに子どもの中に量としての数を、
自在に想像し、扱えるようにしましょう。
それができると、子どもさんの算数へのハードルが一段低くなると思います。
障害がある子だから、算数はできなくても仕方がない、ではありません。
楽しく学び、子どもの中に算数の基礎をつくる方法があります。
苦手なお子さんこそ、安曇野プランの算数で学んで欲しいと思い、
2日連続の押し売りブログになってしまいました
