昨夜は、震源地に近くはない鹿児島の地もけっこう揺れました。
地震。
日本に住んでいる限り、どこでも地震は起こるものだとわかっているのですが、
やはり、どこかで、自分が住んでいるところは大丈夫だろう…、という思いが私にはあるんだな、と
今回、自覚しました。
少し、考えよう。
子どものときに、どんなときに親にウソをついたかな、
そんなことを、ふと考えます。
自分が怒られそうなとき。
ずるいことをしたとき。
そんなときに、言い訳として、ウソをついていたかな、と思ったり。
自分に起こった出来事を、親が知ったら、悲しむかも。
そんなときにもウソをついた気がします。
でも、そんなウソは、
「なんだか、様子がおかしい」という母の直観で、
「ふーん」と聞き流すフリをされながら、
いつの間にか、「でも、ほんとうはね。」とごにょごにょいっていた気もします。
そんなごにょごにょした話しも、
「ふーん」と重く受け止められることはなく、
かといって、軽く受け流される訳でもない、感じで受け取ってもらえていた気がします。
ありがたいことだったなぁ。
ちょっと、そんなことを考えた日でした。
きっと、ひとり、ひとり、ぴったりの受け止められ方があるのでしょうね。
独り言のような内容になっちゃった。
地震。
日本に住んでいる限り、どこでも地震は起こるものだとわかっているのですが、
やはり、どこかで、自分が住んでいるところは大丈夫だろう…、という思いが私にはあるんだな、と
今回、自覚しました。
少し、考えよう。
子どものときに、どんなときに親にウソをついたかな、
そんなことを、ふと考えます。
自分が怒られそうなとき。
ずるいことをしたとき。
そんなときに、言い訳として、ウソをついていたかな、と思ったり。
自分に起こった出来事を、親が知ったら、悲しむかも。
そんなときにもウソをついた気がします。
でも、そんなウソは、
「なんだか、様子がおかしい」という母の直観で、
「ふーん」と聞き流すフリをされながら、
いつの間にか、「でも、ほんとうはね。」とごにょごにょいっていた気もします。
そんなごにょごにょした話しも、
「ふーん」と重く受け止められることはなく、
かといって、軽く受け流される訳でもない、感じで受け取ってもらえていた気がします。
ありがたいことだったなぁ。
ちょっと、そんなことを考えた日でした。
きっと、ひとり、ひとり、ぴったりの受け止められ方があるのでしょうね。
独り言のような内容になっちゃった。