スーパーの目につく場所に、
メロンソーダが置いてありました。
夏ですねぇ。
ふと、
「ちょっと発達が遅れる」とか
「発達がゆっくり」とか言うけれど、
それって、何基準?と考えました。
月齢が同じ子の平均的な成長具合と
比べてのことだろう、という
理屈はわかるのですが…。
そもそもが、
人は工業規格の製品ではありません。
当たり前ですね。
子どもたちは、
同じ歳の子同士で比べて、
言葉が早いの遅いの、
立ったのが早い遅い、
歩くのが….、と比べられがちです。
また、ちょっとしたことで泣く子、
敏感、過敏な子、ゆっくりゆったりの子、
育てやすい、育てにくいと、
関心が高いからでしょうが、
本当に色々、言われがちです。
そういうことは、
たとえば高齢者の方でも、
同じ歳の方同士でも、
80代に見える方もいれば、
もっと若々しい雰囲気の方もいます。
介護をほんの少し経験して思ったのですが、
人の発達というのは、
本当に一人一人違うものなのだろうなぁと
。
でも、「学校に行く」という就学を目安に、
そこへの適応がうまく行くか、
行かないかに必死になっている感が、
発達という言葉の裏には薄っすらと、
見えるように思えます。
もちろん、
うまく適応できれば、
何より本人がラクです。
でも、同じ年齢の子と同じことができなくても、
できないことを嘆くのではなく、
どうしてできないかを見極めて、
それに対するサポートしていくのが良いように思います
発達は遅い、遅れてるというのはなく、
その子の持って生まれたリズムで育つものでしょう。
そのリズムを見極めて、
適切に手伝うことが大事だよなぁと
思うことでした。