日々、あんのん。

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子どもは小道具じゃない。

2021-05-23 10:39:00 | 日記
ツイッターに流れてきたニュースを見ていたら腹が立った。


この記事によれば、オリンピックの観戦を「東京都内の公立小・中・高校などの生徒ら約81万人が観戦する」ということだ。

そして観戦計画について担当者は、「目の前でトップアスリートの活躍が繰り広げられたら、子どもは心の中に人生の糧となるような、かけがえのないレガシーを残せるのではないか。」と宣うている。

子どもたちは日常生活で、「マスクしないとコロナにかかるかもよ」と子どもは重症化しないにも関わらず、窮屈なマスクをさせられている。

しかも、そのマスクは「世の中の流れではマスクしてないといかん雰囲気だから」というアリバイ作りのため。

そのアリバイは、学校でコロナが出たとき「いやぁ、マスクさせてたんですけどね」という学校の校長や先生たちの保身のためのもの。

真に子どもの健康など気遣っていないのだから、学校の先生たちにも呆れ果てる。

そしてそんな大人たちに囲まれて、子どもたちは日々、目には見えない圧力を感じながら生活を送っていると思います。

そんな中、運動会が延期されたり、遠足を中止されたり、給食は黙って食べろなど言われる中で、
81万人もの子どもたちをオリンピックに動員しようとする行政。

子どもはその場に花を添える、経費のかからない扱いやすい小道具くらいにしか考えていないのだろうか。

子どもの心の糧になるような体験は、数時間見るだけのオリンピック観戦よりも、日常の中にあると私は思っています。

もちろん、将来、自分もオリンピックで活躍するようなアスリートになりたい、その現場をリアルで見たい、という子もいるでしょう。

そういうお子さんは観戦したらいいし、純粋に生で見たい子も見たら良いでしょう。

でも、81万人もの子どもを電車移動させ、オリンピックを観戦させると言うならば、学校の行事も普通にやって良いのではないでしょうか?

さらに言うならば、感染リスクの低い子どもたちの日常のマスクもやめたらどうでしょうか?

また、緊急事態宣言の元、公園の遊具などを使えなくするような愚行も即やめてほしいですね。

今、やることはオリンピックの子どもの観戦ありきでの事前の下見ではではなく、子どもへのリスクはどうなのか、という冷静な判断ではないでしょうか。

オリンピック観戦ができるなら、子どもたちにはコロナ以前の日常を送らせていいですよね、と切り込む学校現場の声があがらないのも不甲斐ないですね。

長崎大学病院の森内教授は一貫して子どものマスク着用の危険性にも言及されていらっしゃる。


この中で「お年寄りへの感染を防ぐために子どもにマスクをずっと着けさせるなど、我慢を強いている面がある。」とおっしゃっている。

今の子どもへのマスクは本当にその側面が大きい。

でも、これから体も心も認知面も発達させていこうとする子どもたちに、日本全体で強いることだろうか?

上記の記事で森内氏は「成長発達の過程にある子どもが、友達との触れ合いの機会が減り、マスクを着けた状態でしか友達や先生の顔を見られないと、表情から感情を理解できない大人に成長する恐れもある。子どもを犠牲にしていることを頭に置き、どこまで我慢を強いるべきかを考えたい。」とも述べておられる。

もう、子どもを犠牲にするのはやめましょう!

これがおかしいと思う大人が少数派だとすれば、今後、日本はずっと少子化で、国自体消滅しても仕方ないよね、と個人的には思います。

そして、今のような子どもを小道具に使って平気な大人が大半ならば、この小道具に使われた子どもたちが社会を動かす側になったとき、かつて自分たちを道具のように扱ったジジババたちをいらない道具のように切り捨てても文句は言えませんね。

本当に、まともな舵取りができる人はいないんか⁉︎と腹が立った日曜の朝でした。



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