今日も私の一日は、早朝の積込みの仕事で始まりました。
どちらかといえば、体力があるほうであろう私。
積込みも荷下ろしもけっこう、たんたんたんとさっさと済ませてしまいます。
ですが、ペアでやる仕事なので相手のペースにも合わせつつ、
時間内には終わるように…、くらいの気は配ります。
今日は、荷下ろし積込み最速の同僚とのペアを組みました。
この同僚、モタモタしているのが大嫌い、というよりも、
どのペアよりも早く、積込み、荷下ろしをしなければ気が済まない、
もうすぐ還暦のパワフルな人です。
そんな同僚と組んだ今日は、私もだんだんだんと遠慮せず、
積込み、荷下ろしをさせてもらいます。
おかげで、ダントツ早く仕事が終わり、しかも量も他より多く、同僚は、満足げでした。
そして、「遅いよね、みんな。」というので、
「たぶんね、他の人が普通。おかげで急がされていい迷惑だと思うよ。」というと、
「えええっー!そうけぇー!」とびっくりしています。
動き出したら止まらない、止まれない。
気をつけよう、私も…と、他人事ではない同僚の姿を見ながら思うのでした。
子どもたちが就職したり、進路を決めたりするこの季節になると、
いつも思い出すエピソードがあります。
私が関わった子どもたちの何人かは、学年も学校も異なるのですが、
偶然にも、スーパーのお惣菜コーナーの仕事に就いた子が数人います。
そして、お弁当を詰める仕事をしていたり、
忙しい年末にはお寿司や海苔巻き作りも任されたなど言っていて、
その成長に目が細くなる思いがします。
中学生だった頃には、小学生を招いてのクリスマス会の準備で、
机にランチョンマットを置かせても、絵柄も方向も考えずただ置くだけだったり、
みんなでケーキを食べようと、皿にのせさせてものせるだけで、倒れていてもお構いなしだった子が、
お弁当の仕切りごとに、ご飯だ、おかずだ、副菜だ、とやっているのだから、
すごい成長だと思わずにはいられません。
また、修学旅行で長崎に持っていく千羽鶴をみんなと一緒に折っていても、
鶴というより、丸めた色紙のようなものを折っていた子が、
お寿司や海苔巻きを任せてもらえるのもすごいことです。
私にとっては、ただ、ただ、嬉しく、頼もしい話ばかりです。
しかし、この話を私に教えてくれた元同僚や
私が支援クラスの卒業生ががんばってるんだよ、という話をした知り合いの人々の幾人かは、
私とはまったく違う、共通の反応を見せました。
それは、
「スーパーのお惣菜も、誰が作ってるかわからないよね。買うの勇気がいるわ!」
という反応。
その理由は、同僚については、
中学校に在籍していたときの彼、彼女たちの生活態度、
癖とでもいうようなものに端を発していました。
知り合いについては、自分の子どもの同級生で、
同じように支援クラスに在籍している子の姿が根拠になっていました。
汚いものに触りたがったり、触ったあとに自主的には手を洗わない姿。
人前でも鼻をほじり、それを自分の服でぬぐう姿。
何でもまずは手で触ってしまう癖。
髪の毛をかきむしる癖。
どれもこれも、思い当たることばかりでしたし、
担任の先生も私も学校でそれらの行為に気がつけば、注意をしてきたものの、
子どもたちは中々、一朝一夕に辞めることも難しい問題でもありました。
私などは、中学校を卒業し、支援高校や高校に進学したその子たちが、
1年のときから、数週間もの職場体験を何回も経験し、
忌憚のない厳しいことも言われながら、
3年間かけて、そういう部署に採用されるだけの力をつけたことを聞き、
成長した証だなぁと受け止めています。
でも、高校での社会体験や成長を知らない人にとっては、
時は、知っているときの彼、彼女たちで止まっているのですね。
そう思うと、子どもたちの生活上の様々な行為について、
当時の自分の指導力のなさを悔やまずにはいられませんでした。
今、色々な本を読んで、うっすらとわかったことは、
子どもの中に「他者」の存在、視点が取り入れられてくることの大切さ。
自分は他の人にどう見られているか、を気にしはじめて、
それらの不潔といわれるような行為についても、社会の中で受け入れられないものとして、
コントロールができるようになる、ということのようです。
他人に引きずられることなく、自分らしくあると同時に、
自分は他者からどう見られているか、という視点を育てる…。
当たり前だけれど、難しいことだなぁ~と感じる、この季節です。
どちらかといえば、体力があるほうであろう私。
積込みも荷下ろしもけっこう、たんたんたんとさっさと済ませてしまいます。
ですが、ペアでやる仕事なので相手のペースにも合わせつつ、
時間内には終わるように…、くらいの気は配ります。
今日は、荷下ろし積込み最速の同僚とのペアを組みました。
この同僚、モタモタしているのが大嫌い、というよりも、
どのペアよりも早く、積込み、荷下ろしをしなければ気が済まない、
もうすぐ還暦のパワフルな人です。
そんな同僚と組んだ今日は、私もだんだんだんと遠慮せず、
積込み、荷下ろしをさせてもらいます。
おかげで、ダントツ早く仕事が終わり、しかも量も他より多く、同僚は、満足げでした。
そして、「遅いよね、みんな。」というので、
「たぶんね、他の人が普通。おかげで急がされていい迷惑だと思うよ。」というと、
「えええっー!そうけぇー!」とびっくりしています。
動き出したら止まらない、止まれない。
気をつけよう、私も…と、他人事ではない同僚の姿を見ながら思うのでした。
子どもたちが就職したり、進路を決めたりするこの季節になると、
いつも思い出すエピソードがあります。
私が関わった子どもたちの何人かは、学年も学校も異なるのですが、
偶然にも、スーパーのお惣菜コーナーの仕事に就いた子が数人います。
そして、お弁当を詰める仕事をしていたり、
忙しい年末にはお寿司や海苔巻き作りも任されたなど言っていて、
その成長に目が細くなる思いがします。
中学生だった頃には、小学生を招いてのクリスマス会の準備で、
机にランチョンマットを置かせても、絵柄も方向も考えずただ置くだけだったり、
みんなでケーキを食べようと、皿にのせさせてものせるだけで、倒れていてもお構いなしだった子が、
お弁当の仕切りごとに、ご飯だ、おかずだ、副菜だ、とやっているのだから、
すごい成長だと思わずにはいられません。
また、修学旅行で長崎に持っていく千羽鶴をみんなと一緒に折っていても、
鶴というより、丸めた色紙のようなものを折っていた子が、
お寿司や海苔巻きを任せてもらえるのもすごいことです。
私にとっては、ただ、ただ、嬉しく、頼もしい話ばかりです。
しかし、この話を私に教えてくれた元同僚や
私が支援クラスの卒業生ががんばってるんだよ、という話をした知り合いの人々の幾人かは、
私とはまったく違う、共通の反応を見せました。
それは、
「スーパーのお惣菜も、誰が作ってるかわからないよね。買うの勇気がいるわ!」
という反応。
その理由は、同僚については、
中学校に在籍していたときの彼、彼女たちの生活態度、
癖とでもいうようなものに端を発していました。
知り合いについては、自分の子どもの同級生で、
同じように支援クラスに在籍している子の姿が根拠になっていました。
汚いものに触りたがったり、触ったあとに自主的には手を洗わない姿。
人前でも鼻をほじり、それを自分の服でぬぐう姿。
何でもまずは手で触ってしまう癖。
髪の毛をかきむしる癖。
どれもこれも、思い当たることばかりでしたし、
担任の先生も私も学校でそれらの行為に気がつけば、注意をしてきたものの、
子どもたちは中々、一朝一夕に辞めることも難しい問題でもありました。
私などは、中学校を卒業し、支援高校や高校に進学したその子たちが、
1年のときから、数週間もの職場体験を何回も経験し、
忌憚のない厳しいことも言われながら、
3年間かけて、そういう部署に採用されるだけの力をつけたことを聞き、
成長した証だなぁと受け止めています。
でも、高校での社会体験や成長を知らない人にとっては、
時は、知っているときの彼、彼女たちで止まっているのですね。
そう思うと、子どもたちの生活上の様々な行為について、
当時の自分の指導力のなさを悔やまずにはいられませんでした。
今、色々な本を読んで、うっすらとわかったことは、
子どもの中に「他者」の存在、視点が取り入れられてくることの大切さ。
自分は他の人にどう見られているか、を気にしはじめて、
それらの不潔といわれるような行為についても、社会の中で受け入れられないものとして、
コントロールができるようになる、ということのようです。
他人に引きずられることなく、自分らしくあると同時に、
自分は他者からどう見られているか、という視点を育てる…。
当たり前だけれど、難しいことだなぁ~と感じる、この季節です。