日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

怒ること。

2014-11-13 13:21:49 | annonへの道のり
 寒いですね。
昨日のカレンダーに「地始凍」(ちはじめてこおる)とありましたが、
11月でも暑いなぁ~、とか思っていても、季節なりになるものですね。

 学校で仕事をしているとき、
普通に国語の教師として働いていたときも、支援員として仕事をしていたときも、
私はどちらかといえば、怒るタイプの教員だったと思います。

 どんなに教室が騒がしくなっても、授業中に立ち歩き、席を離れても、
何も言わずにいる先生もいらっしゃいます。
おそらく、ちょっと席を立つ子どもがいても、騒がしくても、
他の子どもはそんな子どもに引きずられることがないくらい授業に惹き付けておける先生。
目力で立ち歩きうろうろする子どもや騒ぐ子どもをさっと座らせる力があったり。
そんな能力に勝る先生方もいらっしゃると思います。

 残念ながら、私はそういうタイプではありませんでした。

 初めて、高校の国語の教師として勤めたときは、22歳。
高校3年生の子たちとは、たった4歳しか違いません。

「あんたなんか、ちゃんと教えられるの?」オーラがギラギラした教室で、
「負けるもんか!国語、いや、文学についてはあんたたちに負けんから!」との臨戦態勢で
毎回、教室に向かっていたのを覚えています。

 そして、若いねーちゃんのいうことなんか無視!という感じで、
授業中にものを貸したり、借りたりする子どもたち。

 最初は、そういうこともあるかな、と大学生気分も抜けきらない私は、
特に、注意することもなく、授業を進めていました。
ノートを取らない子がいても、テストで私が困る訳でもないし、
大学ではノートを取る、取らないなんて問題ではなかったので、そこも放置。

 しかしです、国語と言っても、その頃は、
現代文、古文、漢文、と3ジャンルがきっちりあり、
同じクラスでも違う国語の教師が教えていて、授業研究で見に行ったときの衝撃!

 いつも、私の授業ではノートも取らない、姿勢も悪い!
そんな子がノートも取ってるし、ぴしっとしている!

 いつも、だれかにものを借りたり、貸したり、落ち着かない子が、
きちんと、落ち着いて授業を受けている。

 教えていた先生は、怖いタイプではない、味わい深いタイプの先生でした。

 ショック、ショック、ショック!!!

 あ~あ、私の力がないから私の授業は、散漫な子どもが増えるし、
私が、「まぁ、どうでもいいか」と思ってるから、
子どもたちの方も「どうでもいいか」となるんだなぁ~~~~。
そういうことを身にしみて感じた授業研究でした。

 味わいのある授業は、大学出たばっかりの私には無理がある。

 では、何で勝負するか?

 そこから、私は
寝ている子には、起きて授業を聴いてほしいこと話し、
ものの貸し借りをしている子には、友達に授業中借りないこと、
その代わりに私のものを貸して、授業の前に持っているかどうかの確認をし、
歩こうとする気配がしたら、その子の近くに行って歩かないように、と
肩をぽんぽん、としたり
ノートを取らない子には、「あなたにノートを貸す人はどんな気持ちか」と
毎回毎回しつこく説教めいたことを話たりするなど、
まったく、国語には関係がない部分に全力投球といっていいほどの力を注ぎました。

 ときには、「やかましーーーーーーー!」と、
二階から一階に筒抜けになるほど、怒鳴ることもありました。

 でも、こちらも絶対に引かないぞ!と真剣だったので、
大変だった、いやだったなんていう思いはまったくなかったように思います。

 そんなことをしているうちに、冬が見えかけてきた頃に、
授業中の雰囲気が少しずつ、かわっていきました。

 寝る体勢になろうとする子には、後ろの子や横の子が
「寝るな!」という感じで、ちょんちょんと起こそうとしてくれたり、
忘れ物ばっかりな子に他の子が、
「今日は先生のかりなさんなよ~!」といってくれていたり、
ちょっと騒ぐ子がいるとクラスの口やかましい女子が
「あんたたち、幼稚園生!?」といって、黙らしてくれたり。

 きっと、若造の私は自分が思っている以上に疲れていたのかも知れません。
そんな様子を感じ取った子どもたちがたいへんそうだな、と気を利かしてくれたのですね。
本当に、助かったし、ありがたかったです。

 でも、毎日毎日、
真剣に怒って格闘していたのが、理不尽なことではなく、
子どもたちに通じた気がしたのが、何よりうれしいことでした。

 高校のほとんどの子どもが大学や短大に行く進学校といわれるようなところから、
ほとんどの子どもが就職、国語なんて、喋れるたら、いいやん!という高校まで
経験できたのは、私のどこまでならこちらは譲るか、という判断や
ここと決めたら、腹をくくって、譲らない、という姿勢を作ってくれたと
つくづく思うことです。

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