新年度の定演が始まった。今回はトパーズシリーズ。
シューベルトとモーツァルトという、どちらも若くして亡くなった偉大なる作曲家二人の作品が並んでいる。シューベルトの「未完成」交響曲は、今まで実演に触れる機会も意外なほど多かった。どの演奏会でも楽曲の大きさからかメインプロではなく、印象が薄まってしまいがちになるのが辛いところだ。対して、モーツァルトの「レクイエム」は実演の鑑賞体験は少なく数えるほどだが、これを目当てに足を運ぶことが多かったから、演奏内容は不思議と蓄積されてきたようだ。
最近クラシックの分野でも、宗教曲を聴くことが多くなったアントンKではあるが、今回のモーツァルトの「レクイエム」も、ベートーヴェンやフォーレ、ブラームスといった楽曲、そしてブルックナーのミサ曲やモテットなどと一緒に耳にする機会が増えてきた。もっともこれら全ては、録音によるものの鑑賞であり実演ではないから、外面的にしか見えてこないものも自分の中には多いと思っていた。機会があるなら、やはり生演奏で鑑賞したいと普段から常々思っていた訳である。
今回の演奏であるが、前半のシューベルト、後半のモーツァルトともに全く今まで聴いたことのない演奏だったのではないか。人間の温もりや想いは楽曲からは感じられず、透明で透き通った風のようなイメージを持った。指揮者上岡敏之の解釈は、伝統や既成概念に捕らわれず、独自の世界を貫くといったものだが、今回も全くその通りで、あれだけ聴いた「未完成」も、ここまで無色透明なものは無かった。第一楽章の出の部分から、別次元へと聴衆を巻き込む。微弱音を武器に淡々と進めていったが、よくよく聴くと、そこには日が差し、高い山が目の前に現れ、慰めるように小鳥たちのさえずりが聞こえてきたのである。特に第2楽章における木管楽器のテーマのニュアンスは美しく、弦楽器とのやり取りを含め、細かいところではあるが上岡氏の采配が光っていた。そして後半の「レクイエム」だが、今まで耳にしてきた楽曲とは、まるで異なり荘厳とか、重厚とかの形容はどこを見ても見当たらない。実は楽曲の出のところから、アントンKはその違いに驚嘆してしまったのだ。オーケストラはあくまで独唱者、合唱の黒子に徹し、自己主張を排除した解釈は、最初はかなり戸惑ったものの、楽曲が進むにつれ、大変心地よいものに変わっていった。それは、やはり独唱者たちの張りつめた肉声のみに導かれ、少年少女たちの天からの捧げもののような囁きに癒されたからなのだろう。死者を復活させるような、血生臭いエネルギーは皆無だが、透き通ったそよ風を身体一杯に受け、無の境地へと導かれた心境になったのである。
それにしても、オケや合唱団をここまで最少に絞り込んで、よくぞこんな世界観を生み出せたものだと、今では興奮している。きっと音楽監督上岡氏への信頼がさらに増し、またオーケストラの各セクションの立ち位置が明確化してきた証なのだろう。いつもとは違う、とても素晴らしい体験を感じた演奏会だった。
第611回 新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会 トパーズ
シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」
モーツァルト 「レクイエム」ニ短調 K626
指揮 上岡 敏之
ソプラノ 吉田 珠代
アルト 藤木 大地
テノール 鈴木 准
バス 町 英和
合唱 東京少年少女合唱隊 カンマーコア
合唱指揮 長谷川 久恵
コンマス 崔 文洙
2019年10月4日 すみだトリフォニーホール