JR化からすでに30年以上の年月が経ち、国鉄時代の車両は、私鉄電車も含めてかなり限定的に成ってきた。今まで当たり前に思っていた光景が、世代交代しているケースが増えていて、自分自身が取り残されていることに気がついている。アントンKの中では、通勤電車と言ったら101系、103系が思い浮かぶが、こんな電車たちも地方で細々と余生を送っている時代で、あれだけ首都圏を闊歩していた車両が過去帳入りしている。そんな思いは今後も続き、それも加速度を増して速くなっていくのだろう。
現在、現役の交流電機と言えば、ED75とED76の2形式のみという寂しさ。ナナゴは、旅客会社の数両が思い浮かぶが、どれも700番台のナナゴでも後期型の機体でアントンKにとっては魅力は薄い。また、九州でとりあえず稼働しているナナロクについても、綺麗な車体からは程遠く、あまり写欲が沸かないでいるのが正直なところだ。選り好み出来る時代ではないことは、十分理解しているつもりだが、自分の中では、過去の撮影記録と照らし合わせてみて、また撮り直すほどの魅力が沸いていないのが現状の気持ちだ。機会があればとか、旅行の次いでとか、あまり積極的なことが出来ないのが情けないところ。
ちょっと前までは、交流機といっても、線区ごとに使用が別れていて、それぞれ特徴があり趣味的見地からも魅力に富んでいたと思う。今回は、交流機の中でも比較的地味に一生を終えていったED77という交流電機。線路の規格の低い線区に入線できるように中間台車を入れて、ED75よりは少しだけ車体が長かった。磐越西線専用で使われて、日常は普通客車列車や重連の貨物列車でその姿を見ることが出来た。今でこそ蒸機が走り、全国的にも磐越西線は有名になったが、当時は観光地こそ点在しているものの、鉄道ファンの姿はあまりお目にかかったことはなかったように思う。80年代初め、アントンKはED71を狙いに福島へ行くことが増えていったが、その流れでED77や板谷のED78にも興味が移っていった。ジョイフルトレインが全盛の時代を迎え、ED77やED78の牽く列車を全て撮影しようと、目標を立てたことも遠い思い出となってしまった。
掲載写真は、そんな中から水戸のお座敷を牽くED77の晴れ姿を掲載。残念ながら天気は下り坂で曇天となったが、当時気に入っていた水戸のお座敷列車の先頭に立つED77は誇らしく見え、今でもこの光景が目に焼き付いている。
1989-11-17 9229ㇾ ED7710 水戸車「ふれあい」 JR東日本/磐越西線:更科信号所付近