今でこそ、鉄道車両の地方色は自然に風景に溶け込み、ごく当たり前の光景に感じているが、その昔、国鉄時代では色目に関する印象が現代とは違っていたように思う。茶色の釣り掛け式電車に始まり、オレンジと緑の湘南色、紺とクリームの横須賀線色のスカ色。緑の山手線、黄色の総武線など、基本的な色についての規則が暗黙の中でもはっきりしていた。機関車についても同様で、旧性能電機は茶色、直流型新型電機はブルー、交流機は赤、交直流はピンクなど、基本的なルールがあった。客車、気動車もしかりで、全国旅しても、馴染みの塗色の車両たちが、この美しい日本の景色に溶け込み、どこか心が落ち着き好ましく思ったものだった。
こんな当たり前に感じていたことが、崩れ出したのは何時からだろう。高度成長期の80年代に入り、サロンカーなる客車がデビューした頃だったか。それまでのブルーに白帯だった14系客車が、未だ見たこともない重厚な濃赤色になり我々の前に姿を現わした。1981年デビューの185系電車の白地に斜めストライプもかなりショッキングだった印象が残っているが、このサロンカー(サロンエクスプレス東京)も、新しい時代の到来を思わせるような客車だったように思う。そして国鉄民営化の時代を迎え、それまでの統一感から脱皮していく。
さて、そんな時代の流れの中、いまだにアントンKにとって忘れられない電車の一つに、新潟色の70系電車がある。冬は白一色の白銀の世界になる新潟地区で、遠方からでもはっきり電車を認識できるよう、この塗色になったとどこかで読んだことがあるが本当だろうか。当時のアントンKの目にはとても斬新に映り、EF58や181系ときにも増して衝撃を受けたものだった。三セクされた信越線に、今度再びこの塗色を真似た電車が現れたらしいので、一度見に行ってきたいと思っている。
掲載写真は、振り返ったらいきなり現れ、あわててシャッターを切った時の70系信越ローカル。正面2枚窓のお顔の似合っていたが、このクハ75も負けじとシンプルの中にも自己主張があり写欲をそそられた。
1978-05-21 1326M Tc75017 信越本線:鯨波にて