年が明け桜が咲くまでのちょうど今の時期は、スキーシーズン真っ只中にあり、今思い返すと、臨時列車もたくさん運転されていた時代があった。アントンKがよく通った上越線は、国鉄時代の80年代前半で、あの時代は新幹線すらなかったから、EF58や165系電車がスキー臨に活躍していたが、その後上越新幹線も開業し、ガーラ湯沢駅とともに新たなスキー施設が出来ると、世はまさにスキーブーム到来を予感させたのだ。
それに合わせてか、JRもスキー客専用と銘打って「シュプール」号を登場させ、全国からのスキー客の輸送に力を入れた時代がやってくるのである。新潟、長野地区をはじめ、猪苗代や東北八幡平、山陰の米子にも「シュプール」号として運転されたと記憶している。普段は雪深い地方のローカル線だが、この時期週末だけは、スキー客を大勢乗せた見慣れない列車たちがこぞって次々とやってきた訳だ。鉄道ファンの視点からすれば、とても魅力的に感じてしまい、アントンKも当時は撮影のためにスキーヤーに混じってよく出掛けたものだった。しかし今思えば98年長野五輪あたりがピークに感じ、徐々にスキー熱が落ち着いていき、2000年を迎えると「シュプール」号は一時の賑わいを見せなくなってしまった。これは、スキー人口の減少というよりは、交通網が整備され、交通手段の分散化が主な原因と思われるが、いずれにせよ一時的とはいえ、雪深い地方において、列車たちの雄姿を何度も見られたことは、今もって良い思い出となっている。
今回は、関西方面から夜行で到着したシュプール「白馬・栂池」がキハ52のローカル列車と交換するシーン。この時は雨混じりのみぞれが降り続き、早朝のためか露出もなく難儀を極めたことを思い出す。
1994-03-13 9116ㇾ DE101035 +20系/ キハ52116 JR西日本/大糸線:北小谷
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