アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

絵入りヘッドマーク誕生の頃~485系「はつかり」

2021-09-20 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

鉄道仲間たちと撮影を楽しみ、毎日のようにカメラを持ち歩き撮影に明け暮れていた時代、アントンKをさらに過熱させたのは、特急列車の「絵入りヘッドマーク」化だった。それまで、特急列車のマークと言ったら、文字だけのシンプルなマーク(これもこれで好きだったが・・)が掲げられていたものだが、1978年のダイヤ改正を機にオリジナルの絵柄の付いたヘッドマークが付き始めたのだ。当時を思えば、ヘッドマーク装着列車は、東海道線を走る東京方のブルトレのみ。だからこそ、独特の魅力があって撮影意欲をそそられたものだったが、全国を走る優等列車にまでヘッドマークは拡大され嬉しい悲鳴を上げていたことを思い出している。

その後の85年に全国のブルトレにヘッドマークが復活した時と同じように、それまで撮影してきた列車は、全て撮り直しという大命題が課せられたのだった。別に誰に言われた訳でもない、勝手に自分を追い込み撮影する糧の一つとして加えたのである。当時としては自分なりの撮影条件を考慮し、資料を作成して一つずつ潰していったもの。何とも懐かしい出来事に思えて仕方がない。現代の鉄道風景を思うと、何とも恵まれた時代だったと思わざるを得ない。とても幸せな日々だった。

掲載写真は、東北特急全盛時代の特急「はつかり」。485系12両編成フル編成でカッ飛んでいた。この画像はクハ481形200番台車だが、300番台や1500番台車も絵入りマークを掲出していて、より寸法の大きいこちらの方が好きだった記憶がある。

1981-12-30   485系 はつかり   東北本線:古河-栗橋


盆休みこぼれ話~EF58

2021-09-18 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

ちょうどこの時期、9月の連休をシルバーウィークと言うそうだ。昔から4~5月の連休をゴールデンウィークと呼んでいたが、それに対する意味合いなら何とも安易な発想だが・・

国民の働き方も以前と変わり、普段なら人が動きレジャーが活発になるだろうが、このご時世、まだまだそんな段階ではない。また妄想が膨らむ。

盆休み中、多くの多客臨で賑わった時代。世の中夏休みに入ると、時刻表の🔷マークの列車が増えていった。

1976-08-17  9408ㇾ  EF58152 おが2号  東北本線: 古河-栗橋


保存蒸機の行方~D51 498

2021-09-17 23:00:00 | 鉄道写真(SL)

相変わらず緊急事態宣言下で、先が何も見通せず悶々とした日々を送っている。カメラを持って線路端に立っても、楽譜を見ながら集中して音楽を聴いても、心のどこかしらで、グレーの重怠い不安感が拭えないでいる。今ではその日一日を必死で生きているのに、来月やはたまた来年のことなどに想いが至らないのだ。

最近では、毎日バッハのブランデンブルクを聴いている。第5ももちろん好きだが、第3や第6といった心の通った深い音楽は、今のアントンKに新たな光をもたらしてくれる。そして極めつけはやはり、ブルックナーにたどり着く。ブルックナーは本来オーディオで聴く音楽ではないと思っているが、いつも身近に置いておきたいものでもあるから、つい手が出て聴いてしまうのだ。昔から家ではアダージョのみ抜き出して聴くことが多く、第3や第6、そして第8のアダージョは、今のアントンKにとって生きがいそのものとなっている。枯れ果てた心を慰め、そして希望に満ちた光を享受してくれるようにいつも感じるからだ。

この憎きコロナ禍において、鉄道事業も惨憺たる影響を受けた。地方のJR線しかり、そして東日本でも過去に例を見ない状況が続く。会社そのものが揺らいでしまうのなら、大鉈を振るわれても致し方ないが、鉄道趣味人としても、気持ちの切り替えが必要な時代なのかもしれない。掲載写真は、磐越西線をいくSL磐梯会津路号。中山宿のスイッチバックからゆっくり猪苗代に向けて発車していくD51 498号機。このD51でさえ、今後の動向が不安になってしまう時代に突入していることを再確認したい。

1997-01-29  9223ㇾ   D51 498          JR東日本/磐越西線:中山宿


時刻表に魅せられた少年時代~EF58

2021-09-15 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前記事より時代がまた遡る・・・

アントンKが鉄道写真を始めたきっかけは、模型資料収集と書いてきたが、それがいつの間にか車両そのものにカメラを向けるようになり、当時あまり馴染みのなかった機関車へと興味が移っていった。大宮駅を通る機会もその興味が大きくなる原因の一つだったかもしれない。とにかく、引っ切り無しに列車がやってきては、忙しく出ていく光景は、まさに鉄道の黄金時代を見ているようで、一気に引き付けられるものがあったのだ。またやたらと本数のあった印象のある貨物列車は、けん引電機からか、二軸貨車が黒いからか、ドス黒いイメージが残っている。今ではコキ列車が当たり前の貨物列車だが、当時のコンテナ列車は、それに比べるとスマートで速そうに見えたことを思い出す。ダイヤも解らず、ただ目の前に来る列車を見て撮っていた時代。アントンKにも大きな夢が膨らんだものだった。時刻表を毎月買っては、眺めていた時代とも重なる。時刻表をたどり空想で撮影旅行に何度出たことか。メモを取りながら楽しんだ時刻表も、今では滅多に見なくなりどこか寂しさが込み上げる。ネット社会の恩恵は大きい。が、忘れ去られていくものも多く心に穴が空いた気分になる。人は、楽な方へ向かい、もう過去には戻れないのだろう。これは音楽芸術にも言えると思うが、この件は別の項に譲ることにする。

掲載写真は、駆け出しのアントンKがスナップした大宮駅での夕方の光景。125列車と記録にあるが、どうした訳か高崎二区の174号機がけん引している。背後の川越線のキハが懐かしい。この光景、雰囲気が大宮駅だった。雨が降り出し肌寒かったことを思い出している。

1975-10-18   125列車  EF58174   東北本線:大宮駅


電気機関車快走~EF66

2021-09-13 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

昔、「電気機関車 快走」という鉄道撮影のバイブル本があった。月刊誌「鉄道ファン」の増刊で発売されたと思うが、ちょうど、アントンKが鉄道撮影を本格的に始めた時期と合致する。カラー見開きページに始まり、綺麗なモノクロ写真が続き、ページごとにワクワクが止まらなかった。そして本の後ろには、全国主要路線のダイヤグラムが付いていたのだった。これ一冊で、撮影が全て整い楽しめてしまうような、そんな印象の本だったことを思い出す。それこそ、毎日のようにページをめくり、ボロボロになるまで読み漁った遠い日がとても懐かしい。当時は、この手の本がちょくちょく発売され、とても刺激を受けたものだが、情報が蔓延している現代では、隔世の感を持ってしまうのは、致し方ないところ。今の世の中、どこかそんな気持ちを忘れつつあり、昔を思うととても詰まらない時代に思えて仕方がないのだ。

掲載写真は、その「電気機関車 快走」の表紙を飾った湯河原の大カーブで後年撮影した「はやぶさ」を掲載しておく。アントンKが初めてここを訪問したのが1978年だが、それよりさらに約20年後に撮影した時の物。付近の宅地化は顕著で、かなり撮影も制限され昔のようにはいかなかった思いが過る。そしてさらに25年以上時間が経った現在では、さらに変化しているはず。2条のレールだけは、当時のまま大きく弧を描いて我々の前にかつての名ポイントを主張していることだろう。

1996-09-11  6ㇾ EF66 41   はやぶさ  JR東日本/東海道本線:湯河原付近