僕はどちらかというと
深く狭く
ともだち付き合いをする方だった。
【ともだち】と言ったり
【連れ】と言ったり
【顔見知り】と言ったり
顔見知りはとにかく多くて
でもやはり
大勢と付き合うのは
上手ではなく、
中学、高校の頃は
よく
ともだちのことを
【連れ】とまとめて呼んでいた。
あの頃は
トシ君とB君と僕の少し大人の
世界に足を突っ込む
ともだちと
ギターを弾いて
アコースティックバンドを作ってた
ともだち
K君とY君との
二つの付き合いを
二股かけての遊びともだちがいた。
トシ君とは
コンサートやら
レコードの新譜やら
アルバイトやら
酒や、タバコ、車など
これから社会に向けての
情報の先取りで
つるんでいたし、
K君Y君は
バンドで
自己実現のための
仲間 みたいだった。
進学校で
まぁ
真面目っちゃあ
真面目なKとY
そんなふたりと
僕とで
ギターを弾いて
お互いを褒めながら
気持ちいい時間を
共有していた。
作詞、作曲をして
作品をアレンジして
自分たちで発表の場
コンサートを開いて
自己表現、自己満足を追求する
そんな仲間との時間が
楽しかった。
それと合わせて
高校の同級生とも
付き合いの顔を広げていたし、
あっちの顔、
こっちの顔と
結構活動の幅を広げていたような
気がする
いわゆる
「縁」を広げる
知り合いを増やす
若い時にしかできない
アクティブで行動力に
長けてた
あの頃だから
出来たこと。
でも、自分として身体が一つじゃ足りなくなり
そのうち
面倒くさくなってきて
高校の同級生たちとは
表面上の付き合いになり
トシ君とB君は
バイクの免許取って
活動範囲が広がって
僕とはつるまなくなり
バイクの免許は取らなかった僕は
置いてかれたカタチになって
頻繁に会ってたトシくんたちとは会って遊ぶ
回数が少なくなりつつ
活動の中心が
アコースティックバンドの方に
移っていった。
それでも親友と呼べるほどの
深いところで
繋がった
ともだちは
いなかったように思う
隅に置けない
大切な
ともだち
は
多分
自分が正直に
相手に心を開ききって
なかったが故に
親友にまでたどりつけなかった
のだろうか?
自分の心や
開けっ広げで話せるやつは
社会人になって
親友と呼べるやつと巡り会えた。
ただべったりするだけが
親友ではなく
お互いがお互いの思いを汲み
傷の舐め合いも出来て
励まし合いも出来
真剣に考えてあげられる
そんな奴は
なんとか今のところ
1人いる。
お互い忙しくしてて
そいつも
孫ができて
ジィジになってるし、
お互いの生きてきた時間の健闘を讃え
会えば、忌憚のない話ができる。
学生時代の
ギターをやってた友人も
親友だと思っていた反面。
思い違い、勘違い
とんでもない付き合いの
間違いが
発覚した。
情けないものだったけれど…
同等の立場
尊重し合える立場が本来のともだち
としての
立場なのであるはずなのに…
奴は自分が、1番で
人を軽くこけにして
自分の立ち位置にこだわっていた。
ともだち
とは…
どちらかが都合よく
いい思いをするだけじゃなく
苦しみや悲しみを共有でき
楽しみ、喜びを倍に喜べる
存在なのだと思う。
こちらが
折れて
我慢をしてたことが
麻痺していて
一緒にいる事で
とりあえず
楽しい事ですり替えていた
そんな付き合いをしてた
アイツとは
もう
縁を切った、
長かったのか
遅かったのか
周り道したのか
あの時の自分の判断で
楽しい方へ流れていったわけだから
今日に至るまで
盲目のように気づかずに
いた事の情けなさは、あるものの
60歳
還暦を前に
清算したことは
ある意味良かった。
ともだち
と言う名の
呪縛に解放されて
もっと自分に正直に
疲れないように時間を共有できる
そんな人との付き合いなら
大歓迎だ
、それを
ともだち
友と呼べるなら…