明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

ドライビング・シアター 山口岩男

2020-01-31 20:27:00 | 僕の音楽日記
80年代の
男っぽい歌を歌えるアーティスト
山口岩男。





遅れてきたロッカー
フォークロックの良いところを
持ちつつ
いい音を出すバンドとのライブステージは
見ていて爽快だった。

甲斐よしひろ
浜田省吾
あのへんの
骨っぽい感じ

80年代は
どんな風に時代の流行が
流れていくのか
その帆の先、風の行方を
誰もが見守る中

山口岩男というアーティストが70年代後半の香りを受け継いで
踊り出して来た

ほのかな期待と
80年代を駆け抜けていって欲しいと
願いをもちつつ
山口岩男さんを応援していた。


バラード良し、
ロックンロール良し、
荒削りな感じが
伸び代を感じさせてくれた。

しかしながら思うように
突き抜けることがなかった
山口岩男さん。

もっともっと
上昇してよかったアーティストだったのに…


ドライビングシアターという
歌がある

金曜日に
彼女を迎えにゆき
車にのせて
そのまま車でドライブしながら
ドライビングシアターで映画を見て
どこかの街まで
行ってしまって
そこでそのまま暮らしたいと
願う
現実逃避と妄想と夢を併せ持った

やりきれない閉塞感を
そのまま歌にしたような…


文化としてのドライビングシアター
もう、今現在
日本でも見ることがない
廃れてしまった
アメリカ的な
文化。

僕も
憧れた。



車に乗ったまま
映画を見れるなんて


僕の好きな人が映画好きな人
だから
多分
その人とドライブするなら
絶対
ドライビングシアターで
手でも繋いでみていただろうなんて
考えたら
そういえば
今日は金曜日。

♪フライデーナイト
仕事が終わり
君を迎えにゆき


で始まるこの歌。

あの頃だったら
きっと
ドライビングシアター、お気に入りのデートスポットだったよね。




童話作家 さだまさし

2020-01-26 10:44:00 | 僕の音楽日記



たぶんこの頃「帰去来」のアルバムの頃もそうだけど

僕は
さだまさしさんとは
距離があった。

聞こうなんて
微塵も思わなかった。


180°
反対側のアーティストだった。



そしてこの頃のさだまさしさんは
女性の心に近くに寄り添えて歌える
人だったように思える。

それを得て
「女々しい」なんて
若い頃の僕は思ったりもしたが

幾重にも織りなす
深い心情を
表現してる
歌小説のような
さだまさしさんの世界。

女の子の
将来なりたい職業といったら
あの頃
僕たちの子供の頃なんかは

お菓子屋さん
花屋さん
スチュワーデス
看護婦さん
そして
童話作家
なんて
声をよく耳にした。

なりたい職業になるための
努力と
そうならざるおえない
事情の末
そうなることで
自分のこれからを保っていくという


私が童話作家になろうと
思ったのは
あなたにサヨナラを
言われた日


愛する人からの
サヨナラ…別れで
自分のこれからの生き方が
見えなくなる事を感じ、

夢でも食べながら
ひっそりと暮らそうと
決意する。



生きがいだった
あなたと別れ、

そもそも童話作家になるはずも
なかっただろうに…

それでも童話作家になって二人の日々を書き綴っていくなんて
乙女チックな
可愛い女性なんだろうと思う。

時代とともに
女性は強くなっていっている
昨今

昔も昔で女性、女の子
は強い人はいたものの
考え方
おしとやかな所
らしさをもった
女性はいたのでしょう。

失恋したまま
沈んでしまわないための
強さ

そのまま
生きがいを失って
弱くなっていく自分と

次の生きがいを見つけ
強く生きようとする
美しさ

その女性のもつ
細やかな
気持ちを表現してる
さだまさしさんの
この
「童話作家」
という歌詞は

なるほど、
と唸る所もあり、
また、

さだまさしさんが
淡々と
朗読するような感じで
歌っている所が

逆に重たくならない仕上がりで
良いのです。


ちよっと
凹んだ時
彼と喧嘩した時
彼と歌のように
別れたあとや、
ひとりになりたい時

たぶん
この歌を聴いてた
女性たちは

膝を抱え
静かに
目を閉じて
ステレオや
カセットレコーダーの前で

あの頃
体操座りしながら
聴いてたのかなぁ
なんて…

女性の心の奥をチョンと摘みあげる
ような
そんな優しい歌なんだなぁと


やっと
、今になった気づいた
鈍感な男なのです。

さだまさしさんの才能の奥深さには
作品に触れるたび
感服するのです。








この街 林部智史

2020-01-25 17:55:00 | 僕の音楽日記
作詞 阿久悠
作曲 吉田拓郎
編曲 武部聡志





阿久悠さんの未発表作品を
吉田拓郎さんが曲をつけ
avexのポップスシンガー
林部智史さんが
歌った
「この街」

バラードで柔らかく
優しい歌い方の
林部智史さん

少しビートのある曲調で、と
プロデュース能力を発揮した拓郎さんが
軽いノリの曲調に仕上げた
「この街」

どちからというと
少し重たい
雰囲気のある
阿久悠さんの詩

昭和の匂いがする

けれど
へんに懐かしくなく
かといって
新しくもなく
古くならない変わらない
普遍的なものを
さらりと気づかせてくれる。




人間は 夢見て生きるもの

夢をなくしたり
諦めたり
忘れたり
忘れたフリをしたり

それは…
空っぽの心に夢はない

とも歌の歌詞はいっている。

だから、心に夢を補充していかないとね…

たとえ
小さくても
遠くても
また、思い出したりしたものや
改めて
浮かんだものでも

人は夢見て生きなきゃ…


前へ
前へ

そして
この街に生きて、

この街でまた、
会える日を楽しみに

この地に降り立ってくれる
日を夢見て…





文具コーナーの誘惑

2020-01-25 15:31:00 | 散文 詩 



文具コーナーに足を踏み入れると
そこはワクワクの空間

カラフルなお花畑に足を踏み入れたような
宝探しをしているような…

そんな文具コーナー。

昔は鉛筆はトンボ鉛筆HB
が主流。
たまに貰い物の変わった鉛筆が手元にあったり…


ひとつのカルチャーショックは
三菱鉛筆uniの出現。
五年生の時
A山君が
uniなる小豆色の鉛筆を持っていた
しかも、2BとHという種類。

早速
文房具屋さんで
uniを買いに行った。

その文房具屋さんは
僕の家から歩いて40分以上離れた
隣町に近い一戸建ての団地内にある。
そこは結構流行の最先端
ワクワクの宝庫だった。

僕は その時まで…

気にせずありきたりな
鉛筆、消しゴム
ノートを使用していた。
無頓着に
書ければいい
消せればいい
デザインなんて関係ないノート

で過ごしてきた。


いわば文房具もファッションと同じで
気にすれば
それはオシャレになる。

自己満足は加速する。
ワクワクが止まらない
カッコいい!と憧れが走る



人のもつ筆箱にも
目移りして
さりげなく使ってる
他人の筆箱がよく見えた

消しゴムも
より消えるものを持ってたやつ

女子は
匂いのする消しゴムを何処かで仕入れてきて
さりげなく使ってる

女子に貸して、匂わせて
といいながら
鼻くそをつける真似したりして
からかったり…

僕は他人の文具が気になって
気になって
授業どころではなかった。

放課後や休みの暇な時は
文房具屋さん
や、スーパーの文具コーナーや
本屋さんに足を運んでは
漫画を物色しながら
目の引く文房具を探してたり

それこそ
おきにいりだった
友達と同じ筆箱を買いたくて
友達に売ってる店を教えてもらったり、
母親には筆箱が壊れたから
新しいの買うと無理くり
お金をせびって…


あの頃、小学校高学年になると
文具に流行が入ってきていた。
乗り遅れた自分が
取り残された
気持ちになったり…

早く追いつかないと…

勉強の遅れよりも
文具の持ち物に差がつく
ことの方が怖かった、悔しかった
あの頃

今でも
「何か 新しいもの、使えるもの…」
を物色する癖がある。



下敷き
鉛筆
筆箱
消しゴム

あの頃から今日まで
文具のワクワクは続いてる。

今では
手帳
バインダー
レポート用紙
メモ帳
システム手帳

新しい紙質のノート
など
進化した文具コーナー


ワクワクは止まらない。

何する訳じゃないけど
ついつい買ってしまう
ノート。
ペン
書きやすいもの

お気に入りのカラー、エメラルドグリーン
のものならなんだって
買ってしまう。

買ってしまえば
それで満足する所もあり、

結構
使わずにそのままが
沢山あるものだ





うちのお父さん かぐや姫

2020-01-24 21:32:00 | 僕の音楽日記
1978年5月から
かぐや姫は再結成し、全国
縦断コンサートを行った。

これがはじめてのコンサート体験だった。

この時一緒に行った仲間
とはじめギターをやり始めたんだ

何人だったか?四人いたのかな?

ギター持ち寄り
かぐや姫のコピーバンドを組もうと
ちょうど
「かぐや姫 今日」
のコンサートの影響もあって

テンションあがってねぇ〜


同級生なのに
親分肌のBくん
彼のリーダーシップで
僕と
K池くん
T沢くん
そして僕と
でその後ベース買ったりして
本格的にやろうと相談してた。

でもね
Bくんはさぁ
少し不良でさぁ

僕たちの前では
愛想がよくてそんな感じないのに

喧嘩したり、少しヤンチャしてた。


で、自宅謹慎になって、

ギターをやることが
ちょっと僕たちは
引け目を感じる雰囲気になっちゃって…

一旦僕たちの中で火がついた
エモーションは
抑えきれない衝動となり
自己表現の場を持ちたくて
走り出した思いを継続して
いきたいと思っていた。
だけどBくんとは
一緒に時間が取れなくなってしまっていた。


もともと僕とK池くんとは
水泳部で一緒で
Bくんとは
クラスもクラブも違うのに、
なんで知り合ったのか?ひょんなことから仲良くなって
夏休みも海の家の保養所で泊まりに行ったり良くしてくれて…

ギターを夜中どんちゃん弾いて
遊んだり、仲良くしてくれてたんだ。
そんな

僕たちの初めて
みんなで演奏したのが

「うちのお父さん」だったんだなぁ

ノリのいい曲で
ジャパニーズレゲエみたい感じで


四人が一斉に
ギターでこの曲を弾く

なんとも気ぜわしい感じの曲だから
覚えたて頃の
ギター弾きには
騒がしい勢いだけの曲だったなぁ


それでも楽しかった。

ただ僕たちはボーカルが決まって無かったし
これから、…という矢先に
Bくんとのギターグループ活動が
頓挫してしまった。


そこで僕とK池くんは

中学生3年で僕と同じクラスの
Kくんもギターをやってる
という情報を聞いて
そっちに合流する事となった。

もともと僕とK池くんとの二人は
べったりな仲の良さでは無かったけど
信頼感を持ち寄り
一緒に行動した二人だったから
僕のKくんとの合流の誘いも
すんなりOKしてくれた。

三人でのアコースティックバンドの誕生までの流れはこんな感じだった。

母体をもたずに
動き出したはじめのBくんのところから離れて
Kくんと合流したことで

僕たちは本格的にコピーをし、
また、オリジナル曲を作っていく
そんな楽しみを創造していく
学生時代の
打ち込めるものを手に入れた。


「うちのお父さん」も
ベースを入れて
三人で演奏、コピーした。
コーラスもつけて
なかなか
演ってて楽しい楽曲だった。

そして「妹」へと
本格的なコピーは進んでいった。


あの頃の情景、あの頃の一生懸命さ
あの頃の僕たち
あの頃の天気
あの頃の服装
あの頃のギター

曲調のノリだけで歌ってた
「うちのお父さん」

なんか
シマラナイ詩だなぁと
今思えば…
少し恥ずかしい感じ。

とても若者が歌うには
カッコイイとは言えない歌だった。





汗をかいたので 一休み
マキ割りは疲れますね お父さん
もうすぐ日が暮れる カラスが飛んでゆく
一番星光るまで もうひとガンバリ

汗をふいてお茶を飲んで
腰を伸ばせばお父さん
ニッコリ笑う ニッコリ笑う
明日天気になあれ

今日は渡辺さんの 結婚式で
うちのお父さんが仲人で
めでたい めでたい 鯛のお頭付
酒は飲め飲め 花嫁さん

ひざをくずしお皿たたいて
歌をうなればお父さん
ニッコリ笑う ニッコリ笑う
明日天気になあれ

セーター姿が似合います
たまにはオシャレしたら お父さん
今度お母さんが 街に出る時に
真赤な蝶ネクタイを 買ってもらったら

※春になれば さがり梅の
花が咲きます お父さん
ニッコリ笑う ニッコリ笑う
明日天気になあれ※