明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

夏の終りのハーモニー 井上陽水&安全地帯

2019-09-29 21:34:00 | 僕の音楽日記
昔、この唄を聴いていたときは
さほどなんとも思わなかったけど

改めて聞くと
特にこの時期
もう9月も終わり
秋なんだけど
夏の名残のある
まだこの時期
気分的に
欲してしまう歌である。



そして
なんて贅沢な組み合わせ
コラボレーションだったのだろうと…


陽水さんのバンクバンドでもあった
安全地帯。



玉置浩二さんの歌い方もどこか
リスペクトしている
影響なのか
陽水さんぽいところもあり


だからこそ
この二人の
この歌のハーモニーは
群を抜いている。


歌の上手いもの同士が聞かせる
大人の歌。

こんなバラードが沁みる
夜なのに

僕の耳もとに
まだ蝉が鳴いている


終わらない夏。


キンチョーの夏
緊張の耳
難聴の耳

日本の夏

行く夏
また、台風が接近。

秋の入り口で足踏み


どうか被害なきよう

穏やかな秋を迎えていきたいものです。


ベストテイク
神宮球場でのジョイントライブから…


陽水さんには玉置浩二さん
で、絵になるし優しいさが溢れてる

拓郎さんなら
浜田省吾さんにあたるんだね

でもあのお二人はデュエットしなかったなぁ
(笑)






岡本おさみ 歌コトバ ⑮ 君去りし後 吉田拓郎

2019-09-29 20:52:00 | 岡本おさみ歌コトバ
新六文銭でも演奏され
正式音源は
よしだたくろう Live'73
に収録。

つま恋'75でも瀬尾オーケストラをバックにLive73をベースに再現演奏された

何よりもいつも思うのだが
この「君去りし後」
のベストテイクって
何年でいつ頃のが
一番なんだろ?と思う

拓郎さんは
ずっとこの歌は好んでLiveで歌って
きている。

僕の勧める
ベストテイクは
82年のFM広島開局記念番組で放送された時の
広島でのコンサートのバージョン。
「王様たちのハイキング」ツアーの時の音源だ。




この頃の歌い方は
他を圧倒する
説き伏せる勢いのある
パワーあふれるボーカルと
力量あるバックメンバーたちに
支えられ

この歌の歌詞もシャウトするのに
もってこいの絶妙な歌コトバだった。






「君去りし後」の歌詞は
歌謡界、ブラウン管の向こうの
女性歌手に送る
ラブコールラブソングだ。


「好もしかざる女」だった君の
監禁された唄を聞いていると

監禁された唄…
この表現が軽いジャブなんだね。

酒さえもいらないと
思ったものさ
もう一度君が 僕の退屈さを
盗んでくれるなら
全ての女と縁を切ってもいい
そうさ君のいた頃の
この部屋の扉は
いつだって夜に向かって開かれて
マネキンさえ踊る
陽気なブルースを歌ってたよ

君が去った後は
君が去った後は
君が去った後は
てんで はっぴいに
なれないんだよ



酒さえもいらないほど酔える女
それだから
退屈してる僕をもっと虜にしておくれと…
女は君だけでいいというくらい
のめりこんでいたことに
気づく。
そして
君が去ってしまったことで
ハッピーになれないんだと…


手の届かないところへ行ってしまった君。

君へのラブコールは
ロックでシャウトする
フォークの拓郎から
ロック、R&Bシンガー
吉田拓郎へと
変貌した。

岡本おさみさんの歌詞が
当時は
拓郎さん本人が書いたのか
わからないくらい
同化していて
同じような考え、感覚
コトバ選びも
多分似ていたのだろうと思う。

G Em C D A E♭
と少ないコード進行で
淡々としたメロディだが
グイグイ引き寄せられる
説得力あるナンバーだ。


君が去った後は…
てんで
はっぴいに
なれないんだよ


happyでもなく
ハッピーでもなく

はっぴい

なんだ。

突き抜けるような
幸せ感ではなく
なんだか
足元にころがっている
小さな幸せ感とでもいうのだろうか?










なんてったって アイドル 小泉今日子

2019-09-28 14:33:00 | 僕の音楽日記
最近思うのだが

日記でも数多くのアイドルの歌を聴いてきて
書いてきた。

アイドル歌手に憧れる
少年.少女
大人たち

特に女性アイドルに関していえば
昔はアイドルになれるか
なれないかは、

元々の素質
よく
ダイアモンドの原石かどうか?
磨けば光るか?
と言われてきた。

アイドルは本人の素質と合わさって
ブレーンの力加減
作られたてきたように思う

最近のアイドルって?

もうその時点でわかんない



地下アイドル

職業…アイドル

なんて口にしてる
少女たち



自らがアイドルを名乗っていい時代。




混同するのは
アイドルと国民的歌手

その昔(になるのか?苦笑)
美空ひばりさんがいた。
国民的歌手であり
ある意味アイドルでもあった。

住み分け区分けは
あるにしても

歌が上手

大衆から認められた存在として
君臨する立場

認められていると
いうキーワードが
大事だと思う。

自他共にではなく


他が認めた。
なのだ。

自が認めたものは
アイドルとはいえないのだけれど
今の時代
自がまず認めて出発してるこの違和感。

雨後の筍のように
というより
雑草のように
とでも言っていいくらい

ジャンル問わず
ヒップポップ系
ロック系
歌謡曲系
どの歌ジャンルにも
自らアイドルを名乗り
それを後押しするの事務所
レコード会社がある。


アイドル不毛時代
大衆に遜色ない可愛いが溢れてる昨今
ずば抜けて可愛い
アイドル向きの女性が
昔みたいに
見当たらなくなってきた。


点数をつけたりすると失礼だが
例えでいえば
40点台の中に80点の女の子が昔いた時代

そうしてその子は
姉や兄
周りの人が応募して
スカウトされ
アイドルになっていった
そんな時代があった。


ピンのアイドルとして
の最後が松田聖子さんだったように思う。

その後
花の82年組そして84年組
を最後に

おニャン子を代表される大量
アイドル投入時代へと
以降する風潮が始まった。


隣の少し可愛い子が
ブラウン管の向こうで可愛く
歌ってる。

選べるアイドル
選択できるアイドル


と応援する側に変化が
でできた。


モーニング娘。
AKB48
その派生してるアイドル群
もう何がなんだかわからない

アイドルが溢れてきた。

僕にとって
松田聖子さんのあとのアイドルは
キョンキョンだったし、

お熱をあげて
注目して見てきたそんな
アイドルだった。

気になる存在
四六時中考え見て聴いて
生活の中にある存在
そんなものが
ひとつのアイドルとしての
価値だと思えば

若い頃なら尚更
大人になってから熱の入れ方
は変わってても

アイドルは必要な存在といえば
そうなのだ。

「なんてったってアイドル」

この歌がリリースされ
歌番組で披露した時も
軽い違和感を感じたのを
覚えてる。

アイドル全盛
自らアイドル歌手ど真ん中
で君臨していた
キョンキョンにしてだ。

なんてったって…
アイドル

上から。

自己肯定。

よく歌手がマネージャーを
いいように奴隷のような扱いで
使い回す話はよく聞く。
そんな光景を思い浮かべてながら
歌手自ら
周りに言い聞かせるように
「なんたってアイドル」なんだからっ!!⁉️

言ってそう〜

興ざめしたのだ。

でも


やっぱり
それくらいの意気込みと
立場認識は必要

他を追随させない
圧倒的な存在として
君臨する
そんなアイドルが
いなくなってしまったことが

今日のアイドル大衆化
の一端を物語っているのかもしれない。

時代時代の移り変わりとして
認めるものの
どちらがいいかも
わからないが


僕はなんてったって
キョンキョンが
大好きだった。

聖子ちゃんが結婚引退したあと

その残されたフィールドを
自由奔放に駆け抜けるように
活躍していた小泉今日子さん




きょうこぉ〜
キョンキョン〜❤️










ほんの短い夏 伊勢正三

2019-09-27 15:16:00 | 僕の音楽日記
1993年
正やんはフォーライフにいたんだね。



みんなが持つ
伊勢正三というアーティストは
どうあるべきだったのか
また、正やんはどこを目指していたのか?



70年代前半
ほんの短い かぐや姫での活動期間
5年間
そして
風での4年間
フォーク全盛の頃から
ニューミュージックへの変貌を経て

歌うスタイル
曲調も
必然的に変わっていった。

いい意味で変わっていくアーティストもいる

いつまでも変わらないことが
いい事ばかりではないし、
どちらがいいとも言い難い

しかしながら
正やんの場合

才能が、あり過ぎて
空回りしていったように思う。

音楽の流れも
一回りして
原点回帰していることもあり、
あの頃、
あの時の
あの歌
が賞賛を受けていることもある。

あの時代、フォーク全盛の時代
80年代から90年代
全く過去の産物として
一番古い音楽くらいの扱いまで
落とされたフォークというジャンル

アコースティックサウンドが少し
こっぱずかしいような
アコギがダサいような
そんな時代があった。

正やんや、こうせつも生き残りみたいな
扱いで
時代に置いてきぼりを食らった
そんな位置にいたように思う。
昔からのファン
を除き

時代はフォークからのアーティストには
迎合しなかった。


ヒット曲から遠ざかっていたことも
あり、
忘れ去られていた。


あまりにも
ヒット曲が偉大過ぎて
時代と二人三脚で脚光を浴びた
曲だった
「なごり雪」
「22才の別れ」
だったから

もはや過去の人
過去の歌
過去のアーティストとして
烙印されていたのだろうか


どっこい正やんは死んでないぞ!
と…


「ほんの短い夏」

ニューミュージック全盛の頃
こんな
シティーミュージックを書ける才能と歌っているアーティストへと変わっていた。











僕が僕であるために 尾崎豊

2019-09-27 07:24:00 | 僕の音楽日記
男は
いくつになっても
青くさい事を思うし
口にしたりする…


自分という存在の証が欲しかったり
爪痕を残しておきたかったり
男という動物の本能は
その場所にマーキングしたり

一体なんだったのだろう?

僕のしてきたことは
意味のない事だったのか?

自分で自分を慰める材料もなく

かと言って強がる事も
可笑しくて…


この世に無駄な事など
ないはずと
信じていても
心沈む


張り詰めた糸が緩み
何かが、
逆回転していくようだ…

身体の変調が
少しずつ始まっていく昨今

もう
100パーセントの自分は
ないのだろうと思ってきたが
少しの不安
が心のシミを広げてゆく

先を何も不安がらず
心配せず

心の声が別のところから
響く

「わかってるけどね…」



僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものはなんなのか
それがこの胸にわかるまで
僕はこの街にのまれて
少し心ゆるしながら
この冷たい街の風に
歌い続けてる