明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

1975年の吉田拓郎 その42 MC コンサートインつま恋'75

2020-02-20 07:11:00 | #1975年の吉田拓郎
拓郎さんの魅力のひとつ
コンサートでのMC

初期の頃は
歌、演奏なしで
MCだけでコンサートをこなした
ことがあるとか…

喋りに人を惹きつける魅力を
兼ね備え
また、面白く
飽きさせない。


おまけに女の子っぽい
可愛い風貌で
フォークのプリンスとか
言われていた時代は
女性ファンはほっとかないはずだった。
当然男性はモテたいから
モテる奴に見習って
真似をする
模倣する
だから女性ファンに引きずられ
男性もファンに必然的になっていったり
そのアーティストを育て上げるのは
いつの時代でも
やっぱり女性で…

それは近年拓郎さんも回顧録的な話で言ったいたりもする。

ボソボソと口籠った喋りと
「です。」「ます。」「で、あります。」「拙者」「お主」と独特なハナシぶりに
コンサート会場は笑いに包まれていた。
「結婚しよう」が売れて
一部の偏ったファンが煽動して
「帰れ!」「帰れ」を吊し上げのように
見せしめのように
拓郎さんに浴びせた時期もあったが
むしろそのいばらの時期を
跳ね除け
大きく変貌し、自然にその声を黙らせた
拓郎さん
70年代は前期、中期は
時代が吉田拓郎さんに
ついて行っていた
そんな時代だった。

'75つま恋
は1975年の吉田拓郎さん
の活動の中で核となる
大きなイベントだった。

当然その年はコンサートは
そのつま恋一本だけで
魅力のMCも
つま恋での会場で話されたものしかなく、

貴重な言葉として
僕は暗記していた。
数学や物理の公式英語の文法の暗記はしないくせに
拓郎さんのMCは暗記するという
拓郎ファンだという証を胸に
今も
あの夏のイベントで
話された
MCは特別なものとしてある。
伝説にもなっている
MCでもある。


1st ステージpm5:00〜18:30
M-1♪あゝ青春

どうも!元気ですかぁ?
みんな元気ですかぁ?
朝までやります。
朝までやるよ!朝まで歌うよぉ!!

M-2♪花酔曲(静)

どうも。え〜
ここに来るまでにいろんな事が
みんなあったと思うんだけど
来た以上は楽しんでいってほしいと
思います。

M-3♪暮らし

トランザムです!トランザム〜!!

M-4♪春だったね

どうも!朝までやるぜっ!!

M-5♪おきざりにした悲しみは

どうも!
いっぱいこの静岡県だけじゃなくて
あちこちからいっぱい来てくれて
本当に、ありがとう!
朝までゆっくりしていってくださいよぉ〜!!

M-8♪春の風が吹いていたら

かみさんはうちで寝てるので
ひとりで歌ってしまったぁ

M-9♪今日までそして明日から

どうもありがとう

2ndステージ pm21:30〜22:30

M-42どうしてこんなに悲しいんだろう

元気?(超低い声で)
じゃあねぇ〜
古〜い歌を歌います。

♪結婚しようを歌い出す…


M-44♪知識

ゲンキ!!?

M-45おやじの唄

ギターを弾いてくれてるのは
元 猫の田口くんです!!

M-46♪私の足音

退屈になったら寝ていいよぉ

M-49♪野の仏

コーラスはハイ・ファイ・セットです!!

M-53♪襟裳岬

まだ夜は浅いからねぇ!!
まだまだ、続くよぉ〜!

M-55♪三軒目の店ごと

後ろの方も元気かなあ?

ラストステージam3:00〜4:30

M-92♪こうき心

まだ、朝には早いぞ!
最後まで、いくぜぇ〜!!

M-93♪ビートルズが教えてくれた

ゲンキ!?まだまだ、あるぜ!

M-94♪たどり着いたらいつも雨降り

立ちなよ!立ちなよ!みんな!
踊るよ!踊れよぉ〜!!

M-95♪君去りし後

ゲンキ!!
オレ、ゲンキ! オレ、ゲンキ!

M-96♪ルームライト

だいじょぶ??
後ろの方!だいじょぶ〜!
全然見えねぇんだよ、こっちから。
そっちから見えるかい?
オレだよ、オレ!!
こうせつだよぉ〜ぉ!

M-97♪マークⅡ

ゲンキ〜!!!

M-98♪落陽

やるねぇ〜!やるねぇ〜
後ろの連中がね
(笑)
後ろの連中がね
今、何時ごろだい?だいたい、
え〜
3時ごろかい?オレは5時からずっとやってんじゃない?後ろの連中も5時からやってるから、バテたから、ちょっと休憩くれって…
そんな事許されないからなぁ〜!!

やるぜぇ〜!

M-100♪からっ風のブルース

みんな〜、うんとね、あの、本当に遠くからいっぱい来てくれてね
ものすごく、僕は嬉しいです。
一生懸命やろうと思ってね
5時からやってて、声がガラガラに
なってしまって、
しかしながら、とにかく行き着くとこまでいこうと、僕は思ってますけどね、本当にね、とってもいい雰囲気です。
コンサートに5万人も集まってね、こんなにいいコンサートが出来るとは僕は本当に思ってなかったです。
これも皆さんの協力のおかげだと僕は思ってます。
ありがとう!
ありがとう!!

M-101♪新しい朝

だいじょぶ!
まだまだ 若いぜ!!

M-102♪君が好き

「人間なんて」 後でやるからね…

「人間なんて」歌うのも……
今日が…最後だね
一緒に歌おうね!後で!

M-103♪雪

どうも!バックをやってくれてる
皆さんに拍手を1回お願いします!!
(拓郎〜という女性からの声援に……)
まだまだ女にモテるな、オレも
あはははははは

あちこちから、いっぱい来てくれてね、僕も興奮して、本当に!5万人の人が来ると思うと、本当にね、
怖かったデスヨ。この1ヶ月痩せる思いだった。…本当に…
しかし、太った。(笑)
でもね、来てみて嬉しかった。
これは本当にオレの一生に残ると思う。
あの〜じじくさい話だけどね。
なんとなくね、古くさい話を
するようで、みんなには悪いけれど、古い人間だからね、僕は。
非常に感激しとるわけよ。
わかる?本当に!
オレの方がありがとうって
言いたいわけなんだよ!
だから、一生懸命 歌う!!

M-104♪となりの町のお嬢さん

となりの町にね、お嬢さんがいたんだよ。昔ね。
で、となりの町のお嬢さんが僕は田舎っぺだからね、遊びにきてね。
そいで、色々年上の人でね、オシロイいっぱい、ぬりたくってね、
最近オシロイっていうのはないけどね、
アルカ?…
あってね、昔は、それでプンプン、プンプン匂いさせてね、なんか、欲情をそそるわけだよ
「あっ、大人になろうか、」って決めた事があってね。……

フォーライフレコード第一弾
PR!

M-107♪僕の唄はサヨナラだけ

まだ!まだ!まだ!まだ!まだ!まだ!


M-110♪人間なんて

さいなら〜
さいなら〜!


















1975年の吉田拓郎 その41 ドキュメントつま恋 拓郎・かぐや姫6万人コンサートから

2019-08-18 21:34:00 | #1975年の吉田拓郎


1975年9月10日初版発売

つま恋コンサートの模様が
本になったのは

先の
○炎の12時間 つま恋写真集
○拓郎デビューからつま恋まで写真集

そしてこの
ドキュメントつま恋  拓郎かぐや姫6万人コンサートより
共同音楽出版
の本だ。
定価1000円






この本を入れた3冊がつま恋のことを知る上での
三種の神器
三種の神本
なのである。

特にこのドキュメントつま恋は
僕の手元に来るまでは
長い年月がかかった。

ごく最近5〜8年くらいまえかな?
知り合いからやっとのことで譲り受けて
手元にきたのだ。
それまで
本の存在は知っていたけど

内容まではわからず。














リハーサル風景
見守る 「風」の二人と
こうせつとユーミン
もう、松任谷正隆さんと
付き合っていたユーミン

第2部のステージ 
は松任谷バンドだった。




観客の様子やら




マスコミの報道の様子やら



掛川警察署のつま恋コンサート資料
があり、



つま恋からのコンサート後の簡単な
報告として…
多目的広場の芝生の回復日数
という欄…

回復不可能…(汗)

なんて書かれていたり…

つま恋支配人 福島正義さんのインタビューやら
つま恋コンサートに参加した観客へのインタビュー

そして、
コンサートの曲順 拓郎、かぐや姫、風、山田パンダ 山本コータローとウィークエンド
各人の曲、とMCが一字一句
文字におこされている。


つま恋の資料としては
文字が多いものとして事細かく
網羅されている。
裏側の事が細かく伝えられている。

行った人も
行けなかった人も

あのコンサートがどれだけ
凄かったのか
を知る上で
貴重な資料的な
本として
ドキュメントつま恋

リアルタイムに参加できなかった僕にとっては

まさしくバイブル的な本となっている。


1975年の一大イベント
コンサートインつま恋

この本を何回も何回も
読み直し
少年の頃に戻っている。


















1975年の吉田拓郎 その39 流れる

2019-07-24 10:51:00 | #1975年の吉田拓郎
 
 
アルバム今はまだ人生を語らず
を買ったときレコード店からオマケでもらった
このポスターが
部屋の中に
ドーンと貼られていて
その頃
部屋にはポスターがいっぱい貼られていた
僕の部屋
 
普通はアイドル歌手
女性アイドルとか
グラビアの女の子なのだが
 
ホモじゃないけど
男が多かった。
 
拓郎さんだったり、
俺たちの勲章のポスターだったり
NSP さんだったり
かぐや姫さんだったり
 
憧れだったんだね
 
 
部屋で何度も聞いた
シングル盤
「となりの町のお嬢さん」
そしてB面の
「流れる」
 
今は黙って、風の音を聞け
今は黙って 水面に浮かべ
今はただ 静けさを
愛せば良い
 
 
 
なんだか
禅の世界のような
 
無の中に
全ての己の欲を封じ込めようとしているようで
 
 
この詩を書いていたとき
離婚協議の後だったのか
 
全て片付いた時だったのか
 
人として
エネルギーが一番縮小している
存在としても小さいと思えるそんな
時だったのか
 
そんな思いを巡らせポスターを眺めながら
部屋で聞いてきた
レコード。
 
そして
前に書いたが
 
オールナイトニッポン最終回
 
リアルで聞いた覚えがある
あの時聞いた オールナイトニッポン。
 
午前3時前
番組終了
時報前にぴったりと曲が終わり
午前3時を告げると時報がなり
 
走れ歌謡曲
が始まった
 
あの虚しい時間
全て終わったと思わせられ
これからどうするんだろうと
放心状態だった番組終了後
 
なんと波乱万丈な
人生を…
 
時代の寵児として
世間を賑わせていた
フォークファン
音楽ファン以外でも
一般の人も
吉田拓郎という名前を
その人を認知する
露出の多かった1975年
 
フォーライフレコード設立
つま恋コンサート
エポックメーキングな出来事が
ニュースとなり
週刊紙的には
離婚という
格好のネタが
また、女性誌を中心に紙面を賑わせていった
 
 
標的にされやすい
飛び抜けた存在は
矢面に立ってその恩恵とその非難を
裏表の関係で持ちつつ
 
時代をくぐり抜けてきた。
 
 
「となりの町のお嬢さん」のジャケ写は違和感がある
とした前の項で書いたが
 
このオマケのポスター
僕の部屋に貼られていた笑ってる拓郎さんのポスターのこのショットの方が
 
となりの町のお嬢さん
のジャケ写
にあってるんだけどなぁと
思いつつ
 
あの物憂い表情のジャケ写
 
「流れる」
「祭りのあと」と並んで
しみじみと
心に染み入る曲なのである。
 
 
僕の中で拓郎さんの歌の中で
一番好きな歌なのである。
 
 
一度もライブで歌われなかった曲だし、
 
どん底のような
落ち込んだ時
人は一番気持ちに素直になり
 
素の自分をありのままの自分を
表現した
「流れる」
僕は
そう捉えている。
 
あまりにも感情が
染み込み過ぎてる
あの時の時代背景とかシーンが浮かぶ
として、作り手、歌い手として
歌うのはどうか
と思うわけだが
フアンとしての
作品を聴く
好きになる
その一点においては
 
吉田拓郎さんの人間性に触れられ
本当に優しさを感じる一曲だと思う。
 
 
 
 

1975年の吉田拓郎 その38 となりの町のお嬢さん

2019-07-24 10:00:00 | #1975年の吉田拓郎
925 フォーライフレコード第一弾として
発売された
となりの町のお嬢さん
 
 
多分少ない小遣いで一番最初に買った拓郎さんのレコードだったように思う。
この物憂いな表情
 
なぜか晴れやかでない
 
曲とマッチしてない感じは当時違和感としてある。
誰かのコメント論評で見た事があるが
 
「流れる」が
当初A面で出されるはずだったとか
 
「流れる」を想定でのこのジャケ写なら
納得がいくのだけれど…
 
ま、アイドル歌手のように
いつもニコニコ笑顔では
しまらないので
これは
これで…
 
7月3日銀座 音響ハウス
という出来立てのスタジオで行われた
レコーディング
 
 
オーバオールジーンズにアロハシャツ スタイル。
レコーディングメンバー
 
アレンジャー
キーボード 松任谷正隆さん
 
EG 矢島賢さん
スチールギター 駒沢裕城さん
ベース 後藤次利さん
ドラムス 田中清さん
 
カントリーポップな感じの曲
アーティスト表記も
「よしだたくろう」
から
「吉田拓郎」へと変更された。
 
大人として
成長した
新たな吉田拓郎さんの
次なるステージ
 
レコード会社一新
少し跳ねた感じ曲調は
第一弾シングルとしては
いい、名刺がわりには
なったのではないのだろうか?
 
「シンシア」以来のシングル
 
受け手聞き手の自由な捉え方なのだが
「シンシア」南沙織さんの歌 へのアンサーソング
として書き下ろされた
いわゆる歌のモデルがあった。
 
「となりの町のお嬢さん」
拓郎さんいわく
昔お兄さんが実家へ東京から帰ってきた時に
一緒に連れて帰ってきた
女性の事を歌ったとはっきり後日いっていたが
あの頃はそんな情報はなく、
フアンは勝手に思い込み
ストーリーをつくりあげていた。
 
この歌は
浅田美代子さんのことを歌ってる
と…
 
時代のアイドル歌手に向けたメッセージ
南沙織さんだったり、
浅田美代子さんだったり
 
ファンの勝手な思い込みと盛り上がり
一人歩きするその捉えた解釈は
都合よくその歌を盛って聴くことができたりもする。
 
 
拓郎さんらしくないと感じた違和感は
どちらかといえば あの頃強烈なエネルギーの塊が爆発寸前の状態だった
勢いのある 「よしだたくろう」さんだった。
 
曲にしても
「ペニーレインでバーボン」
「人生を語らず」
「知識」
など
一石投じる
己のフラストレーションを爆発的にシャウトして
歌い上げる
歌唱法は
それだけで説得力あった。
 
そんな流れの中
つま恋前の7月にレコーディングされた
「となりの町のお嬢さん」
メリハリのあるよしだたくろうさんらしいといえばらしいんだけど
 
肩透かしを食ったような感じと
野球の投手でいえば
チェンジアップを投げられたような
そんな
バッター(聞き手)のタイミングをずらされた
一曲でもあった。
つま恋前にもっと勢いのある
歌でも
来るのか?と思いきや
 
発売はつま恋後9月25日だったわけだから
 
むしろ祭りのあと的、離婚後もあり、
B面の「流れる」の方が
 
状況、環境から
グッとくるような気がしたんだけど
 
今でもそれは思う
「となりの町のお嬢さん」は
 
B面でも
よかったんじゃないかなぁ
とね
 
 
 
 

1975年の吉田拓郎 その37 来年もよろしくコンサート

2019-07-24 08:47:00 | #1975年の吉田拓郎
ユイ音楽工房が年末恒例の所属アーティストを集めオムニバス方式の
コンサートがあった。
南こうせつ
イルカ
ユイ音楽工房所属アーティストのよる
そのステージ
 
 
12月24日 クリスマス イヴの日
渋谷公会堂
 
座席にはつま恋のステッカーと
クリスマスにちなんで
ショートケーキが置いてあったそうな…
 
 
夏のつま恋以来のステージ
で登場の拓郎さんは
終始不機嫌だったらしい。
 
 
離婚後と言うこともあり、
公的な場に出てきた唯一
このコンサート。
 
 
 
マーチンD-35で「僕の歌はサヨナラだけ」から歌い始め、
「水無し川」「いつか街であったなら」「祭りのあと」を歌った。
 
75年のステージ記録は
つま恋
来年もよろしくコンサート
のみ
 
 
地方では知られてないし、行かれた方の感想からして
「僕の歌はサヨナラだけ」の迫力がハンパなかったと、
離婚後の落ち込んだ?気持ちのはけ口を歌でぶつけた
♪嫌いだよね君は〜!
叫ぶように歌う
これぞ吉田拓郎節
だったらしい
 
ギター一本での迫力ある
ステージは
存在感と迫力だけで
充分だったそうだ。
 
「水無し川」「いつか街であったなら」「祭りのあと」
どれも
拓郎さんの心境
また、聞き手にも共有できる
世界。
分かち合えるそんな歌の選曲だったように感じる。
 
♪君をあたため 愛せもしない〜
この木枯らしを切り抜けたなら
いつか二人で暮らす日も来る〜
 
 
今はこらえろ 愛しい君よ
あゝ人生は回り舞台だ
 
♪それでもいつか どこかの街で会ったなら
肩を叩いて微笑み会おう
 
♪祭りのあとのさみしさが嫌でもやってくるのなら
 
拓郎さんの歌は
嫌という程
その置かれた状況にマッチする曲が多いと言うこと
 
直接的でもあり、
抽象的でもあり
捉え方色々
 
だから解釈も色々存在しかねない
真実、本意は違うところにあったとしても
その歌を辿って
歌う側
聞く側
が少なくとも、感動、感激できるのなら
それはそれで
素晴らしい事だと思う。
 
こんな気持ちだから歌いたい、
こんな気持ちだから聞きたい
 
そうやって共有できるのが
コンサートであり
レコードだったり
音源だったりするわけで
 
息遣いを感じその場に居合わせる
同じ空気の中にいると
それだけで感激する
ライブ、コンサート。
 
そうやって
その雰囲気の中での気持ち的な
楽しみ方
感激の度合いをあげていくのが
フアンの楽しみ方でもある。
 
 
露出が少ないアーティストだったからこそ
身近に
手の届かない人だからこそ
こうした情報や
感想など
知る人から
教えてもらい
それを自分の中で拡散して
楽しむことが
多い。
1975年の吉田拓郎だ!