明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

忘れられないの サカナクション

2019-06-30 21:07:53 | 僕の音楽日記
最近のハマりは
これ!
「忘れられないの」

MVでも配信されてる
サカナクション。
ほとんど興味がなかった、眼中になかった
グループ

でもボーカルの山口一郎さんのキャラがいい!

米米クラブのカールスモーキー石井さんのような
あそこまで派手ではないが
あんな感じでキャラが立っている。
MVも
杉山清貴さんか?
と思ったほど
没個性的なんだけど
悪くいうと特徴がない
いい意味ではスマートで好感が持てるのだけど
バンドも女性が二人も入ってて
なかなかいい音出してる
ベースにキーボード
グループとして面白い

早く大ヒット曲が欲しいと思う。
一気にメジャーに踊りでたいところだ。

それこそ
ファンのみならず
見るもの聞くものから
「忘れたくないの」と言われる
グループに早くなって欲しい。


忘れたくないことはたくさんあるし、
忘れられないことたくさんある。


思い出と共に生きる。
これからの糧になると思うほど
僕はたくさん独り占めにしてきたし、
その思い出は
多分いつまでもキラキラしているのだと
思う。




作詞作曲山口一郎


忘れられないの

春風で
揺れる花
手を振る君に見えた

新しい街の
この淋しさ
いつかは
思い出になるはずさ

素晴らしい日々よ

噛み続けてたガムを
夜になって吐き捨てた

つまらない日々も
長い夜も
いつかは
思い出になるはずさ

ずっと
ずっと
隠してたけど

ずっと昔の
僕の答えをまた用意して

夢みたいなこの日を
千年に一回ぐらいの日を
永遠にしたいこの日々を
そう今も想ってるよ

ずっと
ずっと
この言葉を

ずっと昔の
僕の答えを今用意して

夢みたいなこの日を
千年に一回ぐらいの日を
永遠にしたいこの日々を
そう今も想ってるよ

夢みたいな夜の方
千年に一回ぐらいの月を
永遠にしたいこの夜を
そう今も想ってるよ

HERO ヒーローになる時 それは今 甲斐バンド

2019-06-29 20:27:50 | 僕の音楽日記
高校に入学するその年
甲斐バンド熱は高校に入ると同時に
上がっていった。
 
にわかにバンドブームが僕の中に起こり
それまでアコースティックサウンドに
傾倒しすぎて
ロック系のビートの効いた音に
感覚がそちらに反応するようになった。
 
甲斐バンドも
やっと、売れ線の曲を出して
ビッグヒットに繋がった。
 
CMにも起用され
一躍時のスターグループとなった。
単純なコード進行のシンプルな覚えやすいメロディ
循環コードで初心者にももってこいの
この歌は
甲斐バンドファンもそうでない人にも
万人ウケする曲となった。
 
昔からのファンからするとどうなんだろう?
よかったね!
なのか
売れ線に迎合したのか?このヤロー!なのか?
 
でも結局のところヒット曲をもつか持たないかで大きく変わるところは
プロである以上
売れないと
誰もが幸せになれないというのも現実の話
 
たしかに夢のある職業だし、夢を、理想を追いかける、追いかけたくなる
職業だ。
歌い手、演奏者
それぞれこだわりの中で苦節何年とかで
目が出る出ない
それは売れるか売れないかで変わってくる。
 
狙って売れることに
越したことはないが
自然にヒットしていくことが
本来実力を認められ
というパターンが
歌い手冥利なのだろうが
 
ヒーロー
僕は甲斐さんが狙って
ヒット曲に仕向けた
そんな曲だという風に思えてならない。
 
ここは一発
ヒット曲を
と、機は熟した
そんなタイミングでの発売。
また、CMタイアップも大きかった。
確か時計のCMだったように思う。
 
ロックシーンから抜け出た
甲斐バンド。
程なくピークを迎えようとしていた
矢先の大ヒット作
 
HERO ヒーローになる時 それは今」
 

1975年の吉田拓郎 その34 拓郎 かぐや姫 5万人 炎の12時間 つま恋写真集

2019-06-28 15:37:44 | #1975年の吉田拓郎
1975 82日〜3
と空前絶後のオールナイトイベント
前例のない6万とも7万とも言われた
観客を集めて開催された
伝説のイベント。
 
吉田拓郎&かぐや姫 コンサートインつま恋
 
そのドキュメント写真集が
920日に八曜社より
発売された。
 
 
この写真集を僕は長年にわたり探し続けていた。
ようやく手元に入ったのが
確か
2003年くらいの頃だったか?
ネットで購入した。幻の写真集だったのだ。
つま恋の情報が欲しくて、
とにかく
拓郎イコールつま恋という
ファンになってから
どんな感じでつま恋をやったのか?
何を歌ったのか?
その時の写真は?
など収集マニアではないが
つま恋という伝説を知りたくて
色んなところで情報を集めていた。
 
拓郎ファンになって
つま恋熱も終わりそのうち篠島があり、
86つま恋になり
 
あの伝説の75つま恋の情報は
とんと、入ってこなくなってしまって、
オークションとかにも
75年、76年に発売された
75つま恋に関するものは
とんと、出てこなくなった。
 
やっとの思いで手に入れた炎の12時間
あの時の嬉しさは規格外!
一晩抱いて寝たほど
やっとの思いで手にした探し続けた一品だった。
 
 
とにかく大勢の観衆の前で
負けじと魂を振り絞って歌う
吉田拓郎がカッコよくて
男としての本望と、憧れ続けた
つま恋という場所と
あのコンサート。
 
この写真集は
つぶさに色々載せてくれている。
泉谷しげるさんとの対談
 
かぐや姫の登場
ファーストステージ
 
「一番星に拍手!」
 
風のステージ
 
パンダさんのステージ
 
こうせつさんのステージ
 
 
本当に凄いコンサートだったんだなぁと
つま恋コンサートに行けなかったものとして
このような情報誌でしか
当時に想いを馳せ
振り返れないその時の雰囲気を体験できない。
 
つま恋コンサートが終わってすぐに発売されたこの写真集は
とにかく参加された人
されなかった人をも巻き込み
素晴らしかったあの夏の1日を
熱が冷めないうちに
発刊された
そんな風に感じるのだ。
 
 
僕が手元にして、嬉しく思ったのもつかの間
 
75つま恋の上映テープがユイ音楽工房の倉庫から見つかったという一報。
 
それがDVDとして発売された
拓郎のステージ
かぐや姫のステージ
風のステージパンダさんのステージ
こうせつさんのステージ
とフィルムコンサートの映像だったと思われるそのテープが
DVD化されれば
もう、買うしかない!
それも、付録付き
なんと
炎の12時間が小さくなってB5くらいの大きさなのかな?
そのDVDに付いて発売された。
 
僕は
ズッコケた。
 
 
数年後ではあったが
 
それこそ
なぁんだぁ〜
って
感じで
手元には
付録の
炎の12時間
オークションで買った
炎の12時間
両手に抱えて
苦笑いの日々が続いた。
 
 

1975年の吉田拓郎 その33 ベストアルバム CBSソニー よしだたくろう1971〜1975 (補足)

2019-06-27 19:53:47 | #1975年の吉田拓郎
 
1975 81日発売。つま恋コンサートの1日前の発売は狙ってその日だったのか?
 
ベストアルバムが出た。
レコードの帯は
「栄光の吉田拓郎ベストヒット曲集」と
栄光という言葉が使われてるあたり
少し笑える。
 
その形容詞 「栄光の」は
よく、オールナイトニッポンで喋っていた言葉でもあった。
特に好んで使ってたのが山田パンダさん
 
(栄光の吉田拓郎と哀愁の山田パンダ)という言い方。
確かに
栄光ある存在。前年はレコード大賞襟裳岬で作曲賞を取ってるわけだし、
栄光の吉田拓郎なわけです。
 
このアルバムは再販には78年と3年後になるわけだが、とにかくベスト盤はこの頃からちょこちょこ出てきたことを記憶する。
 
旅の宿
春だったね
こっちを向いてくれ
親切
祭りのあと
たどり着いたらいつも雨降り
 
伽草子
夏休み
暑中見舞い
せんこう花火
金曜日の朝
ガラスの言葉
ビートルズが教えてくれた
 
おきざりにした悲しみは
落陽
ひらひら
野の仏
君去りし後
風邪
シンシア
 
ペニーレインでバーボン
人生を語らず
知識
暮らし
戻ってきた恋人
襟裳岬
 
26
シングルの金曜日の朝とおきざりにした悲しみはが入ってることが
このベストアルバムの価値を押し上げてる。
 
二枚組で出た最初のベストアルバムだ。
その後
 
一年後の1976 81日に
続編といえるベストアルバム
 
「時代は吉田拓郎を体験した」
というコピーの帯がついたアルバムが発売されている。
 
 
 
1975年の吉田拓郎さんの活動があまりにも少なすぎて、
前半はラジオのみ
フォーライフレコード創設
そして後半始めの82日〜3 のつま恋
と少なすぎて
吉田拓郎さんの露出が少なく
音源でオリジナルアルバムも出てなかったわけで
唯一
「となりの町のお嬢さん」
のみと、
 
CBSソニーもフォーライフレコードへ移籍していった
吉田拓郎さんへの
はなむけ的な
ベストアルバムとして捉えれば
このアルバムの価値はあると思う。
 
ただ僕は買わなかったけどね
あの頃は
レコード店で発売されたことを確認はしていた。
 
ベスト盤の選曲に疑問を持っていた。
誰の選曲なのか?
基準は?
その辺がデレクターやレコード会社の発売元のスタッフの意見?
反映元がわからないから
ホントにいいと思ったベスト盤しか買った覚えがないのである。
 
最近拓郎さんの選曲で出したベスト盤
From T」がある
 
これは大納得なのである。
拓郎さん自らが選曲したという
付加価値がついている。
もしくはファンが選ぶベスト盤
みたいな
そんな企画から起こした
ベスト盤がもっと早く出ていれば
よかったのにと思うのだ。
 
※よくよく調べたらこのベストアルバムは拓郎さん自ら選曲したベストアルバムだったらしい。
 
その事をみすのしたり、
前面に押し出したり
セールスの段階でのアピールが少ないのも事実。
 
勘違いや違う思い込みもある。
いずれにせよ
ベストアルバムの選曲には
良し悪しはあったりする。
 
だからあの頃自分チョイスの曲をカセットテープにダビングしていたりしたんだよね。
 
 
 

私の彼は左きき 麻丘めぐみ

2019-06-26 21:12:49 | 僕の音楽日記



作詞:千家和也
作曲:筒美京平
小さく投げキッス する時もする時も
こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も
いつでもいつでも 彼は左きき
あふれる泪を ぬぐうのもぬぐうのも
やさしく小指を つなぐのもつなぐのも
いつでもいつでも彼は 左きき
あなたに合わせて みたいけど
私は右ききすれ違い 意地悪意地悪なの
別れに片手を 振る時も振る時も
横眼で時計を 見る時も見る時も
私の私の彼は 左きき

背中にいたずら する時もする時も
ブラックコーヒー 飲む時も飲む時も
いつでもいつでも 彼は左きき
あなたの真似して みるけれど
私の右きき直せない 意地悪意地悪なの
短かい手紙を 書く時も書く時も
誰かに電話を する時もする時も
私の私の彼は 左きき…


作詞家の千家和也さんが亡くなった。
昭和のアイドルの詩を多く担当された
才能ある巨匠がまた一人お亡くなりになった。

麻丘めぐみさん
キャンディーズ
山口百恵さんなど
アイドルの詩を担当され
馴染みのあるフレーズは今も耳にのこってる

キャンディーズの
「年下の男の子」もいい作品だけど
麻丘めぐみさんの
「私の彼は左きき」

女の子のいじらしい気持ちをうまく
表現して、可愛らしく歌にした
作品で今でも好きだ。

長い髪の麻丘めぐみさんの
爽やかな可愛さと
曲調がマッチして
左ききの彼は
脚光を浴びたのではなかったのだろうか?

少し自分の右利きをつまらなく思ったりしたものだ。
でも、左ききはやはり貴重な存在だったことは変わりなく
なぜなら…

子供の頃左ききの人は親が右利きへ
強制的に直させたりするなど
を聞いたことがあったのだ。

僕の周りでもそんな風に右利きに変えさせ
られたなんて話を聞く。

左ききで得するとこがないという不便さを
思い、親は右利きへ変えようとさせたのでしょうね。
そんな関門を潜り抜け
生き残った左ききは
当時アイドルの麻丘めぐみさんによって
賞賛されるかのように
陽の目を浴びた
「左きき」の彼!という
スペシャル感!

やはり特別な存在としての左ききと
私の彼は特別と
かけてるみたいで

羨ましくもあった左きき。

千家和也さんの作品の歌に登場する
女の子は
似通っていて、年下の男の子や私の彼は左ききでも
そうだけど
少し気に置けない
母性をくすぐられるそんな彼であり、
そんな気持ちをうまく彼女たちは
表現していた。


当時流行っていたこの歌
左ききではなく
髪の毛のどちら巻きかが
馬鹿か賢いかがよく
からかいの対象になっていた。
左巻きは馬鹿
として
からかわれたりした。

♪私の私の彼は〜
左巻き〜
と替え歌にしてからかって遊んでいたり、
無邪気な子供の遊び道具にもなる
歌謡曲。
流行歌はその時代の世相に反映し、時代と寄り添いながら
人々に歌われてゆく

左ききを取り上げられるのは
その後
ピンクレディの
「サウスポー」
となるのである。