明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

おろかなるひとり言 吉田拓郎('79篠島バージョン)

2022-03-29 18:54:00 | 僕の音楽日記
♪丘を登って下界を見ると
小さな世界がそこにある〜

子供のころ
周りの生活圏が
すべてで
親元に保護されてる
自分の住んでいる地域が
小さな世界で、
学校があって
小さな乾物と野菜を売ってる小売店が2軒
スーパーが2軒
肉屋が1軒
床屋が3軒
ベットダウンといわれる
山を切り拓て開拓した
住宅か広がったところに
ぼくの小学生時代はあった
その町はとびきり裕福な家はなく
皆、同じようなレベルの家庭が
肩を寄せ合い
協力して町を作り上げていった
そんな地域だった。

特別大きな不満もない僕だったが
友達と喧嘩したりして
仲間はずれにされたりした時なんかは
東の方角に
半分山を切り拓いたままに
なってる
小さな丘があった。
そこに、むしゃくしゃした時は
登って夕日を見るのが好きだった。

それこそ
拓郎さんの
この歌
「おろかなるひとり言」の
歌詞のまんまなのだ。

♪丘を登って下界を見ると
小さな世界がそこにある
人はあくせく、どこへ行く
人は疲れた足取りで
しかも、人は急いでいた。


小さな丘から
見下ろす僕の住んでる
生活圏
身の回りでの出来事は
なんとちっぽけな事のように
思えて、気持ちを切り替えて
夕日を見送って
また、丘から降りて
家路へつく
そんなことをしていた
時期があった

人はどうしても
塞ぎ込んだり
辛い事があると
下を向く
今いるところで下を向いて
しまえば益々
気持ちも 心も
沈み込んでしまう

そんな時
丘に登ったり、山に登ったり
して
下界をみる。


どうせ下をみるのなら
高いところに
自分の身を置いて
下を見てみると
心を痛めていたことが
ちっぽけに感じられたり
そうして自分を取り戻すことを
して来た僕は
今は
そうした環境にお世話にならずとも
やはりリセットすることには
音楽だったり、
自然を見てだったり
切り替えをするようにはしている。

ひとり言をいうことも含めて
それは
おろかなるひとり言だとしても
その時の精神状態では
おろかなのか
そうでないのかは
判断することは酷なのだ。

あとからおろかな事だったと
思えばいいわけで
人は、一緒懸命になればなるほど
色々ぶち当たる
そして結局自分でしか
立ち直る術はない。



おろかなるひとり言 
作詞 作曲 よしだたくろう

フルバンド オーケストラバージョンでの
アレンジでの楽曲披露は
’79篠島が初。
この作品はレコードになっても良かったのに
候補にならなかったのかなぁ
もともと
たくろうオンステージ第1集 ともだち
に収録されてる
アコースティックでの
ライブバージョンが初リリースであって
この時もライブだったから
ボツになったのかなぁ
当時篠島でこの歌を生で聴いて
すごく感動した僕だった。
生でこの歌を聞けて
そうそう歌う事のない貴重な作品
だったし、
篠島のようなイベントでの披露は
嬉しかった記憶があった。

丘を登って下界を見ると…

最近また、色々心にも溜まっている事があるから
丘にでも
登って下界を見て
夕日でも見ようかな…



灯火 優河 ドラマ「妻 小学生になる」エンディング曲

2022-03-28 15:30:00 | 僕の音楽日記
久々にゆったり
楽しみに見れたドラマ
「妻 小学生になる」
が終わってしまった。

好きな俳優さんの
堤真一さんや、吉田羊さんも出演されてて
やや、コメディータッチの気楽に見れるドラマだった。
所々、考えさせられる場面もありつつ
ほのぼのとしたハートウォームな
いいドラマだった。

またこの【灯火】という歌が
いい場面に流れてくるわけで
消え入りそうなか細い歌声に
後を引く印象を受け
また、次の週に思いを馳せながら
ドラマを見続けた

会いたい気持ちは
ワガママなんかじゃない

という言葉と
小学生のまりかちゃんの体を借りて
伝えたかった思いを残された家族に
伝えきっていった
たかえさん
ひとつひとつの各々の思いは
みんなそれでも
前を向いて行くという
メッセージがそこにはあった。

辛い事に留まらず
腐らず、諦めず
前を向いて、上を向いて
生きていくことを
教えてくれていた。

思い出や
忘れられないことを
いつまでも
引きずってないで
前を向いていくことは
容易ではないけれど
そのきっかけで起きた
奇跡はやはり、ドラマ仕立て
ならでは…

設定に無理があるように
見えて少々滑稽だった
ドラマの滑り出しも
回を重ねるごとに
折り重なる人間模様と合わさって
見どころ満載のいいドラマで
終わった。

堤真一さんの
優しい父親役が光っていた。







ナウなヤングにバカウケするのは当たりまえだのクラッ歌 あいみょん

2022-03-26 18:02:00 | 僕の音楽日記
流行り言葉って
時代ごとにあって
その年
誰もかしこも
こぞって口にして会話の中に
必ずそのワードが入ってた
そんな時代があった

今はどうなんだろうか?
……



昔のYouTubeなんかを見てたり
音源を聴いてたりすると

「あった!あった!」と思い出して
懐かしくもあり、
恥ずかしくもあり、

いわゆる
「死語」ってやつ。
今 絶対使わない
使ったら
恥ずかしい
口にするのも
とんでもない

そんなワード
流行っていた
言葉がある
それが
「ナウ」だ!

1972年ごろ
頻繁に使われていたこの言葉

「ナウなヤングに大人気の…」とか
「とにかく、(ナウ)って感じがします」とか

【ナウ】に【ヤング】
[今]に[若者]

もう、令和の時代
【ナウ】なんて言葉も
【ヤング】なんて言葉も
使う場面や使う人もいない

なになに ナウ
という使い方はしますけど

流行の最先端にいるものや人を
「ナウ」とくくりをつけて
そう言えば会話にカッコがついていた。


その後
世代間ギャップで使われた
「新人類」という言葉もあった。
とかく
若者への
呼び方はその時代、時代あって

若い人たちってものが
時代や
流行を作ったりもする
とくに
女子高生は昔も今も
流行を作る天才だ

翻弄されつつも
一生懸命についていこうとする
オヤジたちの姿は
なんとも頼りなく
哀愁漂う姿に映る

自分たちが、流行の中心にいる時は
何をしていても
楽しいことばかり


「今時の子と言ったら…」という言葉が出てきた時から
「ナウ」でも
「ヤング」でも
なくなっている

そうだよ
「今時の子」は
「ナウなヤング」って
訳されるんじゃないのか?
それが、当たり前田のクラッカー!







表参道軟派ストリート 水谷豊

2022-03-25 15:22:00 | 僕の音楽日記
今から44年前の
1978年3月25日に
フォーライフレコードから
リリースされた

「表参道軟派ストリート」
作詞 阿木燿子
作曲 宇崎竜童
ヒットメーカーコンビ

R&B風な仕上がりで
軽快なセリフの語りかけから始まる
いかにも俳優さんが歌う
歌という感じ。


78年はフォーライフレコードも
社長は吉田拓郎さんになっていて
傾きかけたフォーライフを立て直し
その中の所属アーティストの中の
顔ぶれに
この水谷豊さんもいた。

軟派って
僕自身した事が皆無で
むかーし高校の時
友達と海にいって
声をかけたことが
軟派っていえば軟派なのかも
しれないけど
その時でも
恥ずかしいやら
断られた時、挫けるやら
バツが悪いやらで
軟派なんてする気持ちにも
それ以後起こらなかった。

ある意味
心が強いというか
軽いというか
そうじゃないと軟派って
続けられない行動だとも思った。

ツッパリくん、軟派くん
硬派くん
入り乱れてのあの時代
なんか
自分はどこにも属してない
中途半端さに
ヘキヘキしていた時代でもあった。


歌う水谷豊さんも
キャラ的には
この歌のキャラクターは
「傷だらけの天使」の
【アキラ】にかぶって
なーんか
そのまんまなんだけど
時は1978年
ちょうど
熱中先生が
始まってるころ

その時まで
おおよそ水谷豊さん的には
配役【アキラ】を引きずったままの
次のドラマへの
橋渡し的な
レコードリリースのような
位置にあった
この作品。

あの熱中先生で
また、水谷豊さんも
キャラクターは大きく上塗りされて
そう、今では
「相棒」の右京さん。!!
益々
この時、そして「傷だらけの天使」の【アキラ】は若かりし頃の
別物なキャラクターとして
当時を知るもの以外には
想像できない。

そしてもっと遡ると
テレビアニメドラマ
「バンパイヤ」にも出演していた
水谷豊さん。

とにかく多彩な才能の俳優さんで
また歌も上手いというか
味があるなぁと
思って聴いていた。
有名どころの作者陣を歌いこなす
水谷豊さん。
見事です!




ハリスの旋風 

2022-03-23 19:12:00 | 僕の音楽日記
僕がまだ3歳のころ
少年マガジンで連載がはじまり
テレビアニメにいたっては
4歳の頃
ハリスの旋風は
放映されてた
その後再放送も含めて
この番組はすごく印象に残ってた

オープニングの歌も
国松様のお通りだい!
って言う歌も
♪ドンガァ どんがらがった
ドンガァ どんがらがった

っていう歌い出しの
この歌は
小さいころよく僕も歌ってた記憶がある。
石田国松は
野球、剣道、ボクシング、サッカーなど
スポーツ万能で喧嘩もつよく
とかく
ひ弱で軟弱だった
僕のような子供には
憧れの的だった。

アニメの石田国松は
あのドラえもんの声の
大山のぶ代さんだった。

ちばてつやさんの画風が
好きで、
漫画を読み漁るようになった
小学生の頃に

最初に買ったコミックスが
たぶん
ハリスの旋風だったように思う。
でも、その後
あしたのジョー
にハマってそちらに傾倒していったんだけれど

ちばてつやさんも
ハリスの旋風の連載が終わって
引き続き
あしたのジョーを始めたわけで

よくよく思えば
石田国松も成長すると
矢吹丈になるんじゃないか?と思うほど
粗暴でやんちゃな
キャラクターだった国松様だった。
あんな
キャラクターに憧れて
あっけらかんとして
強い男になりたいと
小さいころは
色んなものに影響をうけながら
成長していったもんだなぁと
今思い返すと
懐かしい。


ハリスの旋風は
なぜ
ハリスなのか?
ハリスってなんなのか?
から始まって
旋風と書いて
「かぜ」と読ませたり
いまいちよくわからない
タイトルの漫画でもあった。
なんなら
「国松様のお通りだい!」でも良かった気がするのだけれど

学園ものの漫画は
60年代から70年代初めは多かった。
それだけ
夢や希望や若い時のエネルギーを
輝きに変えて
表現していた漫画の世界は
ある意味
眩しかった。
それに
ヒーローは身近にいた。
そのヒーローにも
なりたいとも思っていたあの頃。