明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

引き換えの切り札

2020-11-30 06:16:00 | 散文 詩 


性格や

プライドは

そう簡単には

崩れない

変わらない


余命という切り札を

持ち出して


誰かのせいにして

病気のせいにして

自己正当化する

その性格は

自己反省から自己弁護

そして他人への責任転嫁


命を引き換えに

また、それを人質にとったかの

ように交換条件を

要求してくる


会うための口実

会うための工作


真摯に向き合って

己の命の寿命を思い

残りの人生の時間を

謙虚に感謝して

己の誠意を伝えるべき

ことのはずなのに


自己中心な思いだけを

伝えてくる


あの日、あの時を書き換えたい

自己反省をみせ

しおらしさの裏側には

甘い言葉の裏側には


それを打ち消す攻撃的な

野獣のような凶暴な

性格が隠れてる

必要に責めてて

気がついたら壁まで

押し込まれこちら側が

攻め込まれて

責任転嫁され

こちら側の立場を

踏み躙る


要求は手玉にとりやすい

人のいい僕の心

コントロールして

自己中心の思いを遂げたい


わかりきった狙いは

命を引き換えにして

こちら側に投降を要求してくる

刑事のように

まるでこちらが立てこもって

いるかのように

立場を錯覚させる


どうにも

こうにも

手に負えない

関わりたくない

と判断せざるおえない

ところまで行き着いた

結果のこと

こちら側が引きこもったのではなく

奴のフィールドから

離れていっただけのこと


失って気づく

大切なもの


その大切なものは

目に見えないものだと

気がついた時は

遅かった

というのが

今の奴の立場


命と引き換えになるのは

そのちっぽけな腐った

プライドと

議論好きな

攻撃的な野獣のような

性格を

捨て去る事だと思う


月日は無情に流れ

それぞれのココロを

修復するには

至らない


ましてや

僕はあの日に

心を置いてきた





清酒大関CM 渡枡(ワタリ ます)渡哲也 大瀧詠一作曲

2020-11-29 20:47:00 | 僕の音楽日記




♫酒 わぁ
大関 心意気〜

というCMが有名だったが
飛び抜けて垢抜けた
ポップなCMに変わった大関のCM


大瀧詠一さん作品

わたり ます
渡 枡

渡哲也さんと大関!
70年代の清酒のCMは
大人の男の世界を表してました。

♫喜びの酒〜
松竹梅ぃ!
と石原裕次郎さんは歌って
飲んでCMしてた。

ビール党の僕は
日本酒は苦手だったなぁ

そして、酒屋のバイトしてても
日本酒の注文って
年々減少していってました。

あの頃
剣菱
日本盛
大関
白雪
なんかが主流だった
年末になると
麒麟ビール大瓶1ケースと大関辛口1本504号の田中さんへ
持っていって!なぁんて
注文配達のバイトで
僕は
トラックからそれを探して
ビールケースに酒を突っ込んで
五階まで配達に行ったりしてた。

今思えば
肉体労働の最たるもので
今のご時世
とんと、姿を消した
酒屋の配達、と御用聞き。
毎年この辺の時期から
年末にかけて忙しくなる
新年を迎える準備に
日本酒、ビール
ジュース、味醂、酢、ウィスキー、
タバコカートンで
米、塩
など
比較的重たいものを配達して届けていた酒屋だった。
それと時代の流れ
コンビニの普及で
そうした御用聞きの酒屋がなくなり、
当然、配達も皆無になった。

僕の高校の時のバイトは
今の時代もう見かけない
ビール、酒を家先までお届ける
ハードなバイトだった。

大関は辛口の酒で
松竹梅と並んでよく売れてた。
お正月近くになると
やっぱり松竹梅がよく売れた
それも金粉入りとか…

大関 は、ワンカップ!というイメージ。
でも
テレビCMでは
ポップな大瀧節が
耳に残る
この歌。

ワタリ マス
ワタリ マス
ココロ ガ 
ワタリ マス
ワタリ マス


いよいよ明後日から師走
今年もあと一カ月!
引き続き
平和で健康に暮らしていけることを
願って…






冷たい雨 ハイファイセット

2020-11-28 05:51:00 | 僕の音楽日記
♪彼女の名前教えないでね
恨む相手は
貴方だけでいい


彼と喧嘩し、
その彼は喧嘩に乗じて
別の女と思い出の部屋で
暮らす事を
彼女に告げる

まあ、なんと都合のいい
いやらしい男なんだろう

この歌の世界は演歌だ。
日本人的風景が垣間見れるが…

ユーミン的には
洋楽、洋画のシーンに加工して
お洒落に聞こえるように
女性の怨みを悲しみを
全面に出ないように
フィルターをかけて作品として
仕上げてる。


同じ題材を中島みゆきさんが
表現すると
冷たい雨も
氷雨くらいになりそうなのだが…

そこが 「世界」をもった表現者の
個性、違いというやつで…


そうはいっても
ユーミンが表現する
冷たい雨 
自身が歌うのと
山本潤子さん歌唱とでは
ニュアンスが雲泥の差。

ユーミンの
「冷たい雨」のイメージは
個性的な
字体の女の子の手紙

そして
山本潤子さんの歌う
「冷たい雨」のイメージは
綺麗な書体の字の手紙


そんな両者のイメージ

透き通る透明感の力強さのボーカルの山本潤子さん
癖のある白濁色の粘り気のあるボーカルのユーミン
濁りのある、なしで
同じ冷たい雨でも
雨の体感温度にも
差ができる。

♫ あなたは別の人と
ここで暮らすというの
こんな気持ちのままじゃ
どこにも行けやしない

サビの部分にかくされた心情

(こんな気持ちのままじゃ…)
そしてほんとに悪いのは
許しを乞うための
彼女だったのではなかったのか?

それほどまで彼を怒らせたことは
その辺の経緯が書かれてないゆえ
彼女にしか
スポットがあたらず
彼女をふって新しい女と暮らし
始まる男のいやらしさが
浮き上がる

別れのタイミング
乗り換えのタイミングを
はかったように
計算高いのは男として…

突然の出来事として
彼女に思わせるようにして
でも彼女からして
優しい笑顔しか思い浮かばず
突然、電源が落ちたような
機械のように
動きようがない止まった心で
事態を分析し、
なんとかしようといじらしく
気持ちを立て直そうとしてる

人の心も機械と同じで雨に濡れては
動きようがなく機能停止する

ましてや冷たい雨ならば
冷たい雨がふるたびに
あなたを思い出すし、
忘れたい…と切り替えようと
するにも
怨みたいと思うにも

優しい思い出しか浮かばない
突然のシャットダウン

失恋としたら
これ以上ない追い討ちをかけられ
悲しさが
染み込んでくる歌だと
改めて思う。

ハイファイセット
山本潤子さんのボーカルの
凛とした
強さを感じる
ニュアンスがあって
この崩れそうな
どん底へ突き落とされた
悲しみの歌も
整えられて聞き手に
上手く聴こえ、伝わってくる

そしてソングライター自身の
ユーミンが歌えば
また、この歌の本質を
魅せてくれる。

「冷たい雨」
が降る
もう…そんな季節








青春 かぐや姫

2020-11-27 16:44:00 | 僕の音楽日記
「青春」…って言葉は使い勝手がよいけれど

表面的で、本質を
表してないこともある。

注釈が必要な言葉と個人的に
それぞれ
意味合いだったり
捉え方だったりが
違う。
「青春」…
情熱をかけた時間、
場所をそう呼ぶのなら…
青春とは
そんなニュアンス。


得てして
10代にクローズアップされがちだが…
時を忘れ、打ち込み
毎日が24時間では足りず
時間感覚がわからないくらい
充実していた時。
それも
青春。

いくつになっても
「青春」と呼べる時期は
訪れるし、
あると思う。

10代は青春
20代は盛春
30代は成春
40代は誠春
50代は整春
60代は清春
せいしゅんはその年代ごとに
意味合いと情熱の掛け方、場所、
関わった人たちは
かわってくる
誰もが心を熱くする
瞬間、時期はある
忘れられない季節をもっている

過ぎ去って
立ち止まって
思い出す
「せいしゅん」
若さ、ほろ苦さ、青臭さ、
頑固さ、立ち向かう潔さ、
がむらしゃさ


10代の頃
20代の頃
30代の頃
40代の頃
その時々に
一所懸命だった自分。
その時の場所。
あの季節。

そこを、ふと、通り過ぎたり、
立ち止まったりすると
過ぎる記憶、懐かしい記憶

これからの自分への
勇気につながる
懐かしい記憶。

「もう一度…」は無いけど

その感覚を忘れずに

滑落しながらも
更なる頂きを目指して…

懐かしさの向こう側を
また、この目で確かめて…
次なる
春を目指して。





プール 秦基博

2020-11-27 06:56:00 | 僕の音楽日記


僕の中学生でのクラブ活動は
水泳部だった。

水泳部を選んだ動機は
以前にもこのブログでどこかに書いたが…

(水泳部は夏、アイスクリームを食べれるらしい)
(冬は泳がなくていいから、遊んでいられる)

野球部を辞めて
どこのグラフにしようか迷っていた時、
何をトチ狂ったのか?
おおよそ
泳ぎが得意でもないのに、
水泳が好きで仕方ない
わけでもないのに

単純な僕は
まんまと、誘い文句に釣られて
水泳部に入部してしまった。
顧問から
それぞれ
泳ぎのスタイルを言い渡される
クロール専門のやつ、
平泳ぎ専門のやつ
背泳ぎ専門のやつ

そして僕は
最初はクロールだった
しかし、
途中から
バタフライに変更させられた
バタフライをやる選手がいなかったのだ。
バタフライは腰を魚のように
クネクネと動かして
足2本を揃えてフィンの状態にして
キックさせて
推進する
相当な運動量を要する
泳ぎのスタイルなのだ。

おまけに水面を両手をバシャバシャ
させて
いそがしい泳ぎ方なのだ。

辛抱や我慢で乗り切れるほど
好きでもない
水泳を選んでグラフに入ってしまったが故、
辛くて、苦しくて、仕方がなかった…

特に嫌だったのが
ダッシュとロング
ダッシュ…は25メートル
50メートル
100メートルを全速でタイムアタックする、
何本もやる
「よぉーし!今からダッシュ10本」とか顧問が声かけると
泣きそうになった
そして、
ロング…はいわゆる遠泳、500メートルロングとか、1キロロングとか
それを何本かやる
「よぉーし!今から500ロング10本」とか顧問が声かけると
わめきたくなる衝動に駆られた。

みんな足もつかずに
黙々とロングの遠泳をこなしている
ぼくは
ヘタレだし、辛抱も、我慢も嫌いな
やつなので
すぐ途中で足をついて
顧問からド叱られていた。

もう、クラブ活動終わったらヘトヘトで勉強どころじゃなくて
疲れ果てて
疲労こんぱいで家に帰って飯をたべたら
疲れ果ててすぐ寝てしまう毎日だった。
ある日
同じ水泳部で勉強のできる奴に聞いた事があった。
「ねぇ、こんなハードな練習やって、勉強なんか家でできるの?」
文武両道とはいったもので
水泳部でも
力のあるやつは
泳ぎもうまくレギュラーになってるし、また、勉強ができるときてる。
水泳もそこそこなやつは
やっぱり僕みたいに勉強もそこそこ
だ。

そんな僕はグラフ活動中、
プールの中で水の中で
息の出来ない世界で
いつも、自問自答の日々だった。

「何で、ぼくはこんなこと、してるんだろう?どうしてわざわざ苦しい息の出来ない環境に飛び込んで…水泳だけに…嫌な思いして、クラブ活動してるんだろ…」
と…
水中でそんな事ばっかり
考えながら泳いでいた。
「あ〜苦しいなぁ〜息ができない…俺は陸上の生き物なのに…ゴボゴボ、あ、水が入ってきた…オ、苦しい。」
日常茶飯事の水の中…

僕を突き動かしてるのは
なんなんだろう?
全身運動で慢性疲労で
寿命がなくなるんじゃないか?と心配していた半年後に僕は
ヘルニアになって
二週間の入院になった
それを境に僕のバタフライの
選手生命は終わりになった
退院後、ぼくはマネージャーという立場に変更を顧問にお願いしたのだった。

身体的に激しい運動、特にバタフライはできないという判断で
選手としてのクラブ活動は断念した。
僕の中では
いわゆる
「ラッキーぃぃぃ〜‼️」だったのだ。

プールサイドから今度は
仲間の泳ぎをみたり、ストップウォッチでタイム測ったり
裏方の仕事をはじめたのだった。

プールサイドから
仲間も眺め、応援する側に立った僕は本来の陸上での
空気すい放題の人に
戻っていた。

しかしながら仲間たちをみるにつけ
苦しそうでも、淡々と
メニューをこなしていく
彼らのタフさと、凄さを目の当たりで見ていたら
自分の弱さが恥ずかしくなっていた。
でも、得手、不得手はあるどうしたってできないこともある。
できる仲間を見てて、そう
割り切るしかなかった。

そういえば
平泳ぎの選手だった
T澤くん
カッコイイやつで
彼は40代で亡くなったと聞いた。
飄々として、疲れを知らないタフな奴だった。
平泳ぎのエースだった彼!
そんな訃報も耳にする昨今。

中学の時の
クラブ活動で輝いてた
奴は勉強の方もできる!
という定説があった。
文武両道に憧れた
…それは
女子にモテる近道だったからだ…


競泳するためだけのプール
しか
僕のプールのイメージは
ない
好きな人と水辺を楽しむ
プールサイド
そんなことも
その後起こることもなく…