明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

性 (サガ) 世良公則&ツイスト

2019-11-30 07:01:00 | 僕の音楽日記
wowoh wowoh wowoh
 耐えきれず〜
落とした涙ぁぁ〜


銃爪(ひきがね)につづく
4枚目のシングルだった。

前回の歌のタイトルも
()が必要で…
今回も…

思春期の僕たちは
一瞬目が点に!
なんともショッキングな
歌のタイトル。

あの頃の僕らは色めきたったもんだ。

「おい!今度のツイストの新曲
しってるか?」
「うん!知ってる知ってる!」
「性 だろ〜いやらしいなぁ」

フリガナを見落としてている友人
都合よく人は
読んでしまうもの。

注意書きなんか
大抵、大半読まないのも
それがそのはず。


「ばぁか!サガって読むんだ」
「え?」
豆鉄砲を食らったような
表情の友人は
残念な顔色をうかべていた。

おいおい
落胆してるんだか…


とにもかくにも
ツイストの新曲のたびに

やいのやいの
していた
中坊だった僕たちは

性に関する話題には
ことさら敏感だった。

それしかないのか?
男子!

それしかないんだ
あの頃の男子!

そんな話題を提供してくれた
世良公則&ツイストの新曲
「性 サガ」は
対して
ドギマギする内容ではなかったが

次のシングル
「燃えろいい女」の頃には
世良公則&ツイスト熱は
収まっていたっけ


wowoh wowoh
wowoh
wowoh

と言いながら学校の校舎の階段を
駆け上がっていた
僕たち

平和な時代だった。






ペテン師 かぐや姫

2019-11-28 21:33:00 | 僕の音楽日記
かぐや姫LIVE に入っている
「ペテン師」はこのアルバム
に初めて挿入された正やんの
新曲だった。
前作の「三階建の詩」では
三者がそれぞれ4曲ずつ平等に曲
作りをし、
クオリティの高いスタジオアルバム
としての
「三階建の詩」だった。
名曲 
「22才の別れ」「なごり雪」が入ってる名盤である
比較的正やんの歌う
世界に登場する
男の人は野暮ったく気が小さく
母性をくすぐる
男性からみたら
なんでこんなやつが女性に
モテるのか?
というタイプの
男性モデルが出てくる。

この
「ペテン師」は
作詞は喜多条忠さんだけど
ほぼ正やんもこの手の男性
モデルの歌の世界は
のちに書いている
すこし、情けなく
すこし、正直もので
生きるのが下手な男


女心がわからない
でも、女性にモテる


切なさの糸が後を引くような
そんな展開の歌を
多く残す正やんにして

この「ペテン師」という作品を
新曲として
ライブアルバムから
披露してきたところに

正やんの独り立ちの準備が
徐々に整い出したと
思われた

「神田川」のヒットで
それぞれの個性を光らせる方向へ
進み始めたかぐや姫

とりわけ
正やんは
ソングライターとしての
才能がより
開いてきていた。

時代の流れを感じることの多い
この頃の歌たちだけど
「ペテン師」は
いま聞いても
そんなに古さは感じない
でも、
もう、「ペテン師」って言葉自体
死語的になっている。

今は
詐欺師

という言葉が定着しているし、
聞き慣れてる

同じ意味を持つことを表す
ペテン師
詐欺師

「ペテン師」なにやら
童話の世界から
赤い舌をだして
微笑んでる
そんなすこし悪そうで
すこし人の良さそうな

その男。


ペテン師につき…
















吉田拓郎 コンサートのラスト曲についての振り返り

2019-11-28 10:56:00 | 雑記
吉田拓郎さんのコンサート
ラストに歌う曲って…






初期の頃
そして
つま恋のような
大きなイベントで
オムニバス形式のコンサートやら
80年代
90年代
そして
最近に至るまで


どんな曲だったかなあって


初期の頃のコンサート
いわゆるアコースティックでの
リサイタル
オムニバス形式のコンサート

それの大きなものが
中津川フォークジャンボリー

「結婚しようよ」の売れる
前と後でも違ってきてたし
72年頃売れる前だと

その時の気分で
流れでラストの曲って
それぞれの場所で変わっていたようでした。
「花嫁になる君に」
「こうき心」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「イメージの詩」
「リンゴ」
「結婚しようよ」
なんかは
猫とのジョイントコンサートでのラスト曲でやられていた。

それから「結婚しよう」が売れ出してから
神田共立講堂でのテレビ向けの
リサイタルから
柳田ヒログループと回り始めたツアーから
「また会おう」がラスト

また、73年からツアーは
アコースティック部分一部は
「りんご」で終わり
バンド編成では
「また会おう」

「ガラスの言葉」で終わったところもあり
金沢事件後の神田共立講堂でのライブ
は「人間なんて」

その後Live'73のmcでいっていた

(魔の神田共立講堂)のこととはその時の人間なんてが凄かったことを
指している。


神田共立講堂の後少しリサイタルで
全国を回ってます。
その時もラスト曲は
「人間なんて」

そしてあの中野サンプラザでの
伝説のライブ
Live'73 
では
「望みを捨てろ」がラスト曲。

74年は
バックバンドを愛奴の時は

「私」(悲しいのは)でした。

そして75年は
つま恋
ラストは感動の「人間なんて」

76年 「明日に向かって走れ」ツアー
「明日の前に」

がラスト曲


そして78年 「大いなる人」ツアー
では
また、「人間なんて」でした。

そして79年
のツアーも「人間なんて」
篠島のラストも
「人間なんて」


そう思うと70年代のラスト曲の代表は
「人間なんて」だったし、その
「人間なんて」からの
脱却を
目論んで差し替えていこうと
した歌はあるものの

時代の流れでもう、「人間なんて」ではないと感じた
拓郎さんは

79年の最後のコンサートに
大晦日
「ファミリー」をラスト曲に変えました。




そして、
80年代に突入
しばらく
ラスト曲はこの
「ファミリー」
を歌うも
その後

「アジアの片隅で」
に変わって
82年 王様達のハイキングツアー
になり
はライブの武道館では
「マークⅡ」だったり

それから
「春を呼べⅡ」がラストになったり
83年は「今夜も君をこの胸に」をラストで歌ってたような気がするし、

84年は武道館とかで
また、「人間なんて」をやってたし


そして85年
one Last night つま恋
では
「明日に向かって走れ」だった。


それ以降はあまり覚えてなく

2006年つま恋では
「聖なる場所に祝福を」

「今日までそして明日から」
「人生を語らず」
なんかもあり、2007年のツアーのラストは
「外は白い雪の夜」だったし、

ラスト曲って
その時のツアーコンセプトとかその時の想いとかで
ラストの曲って意味を持たせるのだと思う。


あ、この歌
この演奏が始まったら
コンサートは終わりだな…
と思わせるのも大事。
予定調和ではあるが
双方がその気持ち
思いでラストを迎える
そのコンサート。

でも、それを続けているアーティスト
ラストを変えないで
ラストの曲はこの歌
としているアーティストも多くみられるだろう。


だけど
拓郎さんに関しては

それがなかった。

今回のツアーも
ラストの曲を
拓郎さん本人も決めていただろうが
ラジオでリスナーから
候補を出してもらったりした。

リスナー参加型の楽しい
ラジオだったし、
実際リスナーからの
提案曲が採用されたりもした。

コンサートを見る楽しみ
聞く楽しみ
参加する楽しいが増え

いつもながら
拓郎さんのコンサートは
ワクワクさせてくれていた。


長年コンサートを見てきて
そのコンサートのラストは何だろうと推理しながらの楽しみもあり

あたるも
当たらぬも
感動を迎えるフィナーレは
締めくくりに相応しい曲
そうでなかった曲
色々あったね。





ホールド ミー タイト 渡辺真知子

2019-11-27 18:18:00 | 僕の音楽日記
渡辺真知子さんの出現は
ひとつの転機の
象徴
「迷い道」で
頭角を現し

CBSソニーの戦略が見事に
当たった形だといえた。


僕は彼女のこのポップチューンなナンバーが好きだ。
「ホールド ミー タイト」




作詞作曲渡辺真知子
さすが
シンガーソングライターだと
彼女は歌番組に欠かせない
そんなあの頃だった。
ヒット曲を立て続けに出し
彼女には
太田裕美さんのポジションのような立ち位置を僕は見ていた

テレビ映えもし、
歌える
ソングライター

もう、テレビに出る事への
抵抗もなく
歌を披露することへ
集中した彼女の
姿勢は素晴らしかった。



1975年を境に
テレビでのフォーク系
アーティストへの影響力
が増してきていた。
時代の潮目が変わったことをうけ

もはや
イデオロギーや
個人のポリシーを盾に
テレビを拒否する
理由は
ナンセンスになってきている
ましてや、
テレビ映りを気にして
出たくないという
女性アーティストでさえ
もう、そんなに人前で見られない
ほど
美貌が悪い
女性アーティストなんて
女性歌手なんて
いなくなってきていた。

渡辺真知子さん自身もデビュー
まで
そのスタイルを変えられた
1人だ
ウルフカットで
ジーンズで
汚らしいスタイル
ロックっぽい
風貌だったという
それをスタイリッシュに
清潔感ある
テレビ映えする女性歌手へと
変え
テレビでその歌
その歌声で勝負するような方針だったという。



彼女が生き生きと
時間いっぱい歌う歌は
もう、フォークや歌謡曲や
ニューミュージックや
と区分けしてきた
人達にとっては
そんなことどうでも良く
思えて
聴こえてくるのだ

彼女自身も自分のスタイルを
変えられたが
その方針に従い
最終的には
歌える場所があれば
どこでもいいと
その方法にこだわらなかった。

やがてテレビでは
いい歌をランク付けする
ベストテン番組が全盛を迎え
お茶の間に
どんどん
ロック系
ニューミュージック系
フォーク系
それぞれのスタイルのミュージシャン達が
出演するようになった。


彼女の歌が
その全てを抱くように
抱き寄せ

全てを
強く
抱きしめて

歌だけを愛して。



あなたの後ろから 歩く海岸通り
光のつぶを まつげではじく
シャツの胸のボタンを 少し多めにあけて
心ざわめく 冒険気分

夏の吐息は恋 耳もとで受けたら
はりつめた心が はち切れてしまいそう

甘い Hold me tight 熱く Hold me tight
焼けた素肌を ゆれて Hold me tight

ビキニの女の子に ふいに声かけられて
粋なそぶりで ウィンクかわす
無邪気なあなたには 悪気などはないはず
だけど気になる あなたの仕草

あなた一人だけを 何度も愛してた
四次元の世界に 迷い込んだみたいよ

甘い Hold me tight 熱く Hold me tight
狂おしいほどに 強く Hold me tight

夏の吐息は恋 耳もとで受けたら
はりつめた心が はち切れてしまいそう

夕暮れの空に 星がまたたくわ
潮風の中 甘く Hold me tight




ミュージック ・アワー ポルノグラフティー

2019-11-26 09:11:00 | 僕の音楽日記


ラジオでの恋の悩み
ハガキでのリクエスト
好きなDJの
名物コーナー

ラジオは深夜放送。
耳を傾けて
ボリュームを絞り
聞かれたくなく
鶴光のオールナイトニッポンは
とにかく音量を絞って聞いていた。

お笑いの人の話芸は笑いを誘い
布団の中で
机の上で 
声を殺して笑っていた。

音楽情報も深夜放送で仕入れる。
お気に入りのDJが
チョイスする音楽は
もうそれだけで
受け入れ体制が
出来ているので
そのまま、好きになっていく。

流行り唄。
これから流行るだろう期待の唄
思い出の唄
オールディーズ
企画だったり、推しのアーティスト
だったり
色々知ることができて
玉手箱を探るように
音楽は心豊かにしてくれて
いった。


学生時代
中学
高校と深夜放送ラジオを
よく聞いていた
でも
あの頃
一度として
リクエストハガキや
プレゼント企画などに
ハガキなど
応募したことがなかった。

不思議と、…
ましてやファンレターなども…

なぜそんな行動をしなかったのか不思議だ。


たぶんぼくは一生
リクエストハガキやその番組に
宛てた手紙なんかは
送らないだろう
と思ってた。

たぶんそれは

(どうせ読まれないだろうし…)

というハナから諦めている
自分だったからだ。


躍起になって読まれるまで
出し続けるなんて事も
そこまで根気よくないし、
そんな僕が

初めて
ハガキではなく
番組宛てのメールを送り
読まれた事がある。


それはひとつの事件。
僕の記憶に残る嬉しい事。

しかも
憧れの吉田拓郎さんに
そのメールは読まれたのだから

もう、終わってしまったが
ニッポン放送 
吉田拓郎 ラジオでナイト
という番組で

コーナーの企画へ送ったメールが
拓郎さんに読まれた。
しかも
二回も!!


ラジオから聞こえてくる
読み上げるラジオネーム

一瞬 聞き逃す

「あ!俺だ!」
顔がニヤケて
小さくガッツポーズ!!


もう、若くないこんな歳でメールを送り
読まれる
公共の電波にのって好きなアーティストに読まれるその至福な時は

大きな宝だった。


ラジオは深夜放送、主に朝方
聴くことはある
早く起きたときなんか
午前3時ごろの
深夜放送をたまに聞くことがある
それ以外もう、今はラジオを聴く事は車に乗ったときくらい

拓郎さんの後輩 の広島出身の
ポルノグラフティー 

このグループがでできたとき

なんて卑猥なグループ名なんだ!って
嬉しいはずかしい
ポルノグラフティー
なんて感じで
彼らの歌を気にして
聞いていたりもした。

その中でも
この
「ミュージック・アワー」は大好きな
歌だ。