吉田拓郎さんのコンサート
で
ラストに歌う曲って…
初期の頃
そして
つま恋のような
大きなイベントで
オムニバス形式のコンサートやら
80年代
90年代
そして
最近に至るまで
どんな曲だったかなあって
初期の頃のコンサート
いわゆるアコースティックでの
リサイタル
オムニバス形式のコンサート
それの大きなものが
中津川フォークジャンボリー
「結婚しようよ」の売れる
前と後でも違ってきてたし
72年頃売れる前だと
その時の気分で
流れでラストの曲って
それぞれの場所で変わっていたようでした。
「花嫁になる君に」
「こうき心」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「イメージの詩」
「リンゴ」
「結婚しようよ」
なんかは
猫とのジョイントコンサートでのラスト曲でやられていた。
それから「結婚しよう」が売れ出してから
神田共立講堂でのテレビ向けの
リサイタルから
柳田ヒログループと回り始めたツアーから
「また会おう」がラスト
また、73年からツアーは
アコースティック部分一部は
「りんご」で終わり
バンド編成では
「また会おう」
「ガラスの言葉」で終わったところもあり
金沢事件後の神田共立講堂でのライブ
は「人間なんて」
その後Live'73のmcでいっていた
(魔の神田共立講堂)のこととはその時の人間なんてが凄かったことを
指している。
神田共立講堂の後少しリサイタルで
全国を回ってます。
その時もラスト曲は
「人間なんて」
そしてあの中野サンプラザでの
伝説のライブ
Live'73
では
「望みを捨てろ」がラスト曲。
74年は
バックバンドを愛奴の時は
「私」(悲しいのは)でした。
そして75年は
つま恋
ラストは感動の「人間なんて」
76年 「明日に向かって走れ」ツアー
は
「明日の前に」
がラスト曲
そして78年 「大いなる人」ツアー
では
また、「人間なんて」でした。
そして79年
のツアーも「人間なんて」
篠島のラストも
「人間なんて」
そう思うと70年代のラスト曲の代表は
「人間なんて」だったし、その
「人間なんて」からの
脱却を
目論んで差し替えていこうと
した歌はあるものの
時代の流れでもう、「人間なんて」ではないと感じた
拓郎さんは
79年の最後のコンサートに
大晦日
「ファミリー」をラスト曲に変えました。
そして、
80年代に突入
しばらく
ラスト曲はこの
「ファミリー」
を歌うも
その後
「アジアの片隅で」
に変わって
82年 王様達のハイキングツアー
になり
はライブの武道館では
「マークⅡ」だったり
それから
「春を呼べⅡ」がラストになったり
83年は「今夜も君をこの胸に」をラストで歌ってたような気がするし、
84年は武道館とかで
また、「人間なんて」をやってたし
そして85年
one Last night つま恋
では
「明日に向かって走れ」だった。
それ以降はあまり覚えてなく
2006年つま恋では
「聖なる場所に祝福を」
「今日までそして明日から」
「人生を語らず」
なんかもあり、2007年のツアーのラストは
「外は白い雪の夜」だったし、
ラスト曲って
その時のツアーコンセプトとかその時の想いとかで
ラストの曲って意味を持たせるのだと思う。
あ、この歌
この演奏が始まったら
コンサートは終わりだな…
と思わせるのも大事。
予定調和ではあるが
双方がその気持ち
思いでラストを迎える
そのコンサート。
でも、それを続けているアーティスト
ラストを変えないで
ラストの曲はこの歌
としているアーティストも多くみられるだろう。
だけど
拓郎さんに関しては
それがなかった。
今回のツアーも
ラストの曲を
拓郎さん本人も決めていただろうが
ラジオでリスナーから
候補を出してもらったりした。
リスナー参加型の楽しい
ラジオだったし、
実際リスナーからの
提案曲が採用されたりもした。
コンサートを見る楽しみ
聞く楽しみ
参加する楽しいが増え
いつもながら
拓郎さんのコンサートは
ワクワクさせてくれていた。
長年コンサートを見てきて
そのコンサートのラストは何だろうと推理しながらの楽しみもあり
あたるも
当たらぬも
感動を迎えるフィナーレは
締めくくりに相応しい曲
そうでなかった曲
色々あったね。