明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

想い 永井龍雲

2021-05-31 08:55:00 | 僕の音楽日記

1978年
福岡から
デビューした
その人は本名も
【永井龍雲】といい
その年
長渕剛さんも
再デビューしていた。


井上陽水2世の永井龍雲
吉田拓郎2世の長渕剛
などと
雑誌に文字が踊った

時代は
ビックネームの
衰退斜陽に次の
新たなリーダーを担ぎ出そうと
していた。
巡る時代に
イキの良いエネルギッシュな歌声を
求めていた

陽水はもう古い
拓郎ももう古い

そんな風に
差し替えを言葉で煽り
スターを作り上げていく
マスコミに
本人たちは
踊らされることなく
自分の歌を
歌い始めた。


永井龍雲さんの
「道標ない旅」はCMタイアップ曲としてヒットし、耳にすることも
多かった

フォークソングと言われる
ジャンル
アコースティックギターでつくる
手作りの生活に寄り添った
そんな暮らしの歌
それを丁寧に歌うのが
フォークソング、フォークシンガー
というなら
永井龍雲さんは
その位置にいたであろう。

あの頃の僕は
長渕剛さんは聴いていたけど
永井龍雲さんは
深く聴くことにはいかなかった


【聴くか?】【聴かないか?】

新譜が出て
新人も色々出てくる
毎年の中で
取り上げられる
注目のアーティスト

〇〇2世!
〇〇風!
なんて冠がつくと
それを頼りに
チェックをいれて
自分に合うか
好きか嫌いか
を判断していく
あの頃いろいろアーティストを
聴き出した頃だから
判断は早かった。

(ちょっと暗いかなぁ)
その時の印象

フォーク全盛の頃
売れていたシンガーたちは
ある程度
ベースがビートルズだったり
ポップスターだったりしたことの
影響もあって
どこか明るさとポップな雰囲気を
持っていた

あの井上陽水さんでも
初期の頃フォーク全盛期に
フォーク、フォークしていた
曲作りや作品はあっても
どこかビートルズ的なノリを
現したいと
その片鱗をのぞかせながら
機会を伺っていたように思う

暗さの中に
ポップな雰囲気をまとって

吉田拓郎さんにおいても
R&Bやロックンロール
アメリカンポップスをこよなく愛して
当時の時代的表現方法の
ベストなアコースティックギターからのアプローチをしていただろうし

それぞれアーティストにおいて
誰々っぽいとか
それは
憧れを追いかけているかぎり
プロもアマチュアも一緒だと
プロはプロと名のつく以上
お金をもらう立場故、
プロとしての姿を見せつけなければ
いけないのだろうけど

フォークという
半アマチュアのような
手作りの歌を歌うシンガーが
時代と流行をつくり
それが
商業主義的に
確立していったカタチが
ある意味ニューミュージック

その狭間の1978年
一人のフォークシンガーが
確かに
「想い」をもって
デビューした。




I Jast can't help believing B.J トーマス

2021-05-31 06:28:00 | 僕の音楽日記
5月29日に亡くなられた
B.Jトーマスさん

【雨にぬれても】での大ヒット

アメリカの憧れ
ポップ、カントリーシンガーとして
その歌声の
音階域は
聴くもに癒しを与えてくれた

1970年に発表された
B.J トーマス版の
エルビスの曲
「I jast can't help believing」

珠玉のバラードは
ビルボード9位に

君を信じたい そう歌った
二人の歌手は
もういない
エルビスもトーマスも
いなくなってしまった。

あの頃のアメリカは
本当に歌だけの思い出の世界に

どうか
やすらかに…




はーばーらいと 水谷豊

2021-05-30 20:37:00 | 僕の音楽日記

1977年
フォーライフレコードの逆襲
吉田拓郎社長就任で
傾きかけた会社を立て直すべく
レコード会社所属のアーティストも
続々と有名人といわれる
役者や、歌手や、芸人など
色ものと言われる人たちを
所属させ
歌を歌わせて
レコードを販売する

フォーライフレコードの
船出のキャッチコピー
「私たちに音楽の流れを変えることができるでしょうか?」だったはず

大きな流れに飲み込まれ
沈没しかかった船に
新しい水夫の一人
水谷豊さんが乗り込んできた。

1977年7月1日リリースの
ファーストシングル
作品のクレジットには
作詞松本隆
作曲井上陽水
の文字が


フォーライフの巻き返しの
鼻息が聞こえそうな
万全な布陣


原田真二さんのブレーンで強力な
力を発揮してる
作詞家松本隆さんを擁し
曲作りは
フォーライフの看板アーティスト
井上陽水さん

ジャケ写が
清水健太郎さんか?
と思わせる
まだ精悍な水谷豊さん

役者さんが歌うことに関して
とびきりな期待はなくとも
表現者としての
歌い手の顔は
歌手に肩を並べるように
なかなかの説得力をもっている。

大人のラブソング
落ち着いた曲調に派手さはない

水谷豊さんのパーソナルに合った
哀愁感ある作品。



薔薇の花びらを噛むと
恋が叶う

とか

潮風に逃げる髪
僕の手のひらで束ねても
すり抜けた淋しさは
かじかむ指じゃ掴めない

とか

涙で海をうすめないと

とか

見飽きたはずの君が
他人の顔で振り向いた

とか普通の会話では
ふっと
出てこない
言葉のフレーズ

こんな言葉をさりげなく
言えるような
ある意味そんな言葉が
イヤミにきこえない
男でありたい

いやいや
こんな言葉を言う男って
逆に
引かれる?


惹かれる?

(笑)





はーばーらいと


作詞:松本隆

作曲:井上陽水

薔薇の花びら噛むと
恋がかなうって迷信さ
涙より苦いのは そんな君の泣き笑い
潮風に逃げる髪 ぼくの手のひらで束ねても
摺り抜けた淋しさは
かじかむ指じゃ掴めない
さようならが言えなくて どじだね
黄昏ハーバーライト 指切りしよう
涙で海をうすめないと

傷つけあう事って難しいものさ
昨日まで見飽きたはずの君が
他人の顔で 振り向いた
煙草すう手がふるえて どじだね
黄昏ハーバーライト 指切りしよう
時に背を向け 死なないってさ
(ハーバーライト ハーバーライト)
黄昏ハーバーライト 指切りしよう
明日は君も 微笑えるよう
(ハーバーライト ハーバーライト)



赤とんぼの唄 あのねのね

2021-05-30 06:19:00 | 僕の音楽日記
あの日も
いつものように
学校が終わって
トシくんの家に
寄ってから
自分ちへ
帰る日課は
変わらなかった。

♪赤とんぼ 赤とんぼ
羽根をとったら
アブラムシ
アブラムシ アブラムシ
足を取ったら
柿の種!


歌いながらトシくんの家へ向かう。



僕は柿の種が
無性に好きだった
いつ、どんなタイミングで好きに
なったのか?
覚えてないが
確か

こんなポットに
トシくんの母さんが僕用に
ストックしてくれて
置いておいてくれた

今も柿の種は大好きで
いまのお気に入りは
三幸の柿の種


旨味醤油がいい!

当時
学校が終わったら
トシくんところへ寄る

誰もいない時は
鍵がどこにあるか
知らされてるから
先に入ってて留守番しといて
とトシくんの家族のものから
言われていた

誰かいる時は
玄関を開けて
居間へいってテーブルの下に
柿の種のポットが置いてある

奥からおばさんの声がする
「〇〇〇!柿の種テーブルの下にあるよ」
僕が柿の種が好きなのを知ってて
買っておいたくれている

「ビール飲むんだったら
冷えてないけどあるよ」



今思えば
サラリーマンが仕事を
終えて
行きつけの居酒屋か
ちょい飲み屋に寄る
風景と変わらない感じが
可笑しい。


ツマミは柿の種。
柿の種とビールの
相性は抜群

ビールがない時でも
柿の種を食べながら
週刊サンデー、マガジン、チャンピオンを読みながら
レコードを聴きながら
トシくんの帰りを待ってたり
新譜ジャーナルを読みながら
柿の種を食べ

ギターを弾きながら
柿の種を食べ

あの頃の
おやつの定番は
柿の種とナビスコポテトチップス

夜遅くまで
飲んだりする時は
ビールから始まって
ウィスキーだったがウィスキーにも
柿の種の相性はいい!

たいがい
ツマミは
柿の種で充分だった

でもそればっかり食べてると
たまには違うもの
食べたくなるのが
人情ってもんで

今日は違うもの食べたいなぁ
と思っていても
そのタイミングでいつも
「柿の種新しいの買っといたから」

追加されて
また、柿の種のループがはじまる
そんな感じだった

やめられない
とまらない

あいつには
柿の種くわせとけばいい
いつもトシくんに言われ
ねぇちゃんたちにも
笑われていた僕

「〇〇〇!好きだねぇ柿の種」半笑いでねぇちゃんたちが言う

トシくんのオヤジさんも
「〇〇〇!飽きないか?柿の種ばっかで」晩酌しながら
酒の魚を食べながら
オヤジさんはいう

僕は心の中で
(もう、飽きてるんですが…)


あまりにも美味しそうにポリポリ
ポリポリ食べてる
姿が印象的だったのか
必ず用意してくれた
柿の種。


「柿の種って何からできてるか
知ってるか?」
オヤジさんは言う

「え?餅米でしょ?」

「知らないのか?赤とんぼの羽根をと足を取ったものだぞ!」


ほろ酔いで笑いながらオヤジさんは
僕に言った。



君によせて ふきのとう

2021-05-29 22:06:00 | 僕の音楽日記

1976年リリースされた
ふきのとう
3枚目のアルバム
「風待茶房」に収録
細坪さんの
作詞作曲 アレンジは
瀬尾一三さん

三拍子のバラードで
70年代中期によく
耳にした
カントリーポップス
安定の楽曲

いまじゃぁ
三拍子の曲
聞かなくなったなぁ

あの頃
ぜったい
ふきのとう
なんて
耳を傾けるなんて
しなかったグループ

軟弱で柔な
音楽性と詩の世界

その向こうで
男らしさと激しさを追求
していた
僕には

やさしさ
男らしさ
激しさに
勘違いと先入観と
固定観念が
それにはこびりついて
いたようだ

その作品がもつ
素晴らしさは
心を穏やかに
余分な
雑念を捨てて
耳を傾けると
見えなかったものや
聞こえなかったものが
聞こえてきたりするもので

よくある
聞き逃し、
聞かず嫌いの
僕の残念だった過去に

過去へ
遡って
「これ、いいじゃない?」
「なんでこれ聞かなかったのか?」

そう思うことが名曲に巡り会えた
時に思う感情だ

その時
聴くことができなかった
何かが
きっとあったはず

幼すぎたのか
大人になれてなかったのか
今思えば
大人としての耳をもって
聴いていたら
聴けた曲
聴けたアーティストは
沢山あったと思う。

ふきのとう

君に 
僕の心をよせて

君によせて…