1978年
福岡から
デビューした
その人は本名も
【永井龍雲】といい
その年
長渕剛さんも
再デビューしていた。
井上陽水2世の永井龍雲
吉田拓郎2世の長渕剛
などと
雑誌に文字が踊った
時代は
ビックネームの
衰退斜陽に次の
新たなリーダーを担ぎ出そうと
していた。
巡る時代に
イキの良いエネルギッシュな歌声を
求めていた
陽水はもう古い
拓郎ももう古い
そんな風に
差し替えを言葉で煽り
スターを作り上げていく
マスコミに
本人たちは
踊らされることなく
自分の歌を
歌い始めた。
永井龍雲さんの
「道標ない旅」はCMタイアップ曲としてヒットし、耳にすることも
多かった
フォークソングと言われる
ジャンル
アコースティックギターでつくる
手作りの生活に寄り添った
そんな暮らしの歌
それを丁寧に歌うのが
フォークソング、フォークシンガー
というなら
永井龍雲さんは
その位置にいたであろう。
あの頃の僕は
長渕剛さんは聴いていたけど
永井龍雲さんは
深く聴くことにはいかなかった
【聴くか?】【聴かないか?】
新譜が出て
新人も色々出てくる
毎年の中で
取り上げられる
注目のアーティスト
〇〇2世!
〇〇風!
なんて冠がつくと
それを頼りに
チェックをいれて
自分に合うか
好きか嫌いか
を判断していく
あの頃いろいろアーティストを
聴き出した頃だから
判断は早かった。
(ちょっと暗いかなぁ)
その時の印象
フォーク全盛の頃
売れていたシンガーたちは
ある程度
ベースがビートルズだったり
ポップスターだったりしたことの
影響もあって
どこか明るさとポップな雰囲気を
持っていた
あの井上陽水さんでも
初期の頃フォーク全盛期に
フォーク、フォークしていた
曲作りや作品はあっても
どこかビートルズ的なノリを
現したいと
その片鱗をのぞかせながら
機会を伺っていたように思う
暗さの中に
ポップな雰囲気をまとって
吉田拓郎さんにおいても
R&Bやロックンロール
アメリカンポップスをこよなく愛して
当時の時代的表現方法の
ベストなアコースティックギターからのアプローチをしていただろうし
それぞれアーティストにおいて
誰々っぽいとか
それは
憧れを追いかけているかぎり
プロもアマチュアも一緒だと
プロはプロと名のつく以上
お金をもらう立場故、
プロとしての姿を見せつけなければ
いけないのだろうけど
フォークという
半アマチュアのような
手作りの歌を歌うシンガーが
時代と流行をつくり
それが
商業主義的に
確立していったカタチが
ある意味ニューミュージック
その狭間の1978年
一人のフォークシンガーが
確かに
「想い」をもって
デビューした。