お邪魔するよ 斎藤工
ようこそ 山本耕史
シン ウルトラマン のパロ場面
外星人 メフィラスと
ウルトラマンとのやりとり
そのまま
人間らしさを押し殺し
感情を抜いて淡々と話す二人
久々のグッとくるCMだ
言うべき言葉は全て吐き出さず
それでいてその奥の言葉は言わない
沈黙を楽しむ
そんな
雰囲気の流れと
ただお互いの名前呼び捨て
連呼する
奇妙なCMになってる
常識ほど
すぐ変わるものは
俺は知らないよ
山本耕史
そう最後のセリフは
納得の一言
常識ほど
非常識なものは
ないのかもしれないね
とらわれすぎて…
人は
獣になる
なれる
なろうとする
でもそうしなくても
人の皮を被った獣
だと
表現することもある
人としての、倫理観
人として
全く通用しない
理解不能な考え、行動
をする人は
獣という言い方を当てはめるときがある
よく、男はオオカミになるから
とか
獣に例えられる
本能に従って行動することが
獣たる所以
考えたら
その方がどんだけ楽なのか
と思うこともある
獣は生存本能に従って
死ぬか生きるかを考えるまでもなく
生きる選択肢から
生存し、命を繋ぐ
だから
食べること
繁殖すること
全て教わるでもなく
本能に沿って生きてる
人にはそれ以外の
共同生活という社会を形成する
ルールがあり
倫理観があり
法律やら
決め事の中で
個を守りながら生活する
仕組みがある
だから
本能にしたがい本能のまま生きるなんて
難しいし
そうしたくてもできないようになっている
小さな世界では
自分のワガママ(本能)を通して
周りを翻弄する輩もいる
傍若無人の振る舞いで
お前は獣か?って思わないと
理解不能の感覚と考えで
周りのものが悩む
そこまで本能のおもむくまま
行動できるんだー!??
ってある意味関心するほど
自分勝手の自由人
人には迷惑をかけないといっときながら
その周りの人は
言わないだけで
泣いてる、疲れている
苦しんでいる
ことが
わかってないことが
残念を通り越して
呆れる
どう
その人を理解すればいいのか?
ひとでなし
なんだと結論つける
ひとの皮をかぶった
獣
【獣】この読み方は ケモノ
ではなく
【獣】と書いて ヒトデナシ
です。
女は別れのストリートを決めたら
まっすぐ後ろを振り返らず
進んですぐ横道へと
姿を消す
もう
二人で歩いたこのメインストリートには
なんの未練もなく
切り替えを早く
そうしないと
いつまでも
思い出に飲み込まれるのが
嫌だから
そうして
切り替えていく行動は
優しさの裏返しなのか?
冷たくみせて男以上に
あったかくて
なんて思いたい節は男には
考えることもある
結婚、転居、などなんらかの別れが
迫った時
今までとはいつも通りには
時間をつくれない
どこかに終わりの線引きを迫られる
だから
よそゆき顔で
せめてよそゆき顔で
悲しみを封印するやり方で
女性は男の前を通りすぎる
嫌なやつだと思われていい
とまで
自分の綺麗な思い出さえも
塗り替えられてもいいとさえ
思うものなのか?
断ち切るということは
その作業は一瞬痛みだけだというが
思い出の傷口は
いつまでも男の方は
ジクジクしていたりもする
むしろ
よそゆき顔ですれ違うことさえ
無い方がお互いの為には良かったり
するけど
運命って
時々イタズラ好きで
そうした
試しがきたりもする
そんな時
平気でいられるようになっているか
まだ引きずっているのかは
わからない
自分を守るために
自分の弱さをみせないように
する為に
よそゆき顔で通り過ぎるんだろうね
ちゃんと
風邪をひくべくして
ひいてしまった
心と身体が、弱ったら
ちゃんと、風邪ひくようになってる
比較的丈夫な方で
滅多な事では
風邪なんて引かないし
ましてや熱なんて
一年に一回あるかないか
それだけ
馬鹿は風邪ひかないを
地でいく男。
身体のあちこちがダル痛い
熱も37.6度
久々の風邪だね
免疫力が落ちて
何もかもが鬱陶しいって
思っちゃうね
体調が、すぐれない時は
心の余裕もなくなり
視野も狭くなり
益々自分勝手自分中心になってしまう
自分のことは自分でちゃんとする
シャンとしてないと
風邪に負けてたら
風邪を理由にしていたら
気持ちがそこに逃げ込むわけだから
無理は、しないけど
甘えてはいけない
身体が弱ってる時くらい
…
そう甘やかすもう一人の自分
いやいや、
安静にはしてるけど
風邪は万病のもとともいうけれど
ひどくならないように
今日一日
安静 安静!
もう昨日から寝過ぎて身体が痛くて
腰もいたくて
まだ芯熱が取れてないから
ボーッとはしてる
♪考えるということから、逃げ出したくて
しかたない
歩いてみようと
思っても身体が自由を失って
何にもしたくないんだと
キザなセリフがまたひとつ
あゝ あゝ これも
風邪のせいなら
いいんだけどさ
ズルいから
いい女なのか
いい女だから
ズルいのか
いい女は何をしても
許されるのか?
この歌が出てきたのは
90年代にはいってきてから
詩の内容からすれば
バブルの残り香を彷彿させられる
女王様気取りの女性が多かったし
勘違いもするもの
あれだけ世間がお祭り騒ぎしていた
バブル期
いわゆるモンスターを作り上げるには
十分な環境だったし、
勘違いしても許されていた
時代
男と女の駆け引きは…
どこまで男はプライドを
捨てれるか
なんだと思う
恋は盲目
視界ゼロ
コントロールするつもりが
されてたり
したたかな
ズルい女は
普通の顔して存在する
罪の意識も
相手の気持ちも
持ち合わせていない
ある意味
獣と同じ
欲望のまま突き進む
そこのけ
そこのけ
ズルい女が通る
別に嫌なら
やめればいい
絡まなければいい
とって捨てるほど
男に言い寄られるし
よりどりみどり
次から次へと
違う男へと乗り換える
確かにあの時代
そんな
モンスターな女性が
多かった
ズルい女は
その立場に胡座をかいて
自分を見失ってるだけでなく
罪を垂れ流して生きている