友人から頂いた桃が まだ冷蔵庫に入ってるけど 知人とのラインに [荷物 送りました お楽しみに] とあったので楽しみに待っていたら いろいろこもごもの下に隠れていたのは 桃でした
また桃が~! ってことよりも 書きたいことが あるんだなぁ ・・・
今 心の中にあることで 一番に書きたいことを書くのが 私のブログ
そのスタンスは ずっと変わってなくて ここ数日の [書きたい事] が 🌸さんの[嘘]から繋がっているけど それは その日 その時 私の心を最も強く占めていることを書いたのであって 麦のブログでトラブルが始まってトラブルが終った と言うことはないのです
[嘘]の発端となった ご本人に 私の勘違いをお詫びすることはあったけど 関わり合うことは一切ないし 話し合って解決しようとも思ってないですしね
初めて [誹謗中傷は嫉妬によるもの] と決めつけておられるブログ💻主さんの 旧ブログに出会ったときのこと
偏りのない正直なかたのブログという印象に魅かれて それから ずっと読ませていただいていた
当時のブログでも [誹謗中傷は嫉妬によるもの] というテーマでの更新記事があって 拝読させて頂いたとき 「それは違うんじゃないかな」 と思った
でも 人には それぞれの見方があるから 反論のコメントは控えて 私のブログで [誹謗中傷は嫉妬によるもの] について 私の考えを公開したことがあった
たぶん私も 🌸さんのブログの裏側を視ることが無く 関わり合うことが無かったなら 🌸さんブログのファンだったかもしれない
私に向けられる聞き苦しい日本語や 誹謗中傷されたという思い込みの虚言に蓋がされているなら 年齢に逆らわず前向きに生きられる姿は [女性の鏡] のような
だからといって [素敵な生き方] と思うだけで うらやましい とか 妬むと言う類の感情が 私に沸くことはない
それは🌸さんに限らず
ときどきだったり 白かったりのネコさん 独り言をつぶやいてる70代さん お嬢さんとお孫さんとの暮らしなどの お幸せそうな老後の生活ぶりを [イイね!] とは思うけど 嫉妬するようなことは無いのと同じ
もし 私が [イイね!]を越えて [羨ましい] と言う感情を強いて挙げるとしたら ブログ💻主さんの 見栄も自慢も縁のない正直な生き方 かも知れない
あのように正直な生き方は 私には出来ないと言う感情が 私には多少なり潜んでいる
たとえば 花壇に咲いた花をブログで公開したいとき 周囲に枯れた雑草とか 割れた鉢のカケラなんかがあったりしたら お花だけを大きくアップして公開するというような 見栄があるから
でも 強いて取り上げただけで ブログ💻主さんの姿に嫉妬するというわけではなく すごいな! と言うとこ止まりだけどね
子供のころから 口癖のように聞かされた中でも [人を恨むな 羨むな]は 折に触れては思い出される祖母の教えの内の一つである
私には 理想的なブログ💻主さんだったけれど 人は 環境や経験により それぞれ異なる感性が育つのは有り得ることだから
すべての者が 自分と同じではないと言う事を知っておきたいと思う
[誹謗中傷は嫉妬によるもの] と決めつけた公開発言にしても
嘘に蓋をした 麦を中傷の加害者とする 一方的な発言にしても
麦のブログで 始まったとか終わったとか 勝手に決めつけた発言にしても
自分の言動に間違いないという自信があるなら 同意も反論も 堂々と受け付けて証明したらいい
それが 出来ないんでしょう?
だから
反論には聞く耳持たず
コメント欄無し