ショートがダントツだったから 安心して観てたけど
フリーもすごかった!
友人と スマホ片手に ラインで応援合戦
怪我のあとだから ちょっと気になっていたオバサンです
初挑戦ジャンプの着氷では 素人の私でも ドキッ! でしたが
みごとな高得点でしたね~😃
おめでとう! ゆづくん!
人間同士が関り合う社会で、【同じ土俵で話し合う】 と言われる場面に遭遇することがあります。
同じ土俵とは、思考の次元が同様みたいな? ことでしょうか。
たとえば、バラの花を見た時、「綺麗」と思う人と、「トゲ」と思う人がいたとしたら、異なる土俵、ということになるのかな。
私は、数年前に、私に誹謗中傷されたという人の思い込みを否定するために、「話し合う」と言うことを求めましたが結論に至らず、土俵が異なることを悟ったように思います。
最近になって、また、「誹謗中傷の被害者」として、蒸し返されることがありました。
それまでの私は、忘れたころに繰り返される被害者意識の公開に対し、「それは違う」「それは違う」と言う思いをぶつけてきたかもしれません。
しかし、この頃は、自然な形で「そうではない」ということが、相手のかたの胸にジワジワと沁み込むような事があれば、解決できるかもしれないと思うようになっていました。
この度は、「またか」 という思いで、
相手方の「誹謗中傷された」と思い込むことになった経緯を記して公開したところ、日常の更新とは違って多くの応援を頂きました。
私のブログで、これまでになかった応援者の数字でした。
アクセス数と、応援の数は、まったく別のものです。
ここで私が言うまでもなく、
アクセス数がどんなに多くても、私の書いたことに賛同を頂けなければ、応援の数字は大きくなりません。
それが、
私が公開した「誹謗中傷をされたと思い込むことになった経緯」が、多くのかたの賛同を得て、これまでになく大きな応援の数字となって表れたというわけです。
これだ!
この数字は、私一人でなく、多くの方が、「冤罪」と判断していること、それを相手の方が知ることで、
「誹謗中傷されたというのは、私の思い違いだったのね。」
と、それまでの考えを改めて頂ける材料になると思ったのです。
そこで、もう一度、この機会を逃すことのないよう、閲覧者の皆様に、さらなる応援をお願いしました。
そして、その喜ばしい結果を相手方に伝えるべく、公開しました。
この、一連の流れを
【貴女はアクセスが増えたのでご自分の主張が認められたと思うのですね。】
👆 このように、解釈する人がいるのですね。
土俵が違うというより、読解力に乏しいかた? と言ったら語弊があるでしょうか。
その人は「麦が、アクセスが増えたので自分の主張が認められたと思っている。」と勝手に思い込んで、その思い込みが事実のように広まっていく。
関われば関わるほど、次から次へと、読み間違い、勘違い、思い込みの嘘が作り上げられていくのです。
勘違いを事実として思い込まれた者の気持ち - 宇宙へのツイッター (goo.ne.jp)
N◎子さん 拝見しました - 宇宙へのツイッター (goo.ne.jp)
私は、アクセスが増えたから私の主張が認められた、と思うような知能の低い人間ではありません。
私は、治療を要するような精神病を患ったことはありません。
私は、頂いたコメントを編集して公開したことはありません。
私は、ブログつぶし、と言われるような行為をしたことはありません。
そのころ、どなたかの情報により、
某ブログの、タイトルに「麦」の文字が入ったスレッドが数件ほど、ブログ村の新着記事から抹消されたのを確認したことがあります。
その後、そのブログは、ブログ村サイドから、強制的にカテゴリを変更された、ということを知りました。
その情報に対して、どなたかが、聞き苦しいコメントを書き込んだ可能性はありますが、私が、そこに加担することはありません。
私のブログ上における、きよさんの言葉使いには、ときに苦々しく思うことがあり、あまりにも著しい場合は、きよさんへ、コメントの表現に気を付けていただくよう申し出たことがあります。
ブログ主が拒否するにもかかわらず、無断でブックマークする、というようなエチケットの違反や、誹謗中傷の冤罪など、人道的に理不尽な事柄に対して、そうとうな怒りを感じているらしいきよさんでしたから、そのような相手へのキツイ言い回しは、多々あったと思います。
私は、閲覧者さまの心情を逆なでするような言動は、極力、慎む心構えでブログに臨んで来ました。
問題を解決したい相手なら、なおさらのことです。
私がブログ村サイドへ申し入れたのは、「麦が、頂いたコメントを編集して公開したことはない」 と言う事実を証明して欲しい、ということです。
ラ※スさんは、私のブログ上において多重HNはない、と言ってよいと思います。最初にAと名乗り、その後に、Bと変更するようなことはあったと記憶しています。
私は、jejeとしてブログを立ち上げてから、アドレスと重ねて「まり」、その後に「麦」と変更しています。
某ブログと政治思想が異なる※※さんは、煩わしいことは長引かせたくないという性格的なものからでしょうか、「ここで自分が謝れば穏便に済む」という考え方のようでしたね。
公衆トイレの落書きと聞く〇チャンネルは、世間の常識から外れた人たちの溜まり場と聞いたことがあり、私の常識では、土俵が異なる世界です。
年の瀬に際し、〆の独り言に過ぎません。
どうか、来年はマスクが必需品でなくなる年になりますように願って!