麦です
夫と 犬 と メダカと 暮らすシニアです
趣味と言えば 種を蒔いて 花を咲かせたり野菜を収穫したり 二胡の演奏を聞いたり 二胡を弾いたり
そんな日常を書き綴っては web上に放つのもまた趣味のうち
夫と 犬と メダカがいるから だから楽しめる私のブログ綴りです
今日は
とっても嬉しいニュースがあって 書きたくなりました
近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻雅子さん(53)の請求を退けた
一審・大阪地裁判決を覆し、不開示決定を取り消した。
宇宙から見た地球に国境はない とか 人類はみな兄弟と言った人もいましたが
人は 十人十色 とも言われます
このたびのニュースを 私は何よりも嬉しく思いますが 十人が十人とも喜んでいるとは限らないでしょう
過去に蓋をしたい人もいれば それを非と考える者もいる
ひと昔ほど前に このブログの書き手・麦は 一人のブログ主を誹謗中傷したとして web上に公開されました
その公開文は麦への冤罪であると 一部の閲覧者さんには認めて頂けたと思っています
麦による誹謗中傷の被害者として声を挙げる そのブログ主さんは
少し前に
ご自分の穏やかな生活を守るために 長女さんの知恵を借りて 私のブログに強力なフィルターを掛ける
そのような決意を公開しました
私のブログに目を通すことで その人の生活が乱れる?
公開のブログを書いている私には屈辱的な文面でしたが その人らしい宣言文だと思います
ここには S・Y子さんから [麦はK・Sさんの冤罪を作り上げている]とするコメントが 数回 書き込まれました
その ご指摘には その都度 必ず
[K・Sさんの過去の行為とは切り離すことを前提とする] との申し出がありました
つまり [K・Sさんが麦への冤罪を作り上げて公開した過去の行為には蓋をする] ということ
たしか4度目となる 同様のコメントには もう対応する必要性を感じず そのコメントを無視したところ
そのコメントは K・Sさんの妹さんと交流のあるブログに委託され
そのブログの記事として そのまま取り上げられました
そこまでして 麦の冤罪を成立させようと試みるS・Y子さんの心中には 何があったのでしょう
※ 記憶を辿っているので 言い回しは異なるかもしれません
長くかかわってきて 私に誹謗中傷されたと公言する その人との結論は出ないと思う一方では
おこがましくも
その人の娘さんから 母親が 私・麦に負わせた冤罪について 撤回なり訂正なりの言葉があり フィルターを掛けることで
このことは 終息するのだと思いました
それを望むというのではなく それが社会一般の常識だと思っていたのです
しかし それは私の常識による想定であって 一般的な常識ではないと この頃になって思うようになりました
国境は目で確認できても 人間それぞれの生き方 考え方 常識 価値観などの境界線は目に見えません
今日 私が書きたいことは目に見えませんから
十人十色に基づき 色で表すとして
例えば 誹謗中傷されたという その人が暮らす世界の常識を桃色
私の常識を青色とイメージし
青色の常識で生きている者が 桃色の常識で暮らす人に疑問を投げかけたら それは誹謗中傷となる
それが桃色の世界の正しい常識だから
桃色の常識で生きる人に向けて[愚者の戯言]を立ち上げた麦は 低俗であり 世間の笑い者である
その麦と関わり合うなら [ママも麦と同じような 世間の笑い者になる]という娘さんの常識
けして ネガティブな思考で書いているのではありません
世界に国境 日本に県境があるのと同じように
一人一人が生きる常識には 十色どころか 絶対に取り払うことのできない無数の異なる色の壁がある
青色の常識で生きる私が 桃色の常識で生きる人に 青色の常識に基づいたブログで話し合いを求めたこと
そして 桃色の常識で育まれた娘さんに 母親の言動についての撤回があるかも という青色の常識を想定したこと
それは 青色の常識が正しいと思い込んでいる私の 大きな間違いだったのですね
だからと言って 桃色の常識が正しいとは思いません
どちらが正しく どちらが間違っているというのではなく 単純な 色違いなんだと・・・
青色の常識で綴るブログを 桃色の常識で読むと心が乱れるなら
麦のブログにフィルターを掛けて 平穏なブログライフを保つと宣言することが 桃色の常識
しかし その宣言は 間を置くことなく解除されていますよね?
このところの私は 書きたいことも 書きたいときも ありませんでした
誰のせいでもなく
日常での私は 食料品を買い物をするとき 例えば陳列棚の牛乳を 奥の方から手に取って籠に入れます
特にコロナ禍以降は その傾向が強くなりました
それは私だけではないようで 陳列棚には[手前取り]に協力を請うプレートが掲げてあります
それでも 神経質な私は なんの根拠もなく 奥の方の牛乳が清潔と言う思いを取り払うことはありませんでした
年が明けて しばらくした一月に 外出ついでの帰り道で いつもは素通りする神社に気まぐれで立ち寄りました
そこで お参りを済ませてから 私には珍しく 遊び心で おみくじを引いたのでした
大吉ならラッキー せいぜい中吉か小吉を思い巡らせていたところ
凶
待ち人来ず 失せもの出ず 病い治らず 婚姻まとまらず 願いかなわずと負の羅列
こういう事態に直面した時の私は 割と楽観的に考える方ですが
この時の私は なぜか神様のお告げを真剣に受け止める心境が芽生え
そこで 我が身を振り返ったこと
おみくじの筒を 斜め逆さに取り上げたとたんに突き出た みくじ棒
筒を取り上げるやいなや手に触れた棒に 面白味を感じず
その筒を縦に持ち替え もう一度 振ってから筒を傾けたのでした
そして 二度目に現れたみくじ棒に記されているところの 凶
これは
きっと [手前取り]の常識を破る よこしまな精神の私に与えられた お告げに違いない
おみくじの警告を心の奥に刻み 自分さえが清潔な牛乳を! などと汚れたエゴを捨てて生きなければ
と
心改め 青色の常識に思いを寄せた日のことでした
十人十色と言われる内にも 万人に平等なネット
そのネット上で [誹謗中傷の罪]は すべての人に共通している常識だと思います
明確な根拠もなく 軽はずみに 誹謗中傷と言う4文字を公開する人
他人の文章を正確に読みとることなく 想像や妄想で勝手に脳内変換し 事実とは違う事柄を作り上げ
本人の了解を得ることなく 他人のHNを記したカテゴリーを挙げる人
このたびの嬉しいニュースに
見苦しい面が多々あるブログではありますが
URLを残されたコメントの非表示は別として
全てに蓋をすることなく ありのままを 永久に保存しようと思います