長いお付き合いとなった 西の花友さんから
今年も届いた
ミョウガ
春はタケノコ 夏はブルーベリー そして 残暑のころに届くミョウガ
実は このミョウガが届いたのは 一昨日の 11日
いつもなら すぐカメラに収めて 私が書きたくなることの代表的な 季節の便り なんだけどね
ネット という優れものを知ったのは 40代
そのころ 遠く離れて暮らす知友人へ 速効性に欠ける手紙と違ったメール交換という術は 機器に疎い私にとって 翼の無い人間に神様が与えてくれた 魔法 だった
私のところに届いた季節の便りへの思いが その日のうちに 私の指が叩いた文字になって 宇宙に羽ばたく
宇宙へのツイッター
でも あの日 いつもの季節に届いたミョウガをカメラには収めたものの 書く気にならなかった
それは たぶん
少し前から続いていた 黙っていられず書かないではにいられなかった事柄が ようやく落ち着いたときだったからだと思う
西の花友さんが 暑い中にも腰を屈めて摘み採ったミョウガを 私のために荷造ってくださった その心遣いへの思いは あの時はあった
でも 書く気にならなかった
今 その思いを綴りたくても 今の私には 前日に摘み採られた瑞々しいミョウガを目にして 西の花友さんに馳せた思いは もう色褪せている
そういうこと
私が その人のブログに関心が無いわけ
インテリア ファッションの好み 夫婦関係 など その人の感情を逆なでしないように どこにでもあるような [関心のない理由] を書いた
[中傷の被害者] と 拡散されないために 十分に考え抜いて選んだ理由だったけれど その人の嗜好と異なる それさえも [批判された] となって公開された
自分と異なる事柄は み~んな 中傷 批判 となって 拡散されてしまうのだ
これも その人にとっては 中傷か批判になるかもしれないけれど
私が その人のブログに関心のない理由の ひとつ
それは 書いていあることが [今] じゃないから
それは 私にとって 古新聞を読むようなもの
翼の無い人間が ネットという魔法によって 逢ったこともない誰かの 今 と出会う
私にとって ブログの魅力は そこにある
私も大好き。
ところで昨日、たっぷり書いたコメントがPCのご機嫌がよくなかったのか、送信されずに消えたもようです。
残念。
さてタイトルの「おねえさまの取説」、Sおねえさまは若い頃、きっと美人だったんでしょうね。
「もう分かりましたってば」「またその写真?何度も拝見しましたってば」とツッコミたくなる古いフォトがいっぱい!
印象的だったのは、妹さんのコメント欄にSさんへの激励の一文が入ったとかで、そのお礼を記事にして、何故か顔写真も載せたんです。
は?
どんだけぇぇぇ~と苦笑するっきゃない忘れられない一件です(^^;
美しいおねえさまは良縁に恵まれ、一度も社会の風に揉まれることなく、ずっと幸せに暮らしましたとさ。・・・じゃなくてね、ずっと家庭の中だけで生きてくると、大抵のことは自分の思い通りにできますよね。
そんな人がブログを始めると、褒めてくれるひとが当然で、そうでないひとは全部「誹謗中傷する人」となって敵視する・・・となるんですね。
取説・・・批判厳禁、お世辞でもいいから褒めそやすこと。
一番分かっているのは妹さんだと思いますよ。
とりあえず送信。できるかな?
「取説」素敵です。楽しませて頂きました。皆様、機知に富み、文章が理路整然としておられ、感心しています。
茗荷のお味と香りで、お元気になりますように。
たっぷり書いたのは、消えたままですか~!
無事に届いたのは、削除願いが来ないうちに公開することが出来て良かったです(*^▽^*)
ミョウガの画像、綺麗に、美味しそう撮れました。
あの件は、外野さんも印象的でしたか。
私も、今でも、覚えています。
[悪いのは麦で、KSさんが正しい。多くの人が、そう思っていると思う。] という事も書かれていましたね。
それに対して、[私に親しみを感じて欲しい] ということで、ご自分の写真を何枚か公開なさっていたんじゃないかな?
私のブログには、お姉さんを正しいというコメントは皆無だったので、[多くの人が、そう思ってる]というところに、なんか不自然なコメントだな、と思いましたっけ。
昔からの言い習わしに、可愛い子には旅させよ! と言うのがありますね。
分かりやすい取説でした! ありがとうございました (^^)/
画像は、届いてすぐに撮ったので、前日に収穫した茗荷ですね。
ミョウガを摘むときって、ほら、若くても若くなくても、腰を屈めるでしょう?
私より、少し、お若いのですよ(*^-^*)
外野さんの取説、おみごとですね~!
自然の茗荷の香りは、市販のとは別格ですね。
今日は、冷やし中華にも添えました。
応援、ありがとうございます (*^^*)v
”批判厳禁。お世辞でもいいから褒めそやすこと”なんですね。
よーく覚えておこう。
てか、ホント外野さん、良いお仕事されてます(^^♪
麦さん、こんばんは。
K.S.さんはもう、麦さんのブログを見ないと言われました。
見ないというより、見られないようにすると。
ということは、今後一切麦さんに関しての言及は無いと言うことだと私は理解しています。
K.S.さんの”麦さんが誹謗中傷した”という思い・濡れ衣 をどうしても外して欲しい、
考えを改めて欲しいと言う麦さんの思いは、これで潰えてしまったということです。
それでも麦さんは今、
・諦めの心境
・今こそ無視してマイペースの時が来たかも知れない
・怒るのも意味のない相手 ということを心得るとき
と、仰ってます。
えっと・・・理解間違ってませんよね?
私は長年苦しんで来たそれに対して、その様な思いにまで至った麦さんに
ほんと、ブラボー!と賛辞を送りたい気持ち。
よくぞそこまでの心境になられたことよと。
どこまで言っても平行線で、解りあえる・納得出来る ということは無いだろうと思ってましたから、
麦さんが早くその呪縛から解き放たれればいいのにと、ずっと思って来ました。
最近は私も怒ってはいましたがね💧
だから麦さんがそんな気持ちになれたということは、
”ああ、一歩踏み出されたのね”と、安堵し、嬉しく思いますよ。
もう私もK.S.さんのことには触れない。
もう”悪口”言わない。
麦さんも、もう言わないのですよね。
てか、向こうが言わなければ麦さんの閲覧数が急激に増えることは無いのでしょう?
麦さんが”又?”となることもないのですよね?
関わらずに知らん顔して、やって行きましょうよ。
お花のブログを楽しみにしている方多いと思います。
麦さんの心が安らかになり、平和なブログライフになりますことをお祈りしていますよ(^^)/
ユーモアの中に、奥の深い真実が込められた取説、本当に良い仕事をされる外野さん、ですね。
正座して、anさんとの、お約束。
・諦めの心境
・今こそ無視してマイペースの時が来たかも知れない
・怒るのも意味のない相手 ということを心得るとき
これを破ったら、私がanさんに見放される時かもしれませんね。
私から、あの人に問いかけたのは、[愚者の戯言] その一回だけ。
その後は、いつも、あちらから私のブログにコメントがあって、さんざん水掛け論で私のブログのコメント欄を汚して、[金輪際][終わります][2度と来ません]、と去って行きました。
[2度と来ません]が、何度、あったことでしょう。
何かにつけては、私のブログに書き込まれたものですが、このたびは、ご自分のブログで私へメッセージを書く、という点が、今までと違います。
それは、私のコメント欄が承認制だから、非表示にされることを考えてのことでしょう。
つまり、あの人は、私と話し合う気持ちは無く、閲覧者に、[かれん桜は誹謗中傷の被害者][麦は中傷の加害者]を、拡散することが目的なのでしょう。
たとえば、私のブログで、URL付きのコメントを非表示にしていることについて、
[私の辛さを閲覧者さんが、分かってくれるでしょうか?]と発言なさっています。
この発想に、あの人の本音がシッカリと現れていますよね。
閲覧者に、中傷されている被害者としての同情を求めている。
あの人の目的は、麦に中傷された被害者、のアピール。
元々、中傷なんてありえない[義者の戯言]だったのにね。
あの人が、私のブログにフィルターを掛け、私のブログで、アクセス数の急増が無ければ、anさんとの約束が守れるかと言えば、そうではないと思います。
今回の発端は、
どなたかが、[優雅な暮らしぶりを公開するブログの存在]を、公開したらしい。
そのブログでは、誰のブログかを特定したのではなく、そのようなブログがある、と言う事が書かれていただけのようです。
それを、ご自分のことと思い込んだらしくて、相変わらず[中傷された]と、ご自分のブログで発信したのでしょうね。
それを読んだ閲覧者が、また麦が中傷した、と思って、私のブログに殺到した、というわけです。
私サイドから、その人のブログについて語ることはありません。
いつも、私とは、まったく関係のないところの火事で、私に火の粉が舞ってくるというわけです。
最初に、[優雅な暮らしぶりを公開するブログの存在]を書いたブログ主さんは、その文章を削除なさいました。
私とは、まったく関わり合いの無いかたのブログです。
そのブログで、その文面を削除なさった理由が、
※ 他の人の、[誹謗中傷論争]に、巻き込まれないため
と、公開されています。
私には、[誹謗中傷論争]という意識は、まったくありません。
あの人は、ネット上で、[私は中傷された被害者]という立場を、ことごとく公開しては、悲劇のヒロインをイメージして快楽を得ている・・・そのように思えてなりません。
私は、その人から、一方的に撒かれる火の粉を払って来ただけ。
その私を、[誹謗中傷論争]の中の一人として、ネット上に定着させた人。
私の、穏やかなブログライフを、泥沼に突き落とした人。
[今日が一番素敵] のブログ主 [かれん桜]を、私は、絶対に許すことはありません。
anさん、ごめんね。
anさんに、こんなこと言うなんて、悲しいです。
お心遣い、アドバイス、ありがとうございます。
ご年齢は、私の娘くらいのお嬢さんでしょうか。
辛いお立場ですね。
思い切ってコメントをくださったお気持ちを、愛おしく思います。
私の場合は、図太いと言われがちなオバサンの時代を通り過ぎた、シニアです (*^-^*)
10年も続いている、誹謗中傷の被害者ですから、相手の方を [なぜ?]という時期は通り過ぎ、ルルーラさんのような心の痛みとは違って、[相手を許せない]と、むしろ、ルルーラさんの、[お母様様を理解したい]というお気持ちとは逆になりました。
私も、最初のころは、火の粉が降りかかるたびに試行錯誤して解決を試みましたが、ルルーラさんは、今が、その段階のようですね。
>ご自分が一生いじめられるという自分の妄想に、それこそ一生苦しむのでは、ないかしら?
そんなそんな、そんな軟なかたではいらっしゃいません。
誹謗中傷の被害者、という立場を盾に、[私を中傷する文言は、ネット上から削除せよ!] と、中傷めかしい記述に切り込みつつ、意気揚々と楽しいブログライフを送られることでしょう。
「反応しない練習」 に出会えて良かったですね。
私は大丈夫ですよ。
お母様は年齢と共に、その傾向は増すかもしれませんが、どうか、心穏やかにお過ごしになられますように。
お心遣い、ありがとうございました。
約束というきちんとしたものでなくて、そういうことを仰る?考える?様になった麦さんの心の変化とでも言うか、
そういうことを私は喜ばしいと感じたのです。
なので見放すなどという、そんなエラソーな話ではありませんよ^^;
私はブログの仕組みに疎いので、詳しいことはよく分からないのですが、
彼の人が麦さんのブログにフィルターを掛け、麦さんのブログでアクセス数の急増が無くても、
周辺の諸々で全く関わらずに居られる訳でもない
ということも分かりました。
火の粉が降り掛かってきますね。
『来ません』と言いながら何度も来られてることは、最近の彼の人の記事だけ見ても判ることです。
それを舌の根も乾かぬうちにと言います。
それだけでも、どういう人かということは解ります。
あくまでも、麦さんが誹謗中傷したということを取り下げないと頑として言う。
自分は被害者だと自分のブログで言う。
いわば拡散している訳です。
見に覚えがないのにそう言われ続ける麦さんは紛れもなく被害者です。
でもね、自分が加害者だってことは、あの人は解らない人です。
イヤ、解らないふりをしているのかも。
そういう人だと思います。
麦さんにコメントを寄せられる方、いやロム専(という言葉も最近知りました^^;)の方々も、
事実を皆さんご存知でしょう。
その上で麦さんにエールを送っておられるのです。
麦さんの穏やかなブログライフを泥沼に突き落とした彼の人を、絶対に許すことはないと麦さんは仰る。
それでいいと思います。許さなくて。許す必要はないでしょう。
傷付けられた悔しさは、言葉では言い表せないことでしょう。
なので、悲しむ必要はないのですよ。解っているつもりなので。
でもそれだけに囚われないでねと思うのです。
心穏やかで平和な日々でありますようにと思うのですよ。
K.S.さんのことも書きましたが、私は悪口を言ったなんて思ってませんから。
この状態の私に、励ましたい、というお気持ちを持たれたのですから、ルルーラさんの現実は、そうとうお辛いものがあったのでは、とお察しします。
まだ少し、お母様と対峙する時間があると思いますが、加齢に伴い(^▽^;) お母様の感情も和らいでいくのではと、私の母の晩年を重ね合わせております。
お母様をお大事に、ルルーラさんも心身ともに、お健やかに過ごされますように、陰ながら(^^)/
[悪口]をググってみたら、人を悪く言う事、とありました。
削除した[愚者の戯言]を含めて、私のブログに人を悪く言うコメントは、まず無かった、という記憶の中で、忘れられないことが一つあります。
私のブログにコメントを書き続ける、あの人のことを、初めての閲覧者様から[〇さんは認知症]とする書き込みがあり、当時はコメントが承認制ではなかったため、そのまま公開されました。
すると、他の閲覧者様から、[認知症]という公開発言に、ご指摘のコメントがあったのです。
このように、私のブログに同意のコメントをくださる方々は、皆様、ネットのマナーを心得ていらっしゃる、という印象があり、もちろんanさんも、私も、悪口を言ったことは有りません。
それって非常識と思ったり、おかしいと感じることに、感想を述べることは有りますね。
ある時、あの人を擁護したいらしい、HN[一読者]さんから、
【[愚者の戯言]は、〇さんへの中傷で目に余るものがあった。それほどに酷いブログだった。】という内容のコメントがあったとき、私はすぐに、一読者さんは、リアルタイムに[愚者の戯言]を読んでない人か、だれかのナリスマシだと感じました。
あの人、そして、あの人を擁護する周囲では、嘘も、ナリスマシも、悪口も、さほど苦になる言動ではないように思います。
土俵が違う、というのとは違うのかな?
ともかく、賢い人間なら
・諦めの心境
・今こそ無視してマイペースの時が来たかも知れない
・怒るのも意味のない相手 ということを心得るとき
↑
こう言うことですね。
anさんが、私に、[穏やかで楽しいブログライフを!] と願って、お気遣いくださっている事、それは、私の自惚れではなく、anさんは、どなたにも、そのような心配りをなさることは、anさんの独り善がりな雑感から、一目瞭然なのです。
でもね~、PCでの文字によって公開するブログ上の返信では、このような文章になってしまうんですよね。
anさんのお気持ちも、おっしゃりたいことも解っているのに。
中傷など有り得ず、[認知症]にすらイエローカードの私のブログでしたが、少し前から、特に、最近の私は、意識して、あの人へ暴言を向けています。
もう、あの人に、[麦は他人を中傷するような人間ではない]と見極めてもらうことを止めたからです。
だからと言って、他人に暴言を向けることが、良いことだとは思いません。
にもかかわらず、
【[今日が一番素敵] のブログ主[かれん桜]を、私は、絶対に許すことはありません。】
敬称も無く、伏字もせず、このようなことを公開発言する、この頃の私になったことを、anさんに、お伝えしたかったのでしょう。
[麦を誹謗中傷した加害者]である、あの人を、これからの私は、ずっと中傷しますよ、という宣言のようなものですね。
基本は、
・諦めの心境
・今こそ無視してマイペースの時が来たかも知れない
・怒るのも意味のない相手 ということを心得るとき
↑
これです。
でも、これからも、黙っていられないことがあったら、我慢はしない、綺麗ごとでも済ませない、言いたい事は言う、
あの人の嘘を、これからも暴き続けます、ということを、anさんに、お伝えしておきたかった、ということですね。
ブログにフィルターを掛けるというのは、
麦のブログを見たくないのに我慢できなくて見てしまう欲望を、ご自分で抑制できないのではないでしょうか。
それで、私のブログに飛べないような機能を、PCに設定することではないかと思います。
思い上がりかも知れないけど、私に[心穏やかで平和な日々でありますように]というのが、anさんの願いであることを充分に分かっているツモリです。
anさんのブログを拝見するのも、私の心穏やかで平和な日常の中の一つなんですよ。
どんなことが書かれていても、何しろ、読後感が清々しい大好きなブログです!
ありがとうございます! (*^-^*)