さぁ 新しい年を迎えましょう と 玄関に据えた寄せ植えや おせち料理を載せようとするとき 慣れないことをして その機会を失った
必要あって [吠え] た
けど タイミングで 新年の第一歩が 迷い気味 ・・・
あけまして おめでとう
今年も元気でね!
機器に疎い私にとって ネットは時空を超えた 魔法のようなもの
人間に翼を付けなかったのは間違いだったと気付いた神様が せめて声だけでも自由に飛べるよう・・・ と 信じているわけではないけれど 誰に と言う事でなく 切手のない手紙を書いては 宇宙に投函している
宇宙には いろんな手紙が飛び交っているから 私の手紙が 何かと衝突することは避けられない
その結果 カテゴリに [麦] という名が明記されているブログの存在
違法ではないにしても 私は承諾してないのでマナーとしては疑問があるけれど 違う土俵で生きていらっしゃるブログ主さんなので 今さら苦情を言う気は無い
自分のブログを どのように保とうと ブログ主さんの勝手でしょうから その様なところに関り合うことなど絶対に有り得ず
カテゴリに置かれたスレの内容からすると 好意によるものとは思えないので 不愉快であることは言うまでもない
そのブログ主さんから伺えるのが 読み間違い 勘違い 想像 妄想から起こった事柄を 事実として思い込む傾向にあること
たとえば麦が 山歩きの記録で [祝山に藤色の花が咲いている] という経験を公開したとする
それを読んだ相手が ふぅ~ん と思ったとして、なんとなく記憶に残ったとする
そのブログで 花が咲く山の話を提供することがあったとして
そこで
[確か麦が 何処かの山で 何かの花を見たと書いてたっけ] と 記憶を遡ったとする
麦が登ったのは 何と言う山だっけ?
確か おめでたい名前の山だったような
寿 という山だったかな
花の色は たしか鮮やかな系統の 薄い色だったような
桃色だったかな
勝手な脳内変換
そうして そのブログ主は
[寿山に桃色の花が咲いてる] と 脳にインプットする
やがて それは
[麦が寿山に桃色の花が咲いていると言った] となって公開される
時が経っても それはカテゴリに事実として定着するのだ
[祝]と[寿] そして [藤色]と[桃色]
これらの違いを説明しても その違いを表す日本語の読解力に欠けているのではないか ・・・
と 思う事がある
私が [違います]と否定し 事実を説明しても
思い込みは 絶対に変わる事がない
私が書いているのは 義務教育を習得したレベルの日本語でしかないのだから
つまり
[読解する能力に欠けている] のではなく
ご自身の思い込みを振り返り 事実を正しく確認しようとする努力を 怠っている
つまり 聞く耳を持たず なのだ
こんなブログだけど、古くから閲覧して下さる読者さんが居られて、新年の挨拶を頂いたところ、そこに [例のかたが追記をしていますね] と添えられてあった。
最新記事は読ませて頂くことがあっても、 [麦へ] として、何年も前の古新聞のような思い込みなど 読む気にもならずいたけど ・・・
なんと、 そこに この後は2022年9月19日に追記しました。 とあった。
2022年9月とは、つい最近のことではないか。
しかし、 この時に至っても、何の進歩も、考えの変化もない、古~い古~い まま。
謝罪します、お詫びします、と書いているのは何度か読んだけれど、いまだに自分が正しいのだ。
それを、カテゴリの先端に置くことの深層心理。
[麦へ] となっていても、私宛て、ではない。
閲覧者へ、[誹謗中傷された被害者] の主張ね。
最新記事に、追記としてあった[麦へのお願い]の文字が、タイトルから消えている。
カテゴリの末端にある、[麦]の文字が表記されたスレも[0]ゼロになっているから、何かが削除されたか非公開になったらしい。
立場が危うくなったり、嘘がバレると、削除や書き換えは、よくあることでしたね・・・。
そして、今日、語る気になったのは
彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。
嘘!
私は、私の正論として声を挙げることはあるけれど、おこがましくも[正義]などと、身の程知らずの心得は持ち合わせてない。
ましてや 「正義のために立ち上げた」ような、自己満足の正義感を振りかざすブログは大嫌いだし、私が、「正義のため]などと声にすることも、そのような行動を起こすこともありえない。
「正義のために立ち上げ(られ)た」
これを言ったのは、🌸さんが、過去に相場の掲示板でトラブルになり、解決のないまま蓋をして姿を消したらしいことから、苦い思いを胸に収めたままでおられた、NA※さん! である。
土俵が違うブログ主さんが、ご自分のブログに何を書こうと勝手かも知れないけど、関り合うつもりはないので、私に語りかける文体で発信しないで欲しい。
連続コメントを見かねた閲覧者さんが、🌸さんに苦言を呈したところ [私は麦に、質問に答えるようにと、しつこく迫られた身です。] として、私のブログにコメントすることを正当化した🌸さん。
私が質問したのは、[中傷された事の具体例]であって、それ以外のことで、コメントを必要とし、しつこく迫る事柄はなかったはず。
[もう何をおっしゃられても、お応えできません。]
このように、相変わらず土俵の違う相手と関り合っている愚かな麦、と認識されがちな発言は、辞めていただきたい。
私は、間違ったこと書かれたら、事実を明確に記して、翼に託し、宇宙に放つだけのことだから。
あけましておめでとうございます。
本年も変わらず、のんびりよろしくお願いしますm(_ _)m
>謝罪します、お詫びします、と書いているのは何度か読んだけれど、いまだに自分が正しいのだ。
これ、よく分かります!
誰かさんも、ほんの一時ですが、謝罪ではなく「許して下さい」と話したことがあります。
でも、腹の中は「面倒だから許して下さい」だけで、自分は正しいのです。
しかも全て正しいと思っているのが始末に負えません。
爺のように誹謗はしていますと素直に認めて話が出来ない不思議ちゃん。
また今年も相手をしなければならないのかな…
あけまして、おめでとうございます。
まだまだ解決しそうないまま、新しい年が明けましたね。
急ぐことなく、丁寧に、のんびりと行きましょう(*^-^*)
[言葉だけで、腹の中は自分が正しい] そうなんですよね。
anさんが、いつか言われてましたが、
[お詫びします]は、謝罪ではないですよね。
お詫びするなら、自分が間違っていることを認めたはずですから、
間違いを認める気持ちが心の中にあるのなら、[申し訳ありません、ごめんなさい]という言葉が必然的に出るはず。
しかし、とりあえず、この場は謝っておこう、
だから、[お詫びします]で、終わりなんですね。
そう言う意味では、[お詫びします。許して下さい。]は、お詫びする日本語としては間違ってないと思いますが、根底に[自分が正しい]があるのなら、🌸さんと同じで、口先だけと言う事になりますね。
先日来、爺様のブログにコメントを残している鬼※さんですが、常識を逸脱した行為ですよね。
卑怯な行為で応援されても、Sさんにはご迷惑でしょうね。
Sさんを擁護するかたが、あのような行為をするのなら、第三者には自ずと見えてきます。
🌸さんを擁護する方々も、曖昧で結論を出すことなく、一方的なコメントを残して去っていきました。
もう少し、がんばってみませんか p(*^-^*)
話題に登った鬼〇さんを、昨日だったかな…
爺がそろそろおなかいっぱいになったので、アクションブロックしたのですが、その件に関して、あの方が鬼〇さんありがとうございますというタイトルで記事を書いたので笑ってしまいました。
あの方から見ると、鬼〇さん程度のコメントも感謝の対象なのです。
馬鹿げたお話ですね。
今年もよろしくお願いいたします。
わんちゃんの可愛くて綺麗な瞳💖
最初に癒されまして...
そして、ずっと前のワンちゃんの事も思いだされ...
虹の橋の事を誤解した人を思いだし
連想ゲームのように次々と💦
去年? いいぇその前からずっと続いている出来事、堪忍袋の緒がついに切れた麦さんでしたね。
吠えたこと 吠えないで語った事
あの方に届くといいですね。
日本語は読める人でしょうから。
>私は、間違ったこと書かれたら、事実を明確に記して、翼に託し、宇宙に放つだけのことだから。
これ 同感です!
こんにちは。
昨日は息子の方の孫と、一日を過ごすことになって、お返事が遅くなりました。
私も、気になる内容だったので、リンク先を訪問させていただきました。
爺様のコメント欄に、
[事の次第がわからないのに、※※を信じることは愚か!]とあるのを拝見しました。
私が、爺様を信じられる一方で、Sさんのことを疑わなかったのは、まさに、[事の次第がわからないのに] だったからです。
その後、リアルに発信されるSさんのブログを拝見していくにつれ、だんだんと事実が見極められて来たように思います。
鬼〇さんのブログには、コメント欄がありますよね。
お礼の気持ちは、コメント欄で十分に伝えられると思います。
にもかかわらず、ご自分のブログで、タイトルに表示してまで感謝の気持ちを伝えることの心理が、透けて見えますね。
私の経験があるから、なおさらかもしれません。
[ネット上の誹謗中傷]という行為があったなら、その経緯を見極め、事実を追求して、違反行為を解決するのが爺様と私の本心であり、目的でもあり、それが一般人の常識だと思います。
しかし、Sさんにしても🌸さんにしても、[誹謗中傷された被害者である私]を、ネット上に拡散するのが目的であることが、お二人のブログから、如実に現れていますね。
この記事で私が、[カテゴリの末端にある、[麦]の文字が表記されたスレも[0]ゼロになっている] このように書いています。
この日の時点で、確認できていたので書きましたが、その後に削除されていました。
都合が悪くなると、[削除する][書き換える]は、お二人の共通点のようですね。
馬鹿げた話に対応するのも馬鹿げていますが、黙っていられませんね! 嘘つきには! (*^^*)
明けましておめでとうございます。
同じく私からも、今年もよろしくお願いいたします。
本来なら、お節料理に、お正月らしいお飾りとかが、最初の更新ですよね~(*^-^*)
年末に、あのようなことがあると、そんな気持ちにもなれず、ワンの登場となりました。
可愛いでょう?
夫にとって大切なのが孫たち、次がワン、その次が私だそうですよ(*^-^*)
連想ゲーム、ホントにそうなりますね。
最近も妹さんの書き込みがありましたが、言いっぱなしで、それっきり。
本音は、あの時と同じように、他人のフリだったのかな? と連想ゲームしています( *´艸`)
[愚か者の戯言]で、あのような人であることは悟ったからこそ、[愚か者の戯言]を、キッパリと削除して縁を切り、そこで終ったはずなのにね。
日本語は読めても、読むだけで、内容は読めないのでは?
[お詫びします]と書くことは出来ても、書くだけで、お詫びすることは出来ない人のようですしね。
対等に関わると、時間と労力の無駄にしかならないので、堪忍袋の緒を切りました。
あちらは、尻尾を巻いて、逃げたかな~?
我慢を重ねていた私の、[吠え]!
吠えた効果があった! と思いたい(*^-^*)
忘れていました、あの方にも。
鬼〇さんのブログにご自身がコメントしたのをそのままコピペして記事にしてるんですから。
鬼〇さんのブログへの誘導ですものね。
そこまでしてアピールしたいとは。
ほんとに心理が丸わかりですね。
鬼〇さんも、上っ面しかみてないで、一方的に擁護してあのような記事を書くとは。
何だかな~です。
ここは切り離せないところ、ですね。(*^-^*)
アピールが目的と言う事は、この流れを見ていたら分かりますね。
では、アピールの目的は何でしょうね。
🌸さんの場合は、[中傷されている可哀そうな私を見てください]に違いない、と思っています。
Sさんの場合は、ちょっと違う気もしますが、分かりません。
キーワードは[誹謗中傷]。
あまりにも安易な記事が、公開され過ぎていると思いますね。
「白い花が好き」…
こんな題名のブログが起ち上げられました。
それは、数ヶ月の間トラブルが続いた「愚者の戯言」に
区切りをつけた後でした。
心機一転、新たなスタートだったのです。
このブログを見つけたK.S.さんは、後先を考えることなく、、
管理人は「愚者」であると、宣言した。
要は蒸し返したのです。
こうして、自分でトラブルを作っているのに気が付いていないのです。
更に「愚者の戯言」の管理人はkanmoであると
今も信じていると言い張っています。
つまり「白い花が好き」のブログの管理人はkanmo?
このように自分がウソをついていると分かっていても
平気なのです。
K.S.さんは、物事を終息するために、
・お互いにもう忘れましょう。
・心を新にしてください。
と言います。
ご自分は作り話、虚言を正当化しながら、
相手を制するといった随分高圧的な態度ですね。
その前に、
ご自分がどのようにすれば、相手が心を新たにできるのか?
麦さんが忘れるために、自分はどうしたら良いのか?
貴女の心を新たになさったら如何でしょう?
三つ子の魂百までと言う言葉があります
人の言ったことのない言葉を自分に都合よく変換し、
勝手に発信する。
これまで見ていて、
ご自分の考えを訂正することは出来ないようです。
そんな自分が厚顔無恥であると感じない。
その妹も、お姉さまのいうことは嘘であると思わないのですね。
ふたりともご自分が問題だと思わないのですから解決しません。
新年そうそう書いてしまったわ。
まとまらない文で失礼しました。
書き初めですね (*^-^*)
今年も、どうぞよろしくお願いします。
思えば、関わり合う事を止めて既に終わっていたのに、このような状態を最初に蒸し返したのは🌸さんでしたね。
そして今になって、[愚か者の戯言]に、誹謗中傷は無かったことが判明すると、[忘れましょう]とは、ね。
◎ 和気あいあいと、長く続いていた [素顔のままで]のブログが削除される原因を作った、🌸さん。
◎ 私のブログに、[誹謗中傷の加害者]という泥を塗った、🌸さん。
◎ 2023年の幕開けに、私のブログライフをつまずかせた、🌸さん。
>自分でトラブルを作っているのに気が付いていないのです。
これが🌸さんのお人柄、なんですね!
あの人のブログは、[次回は、~~~を紹介します。]とか、[これからは不定期に更新になります。]とか、[~~~のブログですが、お許しください。]とか書かれていますから、ご自分の思いを記録するというより、閲覧者と交流する形のブログであることは、明らかですよね。
そこで、大晦日に、縁もない私のブログを自主的に読まれたようで、
交流もなく、🌸さんのブログを、私が読むかどうかも分からないのに、私に向けた綴り方での、このような提案でした。
>お互いにもう忘れましょう。
>新しい年まで引きずって、何か良い事がありますか。
>心を新にしてください。
つまり、閲覧者に向けて、
私は、麦に向けて、ポジティブな生き方を提案しています。
新しい年に向けて、心新たに前進しましょう、と麦にアドバイスしています。
私の生き方って、素敵でしょう?
このようにアピールしている、ということですよね。
厚顔無恥。
恥も知らない人に、このようなアドバイスをされるなんて、背筋が凍るほど不快であることを気付いていただきたい。
🌸さんは、おそらく、ここも目を通されることでしょう。
そして、
[また中傷されちゃってる。無視して、前向きに穏やかなブログライフを継続する私、をアピールしましょ!っと。]と、こんな思考で自己満足なさることでしょう (*^-^*)