日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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徹マンを詫びる義理マン身も細り

2012年01月24日 11時16分33秒 | 日記
 私の趣味といえば真っ先に挙げなければならないのが麻雀である。中国由来のこのゲームは紀元前六世紀頃にかの聖人孔子が発明したという俗説もあるが、歴史は意外に新しく、清の同治年間(十九世紀後半)に寧波の人陳魚門が、明代からあった馬吊(マージャオ)というカードゲームと「骨牌」というゲームを合体させて完成させたというのが最も有力な説である。何かの本で読んだ記憶があるのだが、マージャンは紫禁城の後宮三千人と称される女官の間で最も好まれたゲームだったとされ、故に三元牌の白は白粉、發は黛、紅中は口紅であるというのだ。

 ゲームに使用する骨牌の種類には萬子(マンズ)・筒子(ピンズ)・索子(ソーズ)・字牌(ツーパイ)がある。萬子・筒子・索子はそれぞれ一から九までの九種、字牌はさらに三元牌と四風牌に分かれ三元牌は白發中の三種、四風牌は東南西北の四種である。これら三十四種がそれぞれ四枚ずつ、計百三十六枚である。
 ゲームは四人で卓を囲み、サイコロで親を決め、最初に親は一四枚、子は十三枚の牌を配り、順番に一枚捨てて一枚を山から取り、一四枚の牌の組み合わせによって手役を作り勝負を競うものである。

 手役には一飜役の平和(ピンフ)、断公九(タンヤオチュー)から役満の大三元や国士無双まで幾つもの組み合わせがあって、更に大三元で字一色(ツーイーソー)で四暗刻(スーアンコー)というトリプル役満ということだってある。一四枚の牌の組み合わせは無限といってよいくらいにたくさんある。だからマージャンは楽しいのである。

 私は現在、NPO法人「しずおか健康麻将の会」へ入会して「賭けない、吸わない、飲まない」をモットーとする健康マージャンを楽しんでいるが、現役時代は徹夜マージャンも辞さずの心構えで随分と熱中したものである。勝負・かちまけのことを輸贏(しゅえい)というが人間には本能的に勝ち負けに拘るという性質があるようだ。それを一番端的に表しているのが道楽者の「飲み・打つ・買う」の三拍子というやつで、飲むのは酒で食欲、買うのは買春で性欲を満たすためにする。打つとは博打(ばくち)、賭博(とばく)のことである。

 私には変に几帳面なところがあってマージャンの勝ち負けを現場用の野帳に記録してあったのだが、ある年の記録によれば年間一〇〇回ほどマージャンをして二七〇万円ほど勝って三〇〇万円ほど負けていた。麻雀荘ではゲーム代を支払い同時に飲食もするのであるから一〇〇回やって差引き三〇万円の出費は一回あたり三千円であり、私にとってマージャンは安い遊びであった。

 私がマージャンを覚えたのは比較的遅い。商業高校を卒業して一八歳で中堅ゼネコンへ就職した当時も独身寮では盛んにマージャンをしていたが私は仲間に入らなかった。いや薄給の身ではマージャンなどをする余裕はなかったのが真実だ。その会社には五年間勤めたが五年目に入社してきた大学卒の初任給の方が高卒の私の給料よりも少し高かったから頭にきて直ぐに辞めた。次に勤めた中堅ゼネコンでは現場事務に回された。二十三歳の時である。工事現場の事務というのはそれまでの会社勤めに比べれば実働時間は半分以下だが給料は現場手当がついてずっと良かった。

 その現場には宿舎があって寝泊りもできたし賄婦がいて炊事洗濯もしてくれた。ある晩のこと夕食も入浴も済んで休んでいると、労務者宿舎の方から「監督さん。マージャンのメンバーが足りないので入ってくれませんか」という声がかかった。マージャンは出来ないからと断ると、簡単だから、直ぐに覚えられるからといって無理やり引っ張って連れて行かれた。

 初回は練習ということで賭け金なしにして教えてもらった。次の回からはもう千点五〇円での実戦というのが私のマージャン人生の始まりであった。因みにマージャンは3万点を基準としているから点棒を全部取られてしまう所謂「ハコテン」になるとレートが千点五〇円の場合は一ゲームで千五百円の負けということになる。

 さて、一度覚えてしまうと限もなくやりたくなるのが賭け事の悪いところである。それからは仕事が終われば飯場でマージャン、雨が降って現場が休みになれば朝からマージャンという中毒状態に陥っていった。

 マージャンを覚えてからは工事監理の設計事務所や時には発注者の役人を相手にした所謂、接待マージャンにも度々加わった。あるとき東南西北の四風牌を使った四喜和(スーシーホー)という役満が聴牌(てんぱい)つまり和了(あが)る寸前になっていたのだが、設計事務所の監督が相手だったので様子を見ていた。すると私の背後から覗いていた別の監督が「■■君ほら和了牌が出たぞ」というので和了らない訳にもゆかず冷や汗を掻きながら点棒を戴いたものである。接待マージャンの時には現場主任から小遣いが渡されていたので大勝、大敗をしないよう淡々と打つのが仕事であった。

 後年、建設業の営業をしていたころ建設会社の社長連中を相手に千点五〇〇円のレートで打って一晩に七万円ほどを稼いだことがあったがその頃の私の月給は手取り十万円そこそこだった。

 最後に、マージャンは賭け事だから悪事であり、勝ち負けは運やツキが左右するという無責任な説には賛同しない。反対に第六感を無視した確率論だけのデジタルマージャンにも同意できない。
 マージャンは人間相手のゲームであるから確率は勿論のことだが運やツキや流れのほかに第六感を働かせ、メンバー一人一人の人間性まで含めた「読み」の深さが勝敗を左右するし、何よりもツキのないときは無理をせずに静観するという柔軟な勝負勘が肝要である。