『後拾遺和歌集』という勅撰和歌集に中務卿兼明親王の歌として「ななへやへはなはさけども山ぶきのみのひとつだになきぞあやしき」というのが載っているそうです。
若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅しました。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという有名な話が『常山紀談』に載っています。
『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた儒学者・湯浅常山。
落語「道灌」のあらすじ。
「岩田のご隠居」宅に遊びに来た八五郎は、隠居に張りまぜの屏風を見せてもらう。八五郎は絵のひとつについて、「シイタケの親方みてェな帽子かぶって、虎の皮のモモヒキ履いて突っ立ってるあれは誰です?」とたずねる。それは太田道灌の「山吹の里」の伝説を描いたものであった。隠居は以下のような道灌の逸話を語る。
室町時代中期の武人・道灌は、狩りをしている最中に村雨に遭い、雨具を借りようと1軒のあばら家に立ち寄った。15歳くらいの少女が出てきて、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ山吹の枝を盆に乗せて差し出し、頭を下げた。道灌が意味をつかみかねていると、家来のひとりが「『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』という古歌がございます(後拾遺和歌集・兼明親王作)。
これは『実の』と『蓑(みの)』をかけ、『お出しできる雨具はございません』という断りでございましょう」と進言した。これを聞いた道灌は「ああ、余はまだ歌道(かどう)に暗い(=詳しく知らない)のう」と嘆き、それ以来和歌に励み、歌人として知られるようになった。
これを聞いた八五郎は「うちにもよく傘を借りに来る男がいる。ひとつその歌で追っ払ってやろう」と思いつき、歌を仮名で隠居に写してもらって帰宅する。
ほどなくして雨が降り出し、その男が飛び込んでくる。からかうチャンスがやって来たと感じた八五郎は内心で喜ぶが、男はすでに傘を持っていて、「提灯を貸してほしい」と八五郎に頼む。雨具でなければ「蓑ひとつだに」ができないため、八五郎は困り、「『雨具を貸してください』と言やァ(=言えば)、提灯を貸してやらァ」と男に告げる。男がしかたなく「雨具を貸してくれ」と言うと、八五郎は少女を演じ、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ、歌が書かれた紙を差し出した。男はそれを「ナナヘヤヘ、ハナハサケドモ、ヤマブシノ、ミソヒトダルト、ナベトカマシキ」とつかえながら読み、「短(みじ)けェ都々逸だな」と感想を漏らす。八五郎が「都々逸う? おめえ、よっぽど歌道が暗(くれ)ェなァ」とからかうと男は、
「カド(=角)が暗ェから、提灯借りに来た」・・・・噺のオチです。
ヤマブキは普通一重で花びらは五弁です。これには実がなります。八重咲きにおける、内側の花びらは、雄蘂や雌蘂にあたり、それらが花弁化したのが八重咲きです。
花弁はもともと雄蘂や雌蘂を囲む葉に由来するものであり、雄蘂や雌蘂はそれぞれ小胞子葉、大胞子葉であるから、やはり葉が起源です。いずれも葉に由来するものなので、それらがすべて花弁化すること自体はさほど不思議ではない。ただし、八重咲きの花では雄蘂や雌蘂が正常に形成されないので、種子や果実は作られない場合が多い。繁殖には株分けや挿し木などの栄養生殖が行われる。
若き日の太田道灌が蓑を借りるべくある小屋に入ったところ、若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので、道灌は怒って帰宅しました。後に山吹には「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」の意が託されていたのだと教えられ無学を恥じたという有名な話が『常山紀談』に載っています。
『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた儒学者・湯浅常山。
落語「道灌」のあらすじ。
「岩田のご隠居」宅に遊びに来た八五郎は、隠居に張りまぜの屏風を見せてもらう。八五郎は絵のひとつについて、「シイタケの親方みてェな帽子かぶって、虎の皮のモモヒキ履いて突っ立ってるあれは誰です?」とたずねる。それは太田道灌の「山吹の里」の伝説を描いたものであった。隠居は以下のような道灌の逸話を語る。
室町時代中期の武人・道灌は、狩りをしている最中に村雨に遭い、雨具を借りようと1軒のあばら家に立ち寄った。15歳くらいの少女が出てきて、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ山吹の枝を盆に乗せて差し出し、頭を下げた。道灌が意味をつかみかねていると、家来のひとりが「『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』という古歌がございます(後拾遺和歌集・兼明親王作)。
これは『実の』と『蓑(みの)』をかけ、『お出しできる雨具はございません』という断りでございましょう」と進言した。これを聞いた道灌は「ああ、余はまだ歌道(かどう)に暗い(=詳しく知らない)のう」と嘆き、それ以来和歌に励み、歌人として知られるようになった。
これを聞いた八五郎は「うちにもよく傘を借りに来る男がいる。ひとつその歌で追っ払ってやろう」と思いつき、歌を仮名で隠居に写してもらって帰宅する。
ほどなくして雨が降り出し、その男が飛び込んでくる。からかうチャンスがやって来たと感じた八五郎は内心で喜ぶが、男はすでに傘を持っていて、「提灯を貸してほしい」と八五郎に頼む。雨具でなければ「蓑ひとつだに」ができないため、八五郎は困り、「『雨具を貸してください』と言やァ(=言えば)、提灯を貸してやらァ」と男に告げる。男がしかたなく「雨具を貸してくれ」と言うと、八五郎は少女を演じ、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ、歌が書かれた紙を差し出した。男はそれを「ナナヘヤヘ、ハナハサケドモ、ヤマブシノ、ミソヒトダルト、ナベトカマシキ」とつかえながら読み、「短(みじ)けェ都々逸だな」と感想を漏らす。八五郎が「都々逸う? おめえ、よっぽど歌道が暗(くれ)ェなァ」とからかうと男は、
「カド(=角)が暗ェから、提灯借りに来た」・・・・噺のオチです。
ヤマブキは普通一重で花びらは五弁です。これには実がなります。八重咲きにおける、内側の花びらは、雄蘂や雌蘂にあたり、それらが花弁化したのが八重咲きです。
花弁はもともと雄蘂や雌蘂を囲む葉に由来するものであり、雄蘂や雌蘂はそれぞれ小胞子葉、大胞子葉であるから、やはり葉が起源です。いずれも葉に由来するものなので、それらがすべて花弁化すること自体はさほど不思議ではない。ただし、八重咲きの花では雄蘂や雌蘂が正常に形成されないので、種子や果実は作られない場合が多い。繁殖には株分けや挿し木などの栄養生殖が行われる。