荒神社は、静岡市葵区足久保奥組三六二三に鎮座する。「狐石」の手前の山の突角部である。祭神は、火産霊神、奥津比古神、奥津比賣神の三柱である。
荒神(こうじん)とは、日本の民間信仰において、台所の神として祀られる神格の一例。
多くは仏教の尊格としての像容を備えているが、偽経を除けば本来の仏典には根拠がなく、核となったのは土着の信仰だったと考えられている。
荒神信仰には大別すると二通りの系統がある。屋内に祀られるいわゆる「三宝荒神」、屋外の「地荒神」である。
屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。
御祭神は各社により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。
荒神の語源は不明である。日本の古典にある伝承には、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)を対照的に信仰した様子が記されている。民間伝承でも、温和に福徳を保障する神と、極めて祟りやすく、これの畏敬(いけい)の誠を実現しないと危害や不幸にあうと思われた類の神があった。後者は害悪をなす悪神だが祭ることによって荒魂が和魂に転じるという信仰があった。そこでこの「荒神」とはこの後者をさしたものではないかとの説もある。
閑話休題。
足坏(あしつぎ)神社は、静岡市葵区足久保奥組二〇〇七に鎮座する。足久保小学校を過ぎて右手の相沢橋を渡って足久保川沿いに進んだ突き当りに鎮座する。祭神は蛭子大神である。
『古事記』などにある「蛭子伝説」によれば、日本最古の神とされる伊邪那岐命、伊邪那美命夫妻は、初めての子は生まれつき体が異常に柔らかかったので、蛭のような子「ひるこ」と名付けました。しかし、3歳になっても歩けなかったことから、葦の舟(書紀では天磐櫲樟船)で海に流しまったそうです。『日本書紀』の中では、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコトの次に生まれる神様です。
国学者で小児科医でもあった本居宣長は、その症状から「ひるこ」を脳性麻痺か筋萎縮症の障害児と診断しています。しかしその後「ひるこ」は、漁民に救われ、のちに七福神の仲間入りをし、大黒様とのコンビで有名な「ゑびす様」としてあがめられました。絵や像では大黒様は立っていますが、ゑびす様はいつも座っている姿しか描かれていないようです。
「ひるこ」は、障害をもちながらも見事な復活を遂げたことから、「リハビリテーションの祖」とも呼ばれています。神話でもあり、真偽のほどは分かりかねますが、古代における障害者観の一端を垣間見ることができるようです。
ちなみに、伊邪那岐命、伊邪那美命の二番目の子は、淡島(あわしま)と呼ばれていましたが、知的障害を伴っていたとも伝えられています。そして、三番目の子が、天照大神(あまてらすおおみかみ)で、神明神社の総本社である三重県の伊勢神宮に祀られています。
『古事記』と『日本書紀』ではよく神様の名前や由来に違いがありますが、ヒルコ神(蛭子神)はいずれにしても國産みと呼ばれる、イザナギ、イザナミの間に生まれたことは変わりません。
この不具の子が生まれた理由は、イザナギとイザナミが国産みを行う際に、天の御柱を回って声をかけるという寓話の中で、イザナミからイザナギに声をかけてしまったために、道理に反したとされ水蛭子(ひるこ)ができてしまったと神話の中では言われています。こうして、イザナギとイザナミの間に生まれた神様であるヒルコ神(蛭子神)ですが、二柱の子供としては見られなくなります。
ヒルコ神(蛭子神)がイザナギとイザナミに舟で流された後、摂津の国西の浦という場所に流れ着きます。その土地の人々がヒルコ神(蛭子神)を見つけ、「戎三郎(えびすさぶろう)」とお呼びして大切に育て上げ、後に戎大神(えびすおおかみ)として祀られるようになったという話です。
荒神(こうじん)とは、日本の民間信仰において、台所の神として祀られる神格の一例。
多くは仏教の尊格としての像容を備えているが、偽経を除けば本来の仏典には根拠がなく、核となったのは土着の信仰だったと考えられている。
荒神信仰には大別すると二通りの系統がある。屋内に祀られるいわゆる「三宝荒神」、屋外の「地荒神」である。
屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。
御祭神は各社により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。
荒神の語源は不明である。日本の古典にある伝承には、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)を対照的に信仰した様子が記されている。民間伝承でも、温和に福徳を保障する神と、極めて祟りやすく、これの畏敬(いけい)の誠を実現しないと危害や不幸にあうと思われた類の神があった。後者は害悪をなす悪神だが祭ることによって荒魂が和魂に転じるという信仰があった。そこでこの「荒神」とはこの後者をさしたものではないかとの説もある。
閑話休題。
足坏(あしつぎ)神社は、静岡市葵区足久保奥組二〇〇七に鎮座する。足久保小学校を過ぎて右手の相沢橋を渡って足久保川沿いに進んだ突き当りに鎮座する。祭神は蛭子大神である。
『古事記』などにある「蛭子伝説」によれば、日本最古の神とされる伊邪那岐命、伊邪那美命夫妻は、初めての子は生まれつき体が異常に柔らかかったので、蛭のような子「ひるこ」と名付けました。しかし、3歳になっても歩けなかったことから、葦の舟(書紀では天磐櫲樟船)で海に流しまったそうです。『日本書紀』の中では、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコトの次に生まれる神様です。
国学者で小児科医でもあった本居宣長は、その症状から「ひるこ」を脳性麻痺か筋萎縮症の障害児と診断しています。しかしその後「ひるこ」は、漁民に救われ、のちに七福神の仲間入りをし、大黒様とのコンビで有名な「ゑびす様」としてあがめられました。絵や像では大黒様は立っていますが、ゑびす様はいつも座っている姿しか描かれていないようです。
「ひるこ」は、障害をもちながらも見事な復活を遂げたことから、「リハビリテーションの祖」とも呼ばれています。神話でもあり、真偽のほどは分かりかねますが、古代における障害者観の一端を垣間見ることができるようです。
ちなみに、伊邪那岐命、伊邪那美命の二番目の子は、淡島(あわしま)と呼ばれていましたが、知的障害を伴っていたとも伝えられています。そして、三番目の子が、天照大神(あまてらすおおみかみ)で、神明神社の総本社である三重県の伊勢神宮に祀られています。
『古事記』と『日本書紀』ではよく神様の名前や由来に違いがありますが、ヒルコ神(蛭子神)はいずれにしても國産みと呼ばれる、イザナギ、イザナミの間に生まれたことは変わりません。
この不具の子が生まれた理由は、イザナギとイザナミが国産みを行う際に、天の御柱を回って声をかけるという寓話の中で、イザナミからイザナギに声をかけてしまったために、道理に反したとされ水蛭子(ひるこ)ができてしまったと神話の中では言われています。こうして、イザナギとイザナミの間に生まれた神様であるヒルコ神(蛭子神)ですが、二柱の子供としては見られなくなります。
ヒルコ神(蛭子神)がイザナギとイザナミに舟で流された後、摂津の国西の浦という場所に流れ着きます。その土地の人々がヒルコ神(蛭子神)を見つけ、「戎三郎(えびすさぶろう)」とお呼びして大切に育て上げ、後に戎大神(えびすおおかみ)として祀られるようになったという話です。