日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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老いたとて 忘れがたきは 茗荷なり

2013年10月21日 16時19分26秒 | 日記
 私が生まれ育った家の北側に一本の欅の大木があった。その欅を父親が何日もかけて伐採し、数年間枯らして乾燥させた後に大鋸で挽いて新しく建てた家の大黒柱にした。尺角以上もある漆塗りの立派な柱である。

 建替える前の家というのは、おそらく明治の中期以降に建てられたであろう粗末な造りの平屋で、居間の真ん中に囲炉裏が切ってある典型的な田舎風の家屋であった。柱は細く、天井板のないない屋根は低く、囲炉裏の煙に燻されて家の中全体が真っ黒に煤けていた。

 屋根は檜や杉の樹皮を重ねて葺き、孟宗竹を割ったもので押さえて釘で止めた簡素な構造である。切妻の棟の部分に囲炉裏の煙を抜く穴が開けてある。この穴から煙も抜けるが逆に風も吹き込むので、冬になると家の中でも滅法寒かった。

 家の間取りを説明しよう。玄関というと聞こえは良いのだが、ただの入り口である。入り口の右側に大甕が埋めてある。小便を垂れる甕である。従って、この付近は常に小便臭い。入り口は障子紙を張った引き戸である。敷居は磨り減っていて戸の開け閉めにはちょっとした骨(こつ)がいる。入ってすぐの土間には臼、杵などが乱雑に置いてある。

 六畳の部屋が二つと囲炉裏を切った居間が一つ、居間の奥が納戸部屋である。土間の奥に続いて台所がある。石と土で拵えた竈が二つと流し台と戸棚があるだけの殺風景な台所である。

 流し台の脇に大きな水瓶が埋めてあって裏山から懸樋で水を引いてあった。懸樋は孟宗竹の節を抜いた竹筒をつなげて隙間は襤褸を詰めて塞いである。角度を大きく変えたりサイホンの原理を応用して垂直に配管する部分は刳り貫いた木材を利用して接合してあった。

 水瓶の前が据風呂である。風呂桶は鋳物の釜をはめ込んだ小判型の木桶で、底に水抜き孔を開けてある。風呂桶の材は槙で針金の箍を嵌めてある。風呂の水汲みと風呂焚きは私の日課であった。

 閑話休題。欅の大木から話は随分と脇道へ逸れた。話を本題へ戻そう。

 欅の大木の根元は狭い水路になっていて、水路の畔にたくさんの茗荷が生えていた。夏の早朝に茗荷の葉先を覗くと油蝉やミンミン蝉の羽化を観察できた。私が茗荷にまつわる記憶を手繰ると、いつも決まって欅の大木と蝉の羽化に辿り着くのである。

 茗荷と生姜は一見よく似ている。生姜は地下茎を食うが、茗荷は若芽と花蕾を食う。茗荷の若芽即ち茗荷竹である。日光を遮断した室(むろ)で軟白栽培したものを野菜として売っている。

 普通に栽培された茗荷の若芽は緑色の円錐形で小さな筍(たけのこ)の形状を呈する。この茗荷竹を採って、薄く刻み、甘酢に漬けたり、花鰹と混ぜて醤油を垂らして食う。茗荷特有の風味と歯切れのよさを賞味するのである。花の苞が所謂、茗荷である。茗荷汁にしたり薬味にしたり紫葉漬の材料にしたりする。私がもっとも好むのは茗荷竹の酢の物である。

◆ 枯葉突き上げ茗荷角ぐむ  白兎
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