京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

葛飾北斎の原子炉爆発図

2025年03月11日 | 評論

   葛飾北斎((1760-1849)は1998年にアメリカの写真雑誌「LIFE」で、「この千年間で大きな業績を残した人物百人」の一人に選ばれた。北斎は「富嶽三十六景」をはじめとして、風景版画や絵手本の北斎漫画で有名であるが、読み本の挿絵で特異な才能を発揮した。

 

 

                             Photo_2

 

図は「新編水滸画伝」(文化ニ年:曲亭馬琴)の物語の発端にあたる「伏魔殿壊(やぶれ)て百八の悪星世に出」の場面である。葛飾北斎が描く原子炉大爆発の図である。天蓋は吹っ飛び建屋は粉みじんとなって、恐ろしく鋭利な放射線が四方八方に飛び散っている。周りで人々は驚倒するのみで、なす術もない。閃光の影には異形の魔物が見えて、これから地上で起こるであろう、とんでもない厄災を予見させている。仁宗皇帝の嘉祐3年、竜虎山に派遣された太尉の洪進は、宮司らの制止も聞かず「伏魔殿」を開けさせたために、大爆発とともに百八つの悪霊が世界に飛び出した。樋定規で描いた無数の直線が爆発の恐ろしさを見事に表している。

 「百千の雷半夜に落つるごとき音して、雲か煙か陰々と一道の黒氣、穴の内より立ちのぼり、殿の棟桁衝破りて、半天にたな引つつ、砕て百余道の金光と変じ、四面八方に飛び去りぬ」という下りである。

 北斎に原子力の知識が有ったわけがないが、彼が活躍した時代は近代と前近代の断層で怪しげな乱気流が渦巻いていた。西洋の文明は、長崎という細い電線を通じて、江戸時代の日本に何万ボルトもの高電圧をかけていた。北斎もオランダ人と交流し蘭書を読んでいたと言われる。平賀源内が摩擦発電機を組み立て、エレキテルを発生させたのは、北斎16歳の1776年の事である。北斎という天才の神秘的な直感力が、来るべき文明の持つ巨大なエネルギーとその破壊力を予見し、それをこの絵にこめたものと思える。百八の悪霊とはウランの核分裂によって生じた無数の放射性元素を暗喩している。

 北斎の類似の放射線図は「椿説弓張月」の挿絵にも見られる。水滸伝でドジを踏んだ洪進は、おっちょこちょいで少し頭の弱い官僚だったが、滝沢馬琴のこの小説では、琉球の暗愚帝尚寧王がその役割を演ずる。彼は忠臣の諌めを聞かず、昔、妖魔を封じたという塚をあばかせる。掘り当てた石櫃を開かせると、大音響とともに石櫃は砕け散り、中から悪霊曚雲が現れた。人間は忘れっぽい。とくに日本人は忘れっぽい。経済界の目先の利益のために危険な原発を再稼働し、ふたたび地上に悪霊を呼び出してくれない事を祈る。

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悪口の解剖学: 「ネアンデルタール人は私たちと交配 した」

2025年02月20日 | 悪口学

                 (スヴァンテ・ペーボ)

 

 スバンテ・ペーボ(Svante Pääbo)(1955-)はスウェーデン人の遺伝学者。進化遺伝学である。古遺伝学の創始者の一人であり、ネアンデルタール人のゲノムの研究に大きく貢献した。2022年に「絶滅したヒト科動物のゲノムと人類の進化に関する発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 

  この書はスヴァンテ・ペーボのNeanderthal Man: Insearch of lost Genomesの野中香方子による訳である。化石資料の含む微量のDNAサンプルから、コンタミを防止しながら、いかように目的の遺伝子のDNAをシーケエンスするかを根気よく述べている。なかでもFOXP2遺伝子の変異(SNP)と”発音”能との関係の発見である。

 

 ペーボは1997年ごろMPS(マックス・プランク協会)の人類学研究所の創始者に任命された。ここでハンスヨアヒム・アウトラムの唐突な悪口が出てくる。以下、抜粋。

 仕事に慣れていくうちに、前任者が食中毒で急死したことを知った。その突然の死を悼む同僚たちに受け入れてもらうのは容易でなかった。中にはわたしを、未熟でふうがわりな外国人、あるいは略奪者かなにかのように見る人もいた。前任者を指導していた名誉教授ハンスヨアヒム・アウトラムと会うたびに、それを身に染みて感じた。アウトラム教授はドイツの動物学界の影響力のある生物学雑誌「Naturwissensh- futen」の編集長を務めていた。オフィスは私の研究室と同じフロアにあった。当初、階段で彼とすれ違う時には、丁寧に挨拶していたが、返事はなかった。その後、部下のい技術担当者からアウトラムが聞こよがしに「多くの若い優秀なドイツ科学者が職に就けずにいるのに、動物学部はInernationer Schrortを雇った」と言ったと知らされた。それを機に、私は彼を無視することにした。何年も後、すでにアウトラムは死んでいたが、わたしは彼が所属していたドイツの名誉ある学会のメンバーになった。なりゆきで、彼の死亡記事を読んだ。1945年以前、彼はナチ党員であっただけでなくSA(突撃隊)のメンバーでもあり、ベルリン大学でナチの国家社会主義思想を教えていたのである。わたしは常々ーやや過剰なまでにー誰にでも好かれていたいと思っているのだが、アウトラムに関しては、仲良くなれなくてよかったとその時、思った。

 

 アウトラムは有名なドイツの生理学者であったが、ナチスの残党でどうしてアカデミーの世界で枢要なポジションについたのか不思議である。ペーボのようなバイセクシャルな自由人と上手くいくわけがなかった。おそらく、書かれていないが、直接不快ないやがらせにもあったのであろう。

 

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「イケガキ」の生態学

2024年12月06日 | ミニ里山記録

     ヨーロッパの田園を縁取り、畑を区分する役割をはたしている生垣の大部分は、中世あるいはそれ以前から続いている完全な人口生態系である。これは現在、多様性と魅力あふれる生態系を構築している。北米と違ってヨーロッパの生垣は樹木、灌木、草、小動物、鳥、多様な昆虫や無脊椎動物が複雑にあつまって構成されている。厚生林でも完全に開かれた土地でも補償できない、ゆたかな動植物の宝庫になっている。日本でも生垣(イケガキ)は防風林としての役割だけでなく「生きた垣根」として人の生活の中で機能している。

  (ルネ・デュボス著 「地球への求愛」より 長野敬訳 思索社 )

 

追記(2024/12/06)

日本において生物多様性にかかわる人工生態系は1)神社や寺の森(鎮守の森)、2)河川敷や遊歩道、3)大きな古い屋敷の森、4)町屋の坪庭、5)街路樹の根元の空間などがある(スケールが小さいが多数あれば意味がある)。

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セント=ジェルジの名言集

2024年12月02日 | 評論

 

 

 セント=ジェルジ・アルベルト(Nagyrápolti Szent-Györgyi Albert、1893-1986)は、ハンガリー出身でアメリカに移住した生理生化学者。ビタミンCの発見や筋肉収縮の機構解明などにより、1937年ノーベル生理学賞を受賞。その著「狂ったサル」(1971年The Crazy Ape and What next:日本語訳1972サイマル出版)は当時、科学者の良心的で正当な文明批判として注目をあびた。本棚の奥から、これを出してきて読むと、庵主の「思想」の基盤は、このよう当時の良識インテリの影響と薫陶を受けてきたことが、まことによく分かった。

「今の自分の成熟した考えかた」はほとんど、セント=ジェルジが言い尽くしていたのだ。この書から、いくつかの感銘的な名言を抜き出して示すことにした。

はじめに

「いまや人類が、誕生以来もっとも重大かつ深刻な時期に遭遇していることは、なんの疑いもありません。あまりに遠くない将来に、人類の絶滅すら考えられるほど、重大な危機です」

第一章

「人間の実体は、自己破壊的という点では、いまも昔も変わらない、ただいままでは、自己破壊を可能にするだけの技術的手段を欠いていたのだ、という考えかたです。事実、歴史を通じて、人間はたくさんの無意味な殺戮や破壊を事としてきました。自己破壊にまで至らなかったかったのは、殺人用の道具が粗放かつ非能率だったおかげです。暴力が吹き荒れたとき、多くの人が生き残ることができたのも、これが理由でした。ところが現代科学は状況を一変しました、今日、われわれは一連托生なのです」

第2章

「長い間、人間の主たる関心は死後の生でした。ところが、死の以前にはたして生がありうるのかどうかについて問われなけれならぬ時代を、われわれはいまはじめて迎えたのです。

第5章

年老いた裁判官は、ニたュルンベルク裁判で、ほかならぬアメリカ自身がうちてたてた原則(個人の良心が組織の決定よりも優先される)にもとづいてベトナム戦争に反対して徴兵カードを焼き、良心に従おうとしている若者に、重刑を科すことによって、自分たちがどれほど愛国であるかを見せようとしているにすぎない。

第6章

軍隊のおもだった生物的特徴の一つは、ガン細胞の場合と同様に、それが無限に肥大していくという点です。必要のあるなしにかかわらず、水も漏らさぬ組織と紀行とをもった軍隊は、個人と同様に、富と力を求めて行動します。肥大が避けられない理由は、軍隊は必ず相手方軍隊をつくりあげ、それよりも優位にたとうとすることです。それと手ぶらではおれないという別の理由があります。そこで事件をつくりあげては、軍隊を戦争やいかがわしい冒険に駆り立てるのです。

第8章

政府が、なぜ彼らを選出した市民を代表しないのか、という問題は厄介な問題です。理由はいろいろあるが、彼らが政治の駆け引きに通じたただの「政治屋」である必要があるからです。秀た指導者であるためには、よい政治家(statesman)であることです。

第9章

ベトコンを相手ににしてもどうもならない。彼らは最後まで戦う。ベトナム人は自決の覚悟でいる。どうしてアメリカが勝利をおさめることができるでしょうか?要するに人間というのは、見たいものを見、聞きたいものだけを聞くものだ、ということです。軍隊や政府の手先としてやっきに情報を集めている秘密情報員は、上司の耳にひびくものだけを見ているのではないかという疑念がわいてきます。

第10章

私自身が、アスコルビン酸(ビタミンC)を発見したとき、科学の進歩に貢献できたことをたいへん誇りに思ったものです。そのとき、私は自分の研究成果が、決して殺人のために使われることがないと信じていました。ところが、その私の誇りと確信とは、つかの間のものでした。ある日、私は、とある工場を視察しました。そこには大きなつぼがたくさんあり、その中にはアスコルビン酸がわんさと貯蔵されていました。それはドイツ潜水艦に配給され、長い航海をする乗組員にとって、壊血病を防ぐ格好の道具となったんです。アスコルビン酸は、かくして殺人使節団の道具と化したのです。

第16章

ニュートンの友人たちは、ケンブリッジのトリニティー学園の公園ベンチで、一日中、動かないですわっている彼の姿をみて、かれの精神状態を心配したそうです。納税者たちは、このような何もしない怠け者を援助すること自体がばかげていると、憤慨したにちがいない。いまでも政治家は役に立たなそうな基礎研究の科学研究費の削減を主張し、納税者の機嫌をとる。

第18章

すべての人間は10%ほどの愚かしさをもっている。この愚かしさは、この世に存在することの付加物である。そこで政府は、われわれの卑しい本能に訴えるわけです。最小公分母に訴えることにより、過半数の賛成票を皮算用することができるからです。

 

 

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志賀直哉の「暗夜行路」-この一節こそ

2024年12月01日 | 評論

 

   

 志賀直哉の「暗夜行路」は読んでも、つまらない私小説である。生活力のない時任謙作のとりとめのない日常と、どうでもよい出来事が、ダラダラと続く。人の関係テーマが男女間の「性」だけに絞られており、当時の高等遊民的な文人たちに受けても、我々庶民にはまったく感激のないお話である。

 ただ、最後のほうで、謙作が大山登山の最中に倒れ、気をうしないそうになって、カタルシス状態になるシーンだけが、この小説の中で印象的な白眉といえる。この小説はここだけと云ってよい。以下抜粋。

 

 「謙作は疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のようで、眼に感じられないものであるが、その中に溶けてゆく、それに還元される感じが言葉に表現できない程の心地よさであった。なんの不安もなく、睡い時、睡に落ちて行く感じにも多少似ていた。大きな自然に溶け込む感じは必ずしも初めての経験ではなかった。一方、実際半分睡ったような状態でもあった。大きな自然の溶込む感じは、必ずしも初めての経験ではないが、この陶酔感は初めての経験であった。

 静かな夜で、夜鳥の声も聴こえなかった。そして下には薄い靄がかかり、村々の灯も全くみえず、見えるものといえば星、その下に何か大きな動物の背のような感じのする北山の姿が薄く仰がれるだけで、彼は今、自分が一歩、永遠に通ずる路に踏み出したというような事を考えていた。彼は少しも死の恐怖を感じなかった。然し、若し死ぬなら此儘死んでも少しも怨むところはないと思った。

 彼は膝に肘を着いたまま、どれだけの間か眠ったらしく、不図、眼を開いた時に何時か、あたりは青味勝ちの夜明けになっていた。星はまだ姿を隠さず、数だけが少なくなっていた。柔らかい空の青味を、彼は慈愛を含んだ色だと云う風に感じた。山裾の靄は晴れ、麓の村々の電燈が、まだらに眺められた。米子の灯も見えた。遠く夜見が浜の突先にある境港の灯も見えた。明方の風物の変化は非常に早かった。しばらくして、彼がふりかってみたときには、山頂のかなたから湧き上がるように橙色の曙光がのぼってきた。それが見る見る濃くなり、やがて又あせ始めると、あたりは急に明るくなってきた

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シモーヌ・ヴェイユの思想

2024年11月28日 | 評論

 

 むかし、シモーヌ・ヴェイユとその名を舌頭に転がすだけで血圧が上がった人は、いま何歳ぐらいになっているのだろか?作家の須賀敦子(1929-1998)は「本に読まれて」(中公新書)のなかで、その熱病的没頭の時代を「ヴェイユは、50年代の初頭に大学院で勉強していた私たち女子学生の仲間にとって灯台のような存在だった」と書いている。

 ヴェイユは1909年パリに生まれ、人類史でも稀な激動の時代を火の玉のように生き、1943年イギリスで客死した女性哲学者である。1966年発行の京都大学新聞 (13638号)に哲学者の長谷正当(当時京大研修員)が、彼女の著「労働と人生についての省察」についての書評を出している。その書き出しは「ヴェイユの著書が最近紹介されはじめている」で始まるので、この頃からかなり読まれるようになり、さらに少し時代がすすむと、全共闘の論客も関心を持つようになった(彼女はレーニンやトロッキーもおおいに批判した)。

 ヴェイユは体験(「事実との接触」)を媒介にして「真理に対する飢餓、実存に対する渇き」をもって太く短い人生を歩んだ。彼女は工場に入り実際、労働することによりそれが奴隷労働であることを実感した。奴隷状態を生み出す原因は「速さ」と「命令」という二つの事であった(この本質は現在も変わっていない)。もう一つの体験はスペイン動乱であった。それぞれ「不幸の経験」と「集団の経験」としてその思想に刻みこまれた。

 ヴェイユ家は「ヴェイユ」姓が示すようにユダヤ系であったが、両親はユダヤ教に服さず、二人の子供もユダヤ教に接触させないように教育していた。そしてシモーヌ自身は思想的にユダヤ教を厳しく批判する立場をとった。

 「残虐、支配への意思、敗れた敵に対する非人間的な軽蔑、そして力への敬服などを表明するユダヤ経典が、キリスト教に持ち込まれたことは不幸なことだ」と述べている。シモーヌ・ヴェイユの論法によると、ヒトラーの反ユダヤ主義は、この残虐なユダヤ経典の教えをそのまま反転模倣したことになる。最近のイスラエルのパレスチナ人民への暴虐は、まさに、これを証明しているとしてしか思えないのである。

 

 参考書

大木健 「シモーヌ・ヴェイユの生涯」勁草書房

フランシーヌ・デュ・ブレシックス・グレイ 「シモーヌ・ヴェイユ」岩波書店 2009

 

追記(2024/11/06)

青年ヘーゲル学派のブルーノ・バウワーは1843年に「ユダヤ人問題」で、ユダヤ人が空想上の民族性にしがみついている限りユダヤ人の解放はありえないと述べた。マルクスはやはり1843年に「ユダヤ人問題によせて」でバウワーの論を批判しながら、国家と宗教とのかかわりについて展開している。ただしこの頃はイスラエルはまだ建国されていなかった。

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「学者の値打ち」と「学者の悪口」

2024年11月04日 | 悪口学

 

   鷲田小彌太(1942~)が書いた「学者の値打ち」(ちくま書房)と云う本は、文系研究者の悪口で溢れている。鷲田は鷲田でも大阪大学学長をしていた鷲田精一氏(1949~)とは無関係(類縁関係なし)のようである。面白いことに、ご両人とも専門は哲学で、小彌太氏は阪大の哲学を卒業し専門はマルクス、ヘーゲル、スピノザ。一方、精一氏の方は京大の哲学を卒業し、フッサールを研究しておられた。

  この書「学者の値打ち」では現存・物故によらず実名であまたの研究者・学者がバサバサ切られている。大学や研究所とは無縁の吉本隆明、高橋亀吉などのフリーの評論家や文筆家を含んでいる。すさまじいのは、{表6}の大阪大学哲学科メンバー(および出身者)にたいする評価である。沢寫久敬、伊藤四郎、相原信作、田畑稔などとともに、公正を期すためか、著者の鷲田小彌太氏もリストに並んでいる。ここでは、例えば相原信作は研究評価(B)、教育評価(B)、人格(A)、業績(C)、総合(B)などとなっており、自身はそれぞれ、B、C、B、B、Bだそうだ。小林秀雄なんかは、C,C,C,B,Cになっているので、まだましな方なんだろうが、これをみた関係者はどう思っているのだろうか?

「学者の値打ち」は、どう考えても、その成し遂げた研究業績・成果でもって判断する外ない。哲学は世界(宇宙、自然、社会と人間)の正しい認識の仕方を提示する学問であろう。どのようなオリジナルな事や概念を発見あるいは思いついたか、そしてそれをどれだけ、きっちり発表したかが絶対基準となる。人格や教育は良いにこしたことはないが、2次的なものである(だいたい人柄の良くって優れた哲学者など聞いたことがない。人柄が悪いから哲学者になるのである)。本書は、各対象者をその皮相面からするどく批判はしているが、業績視点での批評はあまりない。そもそも日本の哲学でオリジナルなものはあるのだろうか? 

 

追記(2024/11/07)

梅原猛の「山川草木悉皆成仏」の思想も文芸の世界の話で体系的な哲学とはいえない。

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時間についての考察 VIII アリストテレスの時間論

2024年10月31日 | 時間学

 

 アリストテレス( BC384-322)は古代ギリシャが産み出した偉大な自然哲学者である。彼はエーゲ海北岸のイオニア系植民都市スタゲイロスに生まれた。17歳でプラトンのアカメディアに入門、20年間そこで学ぶ。BC343年にはマケドニアに招かれ皇太子(後のアレキサンダー大王)の家庭教師を務めた。BC3355年にアテナイに戻り、郊外に自ら主催する学園リュキオンを創設し、様々な研究を主導した。その後起こった反マケドニア運動のために故郷のカルキスに難を逃れそこで亡くなった(享年62歳)。アリストテレスは知の全域を貫通する根源的な問題である「存在」についての書「形而上学」(全14巻)をまとめた。

  時間論については『自然学』(アリストテレス全集第3巻)で述べている。最初は難解な「今」論を展開している。さらにアリストテレスは時間とは「前と後ろに関しての運動の数」であると定義している。ともかく運動という概念が強調され、存在はすなわち運動である、時間は運度の計測によって生ずるものであるという。空間と時間から速度(運動)が派生するといったニュートン力学のモードと違って、まず運動があるとする。相対論ではまず光速が絶対的な量として登場し、空間や時間はそれに隷属しなければならない。アリストテレスの考えはある意味時代に先駆けていた。

  「前と後ろに関しての運動の数」とすれば、時間とは純粋に物理的に定義されるパラメーターかと思える。一方で、アリストテレスは「時間は運動の何か」であるとしても、「たとえ暗闇であって、感覚を介して何も感じられない場合でも、何ならかの動きが我々の心のうちに起こりさえすれば、それと一緒に何らかの時間も経過したと思われる」としている。さらにアリストテレスは「今が前の今と後ろの今との二つであると我々の心が語る時、このときに我々はこれが時間であるというのである」と述べている。いわば脳内での生理的運動(変化)も含めて時間の発生を措定している。すなわち現実に物理的運動を観察しなくても、脳でそれを想起すれば時間が生ずることになる。そうすると自然の『運動の数』を計測するのは人の脳なので、一体どちらが時間発生の根底なのかという問題が生ずる。

 仮にヒトが世界から消滅したらどうなるだろうか?それでも宇宙、地球や他の生物の変化や運動はあるだろう。しかし、それを検知する全てのヒトの脳がなければ時間は消滅するのか?そんなわけがあるはずない。物理的時間、生物的時間(体内時計)、心理的時間はいずれも実存する。

心理的時間が実存するから物理的時間は実存しないとするのが一部の思弁家である。構造生物学者で虫好きの池田清彦氏もその一人である。彼は「放射性元素Aの半減期が5時間であると言うことによって、時間の物理的客観性を措定することはできない。ある時、Aが崩壊する現象によって計測された半減期の5時間と、別の時、Aが崩壊する現象によって計られた5時間が、等価、等質であると考える根拠はどこにもない」と述べている。そして「すなわち、時間が計測され得るためには、我々の内なる同一性の意識の存在が不可欠なのである」としている。彼の前の方の言明は、実は相対論の世界では実際に起こる現象である。ニュートン力学の心理作用にならされた「同一性の意識を持つ」人間には、どうひっくりかえっても想起できず、これを不可思議で矛盾した現象として捉えるのである。言ってみればこの現象こそ、心理的時間の外に物理的な時間が実存することを証明した決定的な事例と言って良い。彼はさらに言語こそ時間を生み出した最基底の形式であるとしているが、言語のなかった頃のヒトの祖先の時代にも時間は存在し流れていた。言語はいわば心理的時間を生み出すために必要だったとは言えるかも知れない。小説『モモ』の中でミャハエル・エンデはマイスター・ホラにこう言わせている。「光を見るために目があり、音を聞くために耳があるのと同じように、人間には時間を感じるとるために心というものがある」心こそ人の言語である。

 参考図書

出隆、岩崎充胤訳「アリストテレス全集 3 」自然学 岩波書店 1976年

池田清彦 『科学は錯覚である』洋泉社 1996

 

追記(2023/11/12)

宇宙の森羅万象における変化や運動のプロセスが時間だと言える。高浜虚子に「去年今年流れる棒のようなもの」と言う有名な俳句があるが、この棒のようなものが時間である。それは第4次元そのものと考えられる。

追記(2024/10/31)

ベルグソンも運動というものは分けてはいけないと述べている。分けて空間化してみなければ気のすまない人間の知性は誤りを犯してしまうと主張する。線分ABをみて運動というものを純粋にみれなくなるという。運動は「直観」でとらえるべきであるというのだ。(高桑純夫著「近代の思想」毎日新聞1957)

 

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人体は時間の間隔をどのようにして計るか?

2024年10月29日 | 時間学

粂和彦(「時間の生物学」-時計と睡眠の遺伝子)

 

 人間の体内時計は睡眠、血圧・脈拍、交感神経や代謝活動などを支配している。昔は、その周期は約25時間と信じられていて、教科書にもそのように記載されている。しかし最近の研究によると、それは約24時間(Circadian)であることがわかっている。被験者の活動の測定や観察の方法によって違うようである。

 この分子生物学分野の著者(粂)によると、人が腕時計なしで、時間の間隔を推定する生理的な仕組みは、血液中のコルチゾールだそうだ。就寝時に「明日の朝は何時に起きるぞ!」と思念すると、それに応じて血液中のコルチゾール濃度が砂時計的に挙動し、セットされた時刻に目が覚めるという。どうして「意識」でもって、そのようなプログラムができるのかわかったいない。著者自身も不思議なことだっと述べている。その後、この研究は進んでいるのだろうか?


 

 

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人類の社会的な集団の適正サイズは150人

2024年10月25日 | 文化

 人類において感染症のエピデミックやパンデミックがおき始めたのは、おそらく人々が集落を形成した以来のことと思える。それでは、本来、人はどれほどのサイズの集団でくらしていたのだろか?

 英国ハーバード大学の人類学者Robin Ian MacDonald Dunbar(ダンバー)教授は、各種の霊長類の大脳新皮質 (neocortex)の大きさがその種における群れのサイズと相関することを発見した(論文1)。大脳新皮質は、群れの増大に伴う情報処理量の飛躍的な増加に対応して、大きくなってきたものと考えられたのである。それまでは、大脳新皮質の進化は生態的問題の解決能に関連していると考えられていた。

 

Dr Robin Ian MacDonald Dunbar

この関係式から計算されたヒト(人)の群れサイズは、約150人ぐらいとされた。ダンバーはまた、クリスマスカードの交換に基づいた西洋社会における平均的なソシアルユニットは、やはり150人ほどだとしている(論文2)。

 ユヴアル・ノア・ハラリはその大著『サピエンス全史』において、噂話によってまとまっている集団の自然なサイズの上限を150人としている。この「魔法の数」を越えると、メンバーはお互いに人を親密に知る事も、それらの人について効果的に噂話をすることもないと述べている。この限界を越えるために、人類は神話という虚構が必要だったというのがハラリのご自慢な説である。

 縄文時代の三内丸山遺跡で約5500年前に集落が形成されはじめた頃、住居の数は40-50棟で人口は約200人ぐらいだったそうだ。これもDunbarの150人仮説に近い。

このサイズが、感染症の抵抗性に関して最適なのかは、今後の研究が必要である。

 

論文と参考図書 

1) RIM Dunbar:Neocortex size as a constraint on group size in primates. 3ournal of Human Evolution ( 1992) 20,469-493.

2) RA Hill and RIM Dunbar: Social Network size in humans. Human Nature (2003)14, 53–72.

亀田達也 『モラルの起源』岩波新書 1654 岩波書店 2017

 

追記(2024/10/25)

ルネ・デュボスはその著「人間への選択ー生物学的考察(紀伊国屋書店)」(p98)で「原始農耕以来、人類は主として血縁者で組織された小集団で生活しており50人を超えることはなかった」としている。150人は歴史時代になってからかもしれない。

 

 

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読解「人新世の資本論」(斎藤幸平著)

2024年10月24日 | 評論

 

 

GDPはなぜ毎年増加しなければならないとされていたのか?

 いままでは、GDPは増え続けなければならないと考えらえていた。この成長神話の背景には、1) 地球のフロンティアは限りなくひろがっているという幻想、2)それと連動して人口も制約なしに増加するという幻想があった。こういった幻想を現実が、木っ端みじんに打ち毀しつつあることを本書はまず指摘する。西部開拓史のように未来が希望にあふれたフロンティアは消滅し、残された宇宙スペースは人類が快適にすめる空間ではない。文明諸国では政府の少子化対策にかかわらず人口は減りつづけている。資源のフロンティアが喪失しただけでなく収奪するべき安価な労働力のフロンティアがなくなりつつある。一時期、中国の膨大な安価な労働力を求めて日本を含めた資本はここに工場を建設したが、そこでの賃金の高騰をうけて、他の東南アジア諸国(ベトナム、タイなど)に移転しつつある。フロンティアが限界に到達したというだけでなく、人類の活動によって地球環境は破綻し、気候変動やパンデミックによって、とんでもない厄災が人々に降り注ごうとしている。それにも関わらず、資本主義と文明社会が、さらなる「発展」をもとめて、いかに悪あがきしているのかを、マルクス主義の立場から本書は批判・告発しようとする。

 SDGs運動に象徴される「持続可能的な発展」や「緑の経済成長」は矛盾の外部転嫁にすぎない。外部転嫁には空間的なものと時間的なものがある。EV(電気自動車)や水素燃料自動車は都市部や文明国の局所的環境(都市)を保護し、周辺部の地方や他の国の環境を破壊している。おまけに地方の火力発電所が発生する炭酸ガスや廃棄ガスは回りまわって都市部にも到達した上、地球全体の温度環境を上昇させる。子供でもわかるこんな理屈を無視して成長路線で経済活動をつづける資本主義には、グレタ・テューンベリさんでなくても怒りがわいてくるというものだ。「中核部の廉価で便利な生活の背景には周辺部からの労働力の搾取だけでなく、資源の収奪とそれに伴う環境負荷の押し付けがある」と著者はいう(p33)。それゆえに地方や未開発国の収奪や環境破壊は、ここに棲む若者の離脱・過疎化を促進する。一方、都市はますます過密化し、その自然環境は劣化する。

 

洪水よ我が亡き後に来たれ!

 矛盾の空間的転換だけでなく、時間的転嫁を資本主義は行なおうとしている。「炭酸ガスの排出量を制限して地球温暖化を防ごう」というスローガンはもっともらしが、これがまさに時間的転換である。「10年後に起こるクライシスを20年後までに引き伸ばそう、その間に、賢明なるホモ・サピエンスは科学の力で解決法を考えつく」と説諭するのである。余命宣告1年の末期がん患者に抗がん剤を投与して、生存期間を2~3カ月延ばすようなものだ。その間に魔法の抗がん剤が発明されるよ...。たとえ炭酸ガス問題をクリヤーする方法を発明しても、別の新たな矛盾が出てきて、世界は必ず暗礁にのりあげる。たとえば、低温核融合が完成したとする。これの燃料は水素(重水素H2、トリチュウムH3)なので、エネルギーは無尽蔵に供給される。CO2も出ないし、原子力発電のように危険な核燃料廃棄物も出ない。すなわち無限にクリアーなエネルギーを得ることができる。しかし、エネルギーが、たとえ無尽蔵でも、他の資源は有限なので、文明の律速物質が人類の経済を制約する(このクリティカルな「物」が何かは研究が必要である。おそらくレアーメタルのようなものではないかと著者はいう)。自然のフロンティアは有限かもしれないが、人の英知のフロンティア(イノベション)は無限であるという考えもある。しかし、どんなに工夫しても無から有は生じないし、どの分野にも収穫逓減の法則がある。世界における資源の総消費量は約1000億トンである。2050年には1800億トンがみこまれる。一方、リサイクルされているのはわずか8.6%。これでは持続可能性なんかありえない。ともかく、今が良ければ、未来社会の迷惑などでうでも良いというのが現代文明であり資本主義なのである。マルクスの資本主義分析は資本家でも参考にしているように、著者のグローバル資本主義分析は正鵠を得ている。

 

弁証法の魂は否定である。

 マルクス哲学(思考法の基本)は唯物弁証法である。物と物の発展的な関係が、運動の法則の基盤をなすと考える。発展的な関係のベースには否定があると考える。ある時点でAの状態がBになるのは、Aを否定する力がはたらいてBになるからだ。資本主義では労働者の労働(価値)を否定(搾取)して、その価値を新たな資本に転換する。新たな資本は、そこでまた労働者を搾取する否定の循環が生じる。この資本による「労働の否定」を否定するのがマルクス主義である。否定こそが弁証法の魂であり、否定によってこそ世界は変転し進化する。マルクスはそのように考えた。社会における発展原理は、それぞれの時代で否定の主体である階級(あるクレードの人の集団)が存在したので明確である。

 それでは資本主義による自然(地球)の否定(破壊・収奪)についてはどうなるのだろうか。著者(斎藤氏)によると、マルクスは社会と同様に資本主義が地球を収奪していると主張したとしている。はたしてどうか?マルクス自身もそのような事例を散発的に文献引用しているだけで、体系づけてこのテーマを展開していないように思う。そもそも、人類が自然を破壊してきたのは、石器時代、古代メソポタミア、アテネギリシャ時代からのこととされている。近代の産業革命以降になって規模が拡大した。ひょっとすると、原始人類が火を発明したあたりから自然破壊は始まったかも知れない。自然対資本主義ではなく、自然対人類とすれば、考え方は根本的に違ってくる。自然と人社会の矛盾を、一羽ひとからげに資本主義のせいにできないとすると、話が全然ちがってしまう。

 

エコロジストとしてのマルクス

 斎藤氏によると対自然(地球)に対するマルクスの思想は生産力至上主義(1840-1850)、エコ社会主義(18860年代)、脱成長コミュニズム(1870-1880)と変遷(発展?)したとしている。最後の脱成長コミュニズムについては著者による新説である(多分)。ゴータ綱領批判の一節を引用するなどして、論じているが牽強付会の感をまのがれない。

この説と労働者の解放との関係についても何も述べていない。資本主義からの労働者と地球の解放はカプリングしたものであるはずだ。社会における資本による人の収奪にたいしてのマルクスの姿勢は明確である。教科書的には「共産党宣言」を読めばよい。労働者は団結して資本家を打倒することになる。それでは資本主義を廃止すればおのずと、地球に対する収奪はなくなるのだろうか? 著者によると、マルクスの書き物やノートで本としてまとめらえている部分はごく一部だそうだ。膨大な未収集の資料を編集して、欠落した思想を完成させる必要があるとすると大変な努力がいる。きっとマルクスAとマルクスBとか、いろいろなマルクス思想が出てくるだろう。なんとも気の滅入る話である。

 著者はマルクスを引用して「否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはkせず、協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有をつくりだすのである」としている。著者は、さすがにこれではまずいと考えたのか、この後で、「コミュニズムはアソシエーション(相互扶助)に支えらえたコモン主義である」という論を展開している。環境学に出てくる「コモンズの悲劇」は、誰でも利用できる共有資源の適切な管理がされず、過剰摂取によって資源が枯渇してしまい、回復できないダメージを受けてしまうことを指摘した経済学における法則のことである。著者は分別のあったゲルマン民族のマルク協同体やロシアのミールを規範としているが、中世やロシア封建制の頃の生産システムや意識が、近代や現代にどのように適応できるのだろうか? 

 <労働と資本>の矛盾、<生産と自然>との矛盾の相互関係およびそれの超克の方法が、この書では明示されていない。これらは一元化されて解決できるのか、2元的に扱われのかといった問題が取りあつかえわれるべきテーマといえる。これは残念ながらどこにも見当たらない。

 

階級はどこにいったのか?

著者は矛盾の超克の具体的な方法として、ワーカーズ・コープ(労働者協同組織)というものを提唱する。これは労働の自治、自律に向けたもので、組合員が出資し経営し労働を営むものである。しかし資本主義と並行して、このようなシステムがあったとしても、競争に勝てるわけがない。これは資本の徹底廃棄の上で可能なものである。しかし資本家が、やすやすとそれを許すはずがなく必然的に厳しい階級闘争が起こる。「否定の否定」には断固とした意思としての階級が登場する必要がある。しかし、本書はマルクスを論じた著書にもかかわらず、階級という用語はほとんど出てこない(ケア階級という意味不明な言葉は出てくる)。階級闘争という言葉は、もうしわけ程度に一度出てくる (p214)。ここではバスターニの民主社会主義的コミュニズム批判がなされ階級闘争の視点が抜けていると批判しているが、著者の文脈にも総体として、それが抜けているのだ。その意味でも不思議な「資本論本」である。

 

感染症についての考察

 コロナ禍を人新生の産物としている。しかし、中世のペストをはじめ古代からエピデミックやパンデミックの歴史は数しれない。近代資本主義のパンデミックは、スペイン風邪からと思えるが、それ以前のものとの質的・構造的な違いを明らかにしてほしかった。規模と速度の問題以外に、むしろ、その影響の質的な違いがあるはずである。さらに、余計な注文をつけると、ウイルス感染から「思想の実効再生産数R」についても考察してほしかった。起源ウイルスはたとえ一匹でRが2でも、短期間にパンデミックになる。一人の革命思想家ー共鳴グループー階級意思へと「思想感染」がおこる道筋(おそらくローマ時代のキリスト教の拡大に似た)のダイナミックスを疫学が提示してくれている。

分業による疎外の問題

資本主義労働による人間疎外は分業の徹底によっておこっている。生産手段や土地を共有するだけでは解決しない問題である。著者は個人の趣味(全体作業)によってそれが補完されるというが(p267)、それではあまりに寂しい。マルクスは「経済学・哲学草稿」において、労働によって人々が没落し貧困化するのは、労働と生産の間の直接的な関係における「労働の本質における疎外」にあるとしている。これはフォイエルバッハの人間主義的で自然主義的を基準にしたものである。資本主義的労働のもつ矛盾を自ら工場に入って経験したシモーヌ・ヴェイユは、それはまさに奴隷労働であるとのべた。ITの完備したモダンな事務所での労働もその本質は変わらない。彼女は人間は何によって偉大なのかを希求した。

 

総合評価

 総合していうと、この本の著者は博覧強記の若手社会学者で様々な視点で問題提議してくれているが、マルクス思想の「筋」(疎外された労働、階級の問題)から外れているように思える。

 

参考文献

鈴木直 「マルクス思想の核心」NHKBOOKS 1237 NHK出版 2016

座小田豊 「マルクスー経済学・哲学草稿」(哲学の古典101) 親書館 1998

鎌田慧「自動車絶望工場」(講談社文庫2005)

片岡美里「シモーヌ・ヴェイユ ー真理への献身」(講談社1972)

追記:「マルクスは人間が自然に働きかける外に生きる道のないのをさとった。自然に働きかけるのが労働である。自然のもっている物質をとってこれを生産手段とした瞬間に人間は動物から分かれて人となった」と向坂逸郎は書いている(「マルクス伝」(新潮社1962)。そうならば道具の発明から人と自然の対立関係が発生していたのかもしれない。

 

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蛋白質と囲碁の構造的類似性

2024年10月22日 | 評論

              蛋白質の3次構造

 

 タンパク質は1次~4次構造まで規定されている。1次構造は構成アミノ酸の配列順序、2次構造はペプチドにおけるα-螺旋、β-シートなどををいう。3次構造は全体の立体的構造(上記図)である。さらに複数のペプチドが相互作用してコンプレックスを作りたものを4次構造という。このような空間構造が蛋白の酵素作用やホルモン、細胞維持などの機能を発揮する。

 

 

            囲碁の棋譜

 

 囲碁の黒石、白石をそれぞれアミノ酸と考え、二つのタンパク質の絡み合いによるゲームと考えることができる。1次構造は石の連結の様式、2次構造はその連結でシチョウ、ゲタ、ウッテガエシ、アツミなどの機能をもった部分、3次構造はまとまった空間を囲む集団といえる。黒白の二つの集団の相互作用は、具体的には「地」の計算のことで、これで勝負が決まる。

 囲碁試合における要諦の基本は、序盤では石の連結(1次構造)、手筋(2次構造)が大事で、中盤と終盤はどこで、3次構造としての集団を作るかで勝負が決まる。

 

 

 

 

 

 

 

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ミツバチに刺されると健康になる?

2024年10月20日 | 環境と健康

 

 

 ミツバチを飼っていると、年に2~3回は刺される。刺されると、しばらく痛カユいが、我慢していると2~3時間で治まる。ミツバチの毒液は、化学的カクテルで、その中にアパシンという成分が含まれている。これはカルシウム依存性カリウムチャンネルを遮断して、ニューロンにインパルス(活動電位)を発射しやすくさせる働きを持つ。大量に投与されると痙攣を引き起こすが、少量ではドーパミン作動性ニューロンの受容体を刺激して心地よい興奮を生ずる。

蜂針療法ではミツバチの針を刺して少量の毒液を皮膚に注入し、身体の痛みや肩こりを軽減する。一種の代替医療である。

 クリスティー・ウィルコックスの著には、ミツバチに刺されて、難病のライム病が治癒した女性科学者の話しが紹介されている。この有効成分はメリチンというタンパク質らしい。このメリチンは、HIV(AIDSウィルス)を破壊するという報告もある。さらに、ミツバチの毒液の別の成分の一つ(phospholipase A2)も、HIVを殺すことが報告されている。

 ほかにも顔のシミをとる成分や、多発性硬化症を改善する成分もミツバチの毒液は含んでいる。毒は薬というが、組合わせによって不思議な作用を示す生体有機化合物を自然は造ってくれた。

 

参考文献

クリスティー・ウィルコックス 『毒々生物の奇妙な進化』(垂雄二訳)文春文庫, 2020

David Fenardet et al., (2001) A peptide derived from bee venom-secreted  phospholipase A2 inhibits replication of T-cell tropic HIV-1strains via interaction with CXCR4chemokin receptor. Molec. Pharmacol. 60, 341-47.

追記(2024/10/20)

ハチやアリに刺されたり嚙まれときの痛さを、アメリカの昆虫学者Justin Orvel Schmid(ジェスティン・シュミット)は1ー4プラスの段階に分けた。1はコハナバチで「軽く一瞬だけの心地よい痛さ。腕の毛一本が焦げた感じ」だそうだ。2はミツバチで「自分の皮膚でマッチを擦った痛さ」。3はレッド・ハーベストアリで「厚かましく無遠慮な痛さ。肉に食い込んだ足の爪をドリルで掘る痛さ」。そして最高の痛さ4+はサシハリアリで「純粋で強烈で見事な痛さ。五寸釘の混じった焼けた炭の上を素足であるく感じ」とのべている。本当にそんな経験があるのかと聞きたい。

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ミツバチの飛行速度はヒトに換算するとジェット機並!

2024年10月20日 | ミニ里山記録

 

 トーマス・シーリー (1952~)はコーネル大学神経行動学の教授である。分蜂群がどのように巣を選ぶかといったメカニズムに集合知のようなものがあることを発見した。シーリーの著『野生ミツバチの知られざる生活』(青土社)によると、ミツバチの巡航速度は時速約30kMだそうだ(蜜胃が空のとき)。ミツバチ成虫 (体長1.5cm)とヒト(計算上身長1.5mとして)を比較して、これをヒトの速度に換算するとなんと時速は約3000kmになる。これは航空自衛隊のF-15戦闘機のそれに匹敵する。ミツバチは3kmを6分で飛行するが、3kmはヒト換算で300kmである。京都を起点とするとこれは、静岡県島田市付近である。彼らは自分の大きさを考えると、恐るべき長距離を短時間で移動していることになる。

 シーリーによると、セイヨウミツバチの野外巣の最適環境は、南向き、高さ5M、入り口(12.5cm2)、底部巣口、容積40L、巣板付属といったところである。巣の形や湿度、隙間の有無はあまり入巣には影響していない。彼はさらに1871例の尻振りダンスを解析し、えさ場の距離を計測し分布をまとめている。コーネル大学の「アーノットの森」では、えさ場は再頻度0.7Km、中央値1.7Km、平均距離2.3km、最大距離は10.9kmであった。平均距離は時期によって2-5kmの間で変化した。ニホンミツバチを用いて同様の研究が佐々木らによって玉川大学構内で行われた(1993)。その結果、ニホンミツバチはセイヨウミツバチに比較して近い(2km以内)えさ場を利用しているようである。ただ、これらのデーターは資源の様態によって当然変化する事を忘れてはならない。

 シーリーは距離や方角だけでなく野外コロニーの巣を発見する方法も開発した。ある地点にエサ(砂糖水)を置き、ミツバチを誘因する。それにマークを付けて、飛んで来る直線方向(ビーライン)にえさ場を移動し、再度、ミツバチを誘因する。マークの付いた個体がえさ場に通う時間を計算しておおよその巣の位置を特定した。

シーリーは最後に「ダーウイン主義的養蜂のすすめ」を提唱している。理想とする養蜂とはミツバチをできるだけ、その自然の生き方に干渉せずに飼育するというものである。具体的には1)環境に遺伝的適応したコロニーを飼育すること。ニホンミツバチの場合は、例えば東北地方のコロニーを西日本に輸送して飼うなどは、遺伝的攪乱の可能性がある。2)適度な密度で飼育することも肝要なことである。高密度飼育は盗蜂や他巣入りを誘導する。また病気の感染が一気に広がるリスクが高い。3)巣の容積は40L以下に抑えるべきである。大きな巣は、自然分蜂を妨げ、ダニなどの感染爆発を引き起こしやすい。また資源の局所的枯渇を引き起こす。4)多様な資源の下に、ミツバチを飼育する必要がある。資源の多い場所でのコロニーは病気になりにくい。などなど....。ミツバチを飼って単純に「エコ」だと思うのは間違。

 

参考図書

佐々木正己 『ニホンミツバチー北限のApis cerana』海游舎 

 

追記2024/10/20

一秒で自身の体長の何倍移動できるかをBLPSという数値で表す。知られている限り最大のBLPS生物は長さ数ミリのカイアシで1,778だそうだ。人はせいぜい6.1。ミツバチは計算すると、おおよそ500ぐらいでハチドリの385より大きい。

参考:ジョエル・レビィ著 「デカルトの悪魔はなぜ笑うのか」創元社 2014年

 

 

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正岡子規の碁俳句

2024年10月18日 | 評論

病床の子規。明治33年4月5日

 2017年10月頃の日本棋院のHPをみると、正岡子規が第14回囲碁殿堂入りしたという。子規は日本の野球殿堂にも入っている。なんでも最初に始めた人はハッピーである。晩年、結核性の脊髄カリエスという死の病に冒されていたが、子規庵で精力的に文芸活動を続けいていた。また無類の碁好きで、病床に碁盤を持ち込んでいたそうだ。その子規は、たくさん碁の俳句をつくった。それらを可能なかぎり集めてみた (ただしインターネット収集なので「全集」での確認が必要である)。

 涼しさや雲に碁を打つ人二人

 短夜は碁盤の足に白みけり

 碁丁々荒壁落つる五月雨

 蚊のむれて碁打二人を喰ひけり

 修竹千竿灯漏れて碁の音涼し

 共に楸枰(しゅうへい)に対し静かに石を下す    *(楸枰は碁盤のこと)

 碁の音や芙蓉の花に灯のうつり

 勝ちそうになりて栗剥く暇かな

 月さすや碁を打つ人の後ろまで

 碁にまけて厠に行けば月夜かな

 焼栗のはねかけて行く先手かな

 蓮の実の飛ばずに死にし石もあり

 昼人なし碁盤に桐の影動く

 蚊のむれて碁打ち二人を喰ひにけり

 碁に負けて偲ぶ恋路や春の雨

 真中に碁盤据えたる毛布かな

 月さすや碁をうつ人のうしろ迄

 

       明治31年新年ある日の子規庵(下村為山画昭和10年)河東碧梧桐の思い出が書かれている。

追記2024/10/03

子規が野球で遊んだ上野公園の野球場は子規の名前がついている。「打者」「走者」「飛球」などの訳語を考えたのも子規である。

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