京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

静かな祇園の風景

2020年03月16日 | 文化

 

 

 祇園の花見小路を久しぶりに歩いてみた。ほんとうに一昔前の京都にかえったような、すがすがしい気持ちになった。春節が終わる頃までは、外国の観光客であふれかえっていたのが嘘のようだ。

新型コロナウィルス騒動で、中国や韓国をはじめとする外人訪問客が激減したためである。インバウンド(嫌な言葉だ)を頼りにしていた商売はあがったりで、この状態が長引くと倒産する店がたくさんでると言われている。

これに関連して養老孟司さんが『京都の壁』(PHP研究所 2017)という講演録で、いいことをおっしゃっているので紹介する。

 

 『旅の宿の人を当てにしていては商いは長続きしない。たとえば今、私が商売を始めるとします。中国人の観光客が大勢来ているから、中国人をあてにして店を始めるとしましょう。でも、北京政府がへそを曲げたら、あっという間に減りますからね。そんな危ない商売はできないと私は思います。

 2016年の7月に台湾の台東に行ってきたのですが、台東のビジネスホテルの人が言っていました。台湾の総統が独立派にかわった。そうすると、中国本土からの客が三割も減ったそうです。北京政府が意地悪するのです。

 東京あたりでは中国人観光客の瀑買いを当て込んで、商売をしているところがたくさんあります。そんなものを当てにしていてはいけません。一時はいいので、そのときに稼ぐのはいいけれど、それをつい人間は当てにしてしまいます。たぶん、長続きはしないでしょう。中国人スタッフを雇ったとして、瀑買いが止まったらどうするのか?そういう下手な商売を京都の老舗はしません。やったかもしれませんが、そういうところはつぶれたのだと思います。結果、そうしなかった店だけが何百年と続いて老舗として残ってきたのです(以上引用)。』

 

 なんでも儲かったらいいというのは、京都人の心ではないのだ。調べたわけではないが、京都で外人相手の商売をする経営者は、「よそ者」なんだろうと思う。この騒動を契機に、京都の姿がこのまま保たれることを祈る。

 


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