タケホープの酔いどれ走遊記Ⅱ

アラカンの酔いどれランナーの実にくだらない日記
20数年ぶりのサブスリー復活を目指します。
禁酒しなきゃ無理⁉

夏の30㎞走は、「本気」の証!19年6月

2019年06月23日 | ラン・練習
本日ランナーズ7月号の、「夏は30㎞マラニックを!」を実行しました。

先ずは、永代橋を渡って、下総国から武蔵国へ
永代橋から佃島





永代通~中央通
銀座1丁目の歩行者天国
初めて走った





晴海通から日比谷


目白通から池袋~護国寺~不忍通~白山通


東洋大学 白山キャンパス
柏原竜二さん以来駅伝は東洋大学を応援しているが初めてここに来た。



言問通~不忍通


不忍池



駅伝の碑
駅伝の歴史ここに始まる
我が国最初の駅伝は、遷都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が大正6年(1917)4月27・28・29日の3日間にわたり開催された。
スタートは、京都・三条大橋、ゴールはここ東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。





浅草寺

帰宅後iPhoneの万歩計を見ると37.5㎞ 41,261歩だった。
非常に疲れた





夕食のデザートは、オーケーストアで買った井村屋 やわもち黒ごま 
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小諸城 大手門 19年6月

2019年06月23日 | 城・城跡

野面積の石垣が物語る
仙石秀久が築いた穴城
  小諸城址懐古園

小諸城は日本で唯一といわれる、城が城下町より低い位置にある「穴城」です。




三の門
寄棟造りの二層の城門で、元和元年(1615)に創建。寛保2年(1742)の大洪水で流失し、明和2年(1765)に再建。両堀に矢狭間・鉄砲狭間が付けられた戦闘式な建物で、正面にある「懐古園」の大額は徳川家達の筆。国指定重要文化財。
※徳川家達(いえさと)1863年8月24日~1940年6月5日
徳川宗家第16代当主。静岡藩の初代藩主。



大手門
小諸城の正門。慶長17年(1612)藩主仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築。小諸城の表玄関にあたり、本丸から数えて4番目の門なので「四の門」とも「瓦門」とも呼ばれました。平成の大修理を経て、江戸時代の姿を今も残します。国指定重要文化財。
コメント (2)
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朝ごはんは、朝セブン 19年6月

2019年06月23日 | BC級グルメ
一昨日テレビで見た糖質制限ダイエット

パンは食べてはいけないんじゃないのかぁ!
だって朝セブンで38円もお得なんですよ~





今朝の日本経済新聞の、(こんな日曜日が待ち遠しい。)
クラシックホテル 1930年代のインバウンドとともに
以前泊まった蒲郡クラシックホテルも出ていてビックリした

1930年代、外国からの観光客を誘致するため、西洋風のしつらえと和風の香りをあわせ持つホテルが日本各地に誕生した。
迎え入れようとしたのは欧米の富裕層。そのいくつかは戦時の多難を乗り越えて生き残り、クラシックホテルとして時を重ねる。
贅(ぜい)と知恵を尽くした空間に身を委ねれば、インバウンドを夢見た日本の姿が見えてくる。


 愛知県蒲郡市に1934年に創業した蒲郡クラシックホテル(創業時・蒲郡ホテル)は、鉄筋コンクリート造の上部に天守閣のような展望台(現在は閉鎖)が設計途中で加わった。創業者は滝兵商店(現・タキヒョー)社主の瀧信四郎。蒲郡市博物館の学芸員、平野仁也さん(40)は「外観に外国人を意識した伝統的デザインが取り入れられた」と解説する。大蔵省(現・財務省)の特別低利融資金30万円と瀧の寄付金10万円の計40万円で着工。当時の蒲郡町(現・蒲郡市)の年収17万8000円の2倍以上となる資金が投入された。
 外国人の少ない地域に海外メディア特派員らを招き魅力を訴えた。創業年はベーブルースら米国野球団が訪れ、翌35年には1809人の外国人が宿泊した記録も残る。2階のバルコニーからは三河湾や天然記念物の竹島がかつてと変わらない姿で一望できる。


タケホープの酔いどれ走遊記 蒲郡クラシックホテル
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